第三章 「処理場(システム)」
飛田新地の最奥。
観光客が決して踏み入れない、業者専用路地。
白塗りのラブホテルが取り壊され、地下へと続くコンクリート階段がむき出しになっている。
久世竜平の案内で、ミカはその「穴」へ降りていった。
空気は重く、腐肉と消毒薬の臭いが混ざっていた。
「ここが、“処理場”や」
廊下の両側に、金属製のドアが並ぶ。
鉄格子の奥には、人間のようで人間でない“何か”がうごめいていた。
「……ここで何してんの?」
「人間の限界を、“試しとる”。
医者もおる。厚労省の裏口通しとる研究者もな。
カストリの濃度を上げて、人間がどう壊れるか、どう変わるか……」
久世の声は、あくまで冷静だった。
善悪ではない。生か死かでもない。
ただ「必要だからやってる」という顔をしていた。
◆
扉のひとつが開く。
中にいたのは、体中を縛られた男だった。
髪は抜け落ち、歯が全て溶け、肌は黄ばみ、目は黒く濁っていた。
「……こいつは、港区の起業家やった。
エンジェル投資家で、女を使って詐欺してた。
最初はカストリで気持ちよぉなってたけどな、
5ヶ月後には、もう“言葉”が出ぇへん」
男は、喉の奥から豚のようなうめき声をあげた。
ズボンの下では、何かが肥大し、変形していた。
「言葉も、名前も、過去も、失って、“性器”だけが残る。
それが、カストリが作る“肉骸”や」
ミカは息を呑んだ。
怖い、けれど……惹かれていた。
「……私、ここで働きたい」
久世は少しだけ笑った。
「嬢ちゃん、働くってなぁ、ここは風俗やないぞ。
“自分の内臓ごと、商売に出す”場所や」
「それでもいい。
壊れてもいいから、“壊れる瞬間”を、ちゃんと見たいの」
その言葉に嘘はなかった。
ミカの目には、快楽よりも強い“飢え”が宿っていた。
欲望の極北を知りたいという、病的な知性が。
◆
その夜。
ミカはカストリの原液を、再び注射器で打った。
――意識が反転する。
飛田の街がゆらぎ、障子の奥の女たちが獣のように笑う。
男たちは全員、犬のように尻尾を振りながら女を舐め、噛み、喰らっている。
幻覚か? 現実か?
ミカの脳は溶けながら、ある確信を得ていた。
──この都市は、
もはや“ヒト”でいられる場所じゃない。
彼女の耳元で、誰かが囁く。
「ようこそ、“肉骸都市”へ。
君はもう、“人間”をやめたんだよ」
ミカは笑った。
それは、人間だった頃の“美月”とは違う笑いだった。
◆
夜明け前。
地下の“処理場”で、久世が電話を取った。
「……はい、厚労省。ええ、確保しました。
“フェイズ2”に移行可能です。
実験対象:“ミカ”。プロファイルコードK-07。」
――背後で、ミカが、鏡の前で笑っていた。