さそいみず
きみだけに
とくべつに
いいはなしがあるんだ
その村は、深い山の奥にひっそりと存在していた。
僕が大学の卒論研究で訪れてから、通い続けている。
テレビは衛星しか電波が入らない。衛星放送を受信できるテレビは、村の集会所に一台あるだけだ。
携帯も場所によって繋がったり繋がらなかったりで、このところは繋がらないほうが多い。
人口の十割が老人なので、今更新しいことを導入するのは面倒だと放置されていた。
主たる産業は林業と農業で、過疎の村、限界集落、というカテゴリーに入れていいと思う。
そんな田舎の村に、なぜ通うようになったのかというと……。
村には素晴らしい『もの』があるからである。
僕は『それ』を目当てに、今日も村を訪れた。
「また来たのかあ」
腰の曲がったお六さんが、僕を見つけて声をかけてきた。
村の入り口に近い家に住んでいて、九人兄妹の六番目である。
親兄弟はすでに鬼籍に入っていて、今はお六さんひとりだという。
「うん。評判が良くてね。あっという間に無くなってしまうんだ」
僕はお六さんに、有名パティシエの菓子箱を渡した。銀座でしか買えない限定品である。
「ほぅほぅ。これうまいべよ。おれ好きだよぅ」
シワシワの顔をもっとシワシワにして笑いながら、お六さんは箱を大事そうに抱えた。
ここらの村では女性でも自分のことを『おれ』と言う。
「それは良かった。ミツさんところにも、ヨウスケさんのとこにも、買ってきてあるよ」
持っていた菓子袋を持ち上げて見せる。
「そりゃあえがったわぃ」
笑いながらうなずいた。
「なんでも欲しい物を言ってよ。本当なら、お金をたくさんあげなければならないんだから」
お六さんに言う。
「金なんていらねえよ」
僕の言葉にお六さんは首を横に振った。
「うまいもんがあればそれでいい。金あっても使うとこねえし、墓まで持ってけないからのう」
そう言って僕を見上げる。
「それに、金なんぞ持っていったら、汚れてアンタも困るべよ」
含みのある目で告げた。
「いや、まあ、ははは」
苦笑いを返すしかない。
「おれももうすぐ入るからよ。しばらくたったら使ってくれよ」
真剣な表情になって言われた。
「うん。……ありがとうな」
お六さんに頭を下げる。
「そろそろエイジさんとこがいいんでないか?」
山の方を見て僕に問いかけてきた。
「五年経ってるんだっけ?」
「まだ早いかのう?」
眩しそうに山を見つめている。
「このところ厳冬と酷暑の繰り返しだから、もう仕上がっているかもしれないね」
寒暖差が大きいと早いのだ。
「今日の帰りにでも様子を見てみるよ」
お六さんに言うと、顔を僕に寄せてくる。
皺だらけだが、シミのない綺麗な肌をしていた。
おそらく『あれ』のおかげだろう。
「もしできていたら、おれにもちーっと分けてくれんか?」
上目づかいで頼まれる。
「あれ? お六さん腰痛でもあるんか?」
驚いて見下ろした。この村で持病のある年寄りはいないはずである。
「いんや。ちがう」
首を振って否定した。
「……エイジさんはいい男じゃったけえ……ちっと味わってみたくてのう」
頬を染め、まるでうら若き乙女のように恥じらいながら答えている。
そういえばエイジさんの葬儀で、村の老婆たちが号泣していたのを思い出す。
若い頃からずっと村のアイドル的存在だったのだろう。
「ははは。わかった。いいよ」
「へへへ……すまんのう」
照れ笑いをするお六さんと別れて、僕は村長の家に行った。
挨拶をして菓子を渡したあと、僕はポリ容器を持って村の裏山へ向かう。
険しい道の先に、神社と村人たちの墓場がある。
ここの人達は大きな甕に遺体を収め、裏山にある神社の一角に埋めていた。
寺ではなく神社なのは、死後に死者が悪霊となるのを防ぐためだとか。
江戸時代よりもっと古い、科学などない時代の迷信が信じられている。
僕は大学で、地方にある昔ながらの埋葬方法を調べていた。
すると、今では禁じられているはずの土葬を続けている村を見つけてしまう。
役場に問い合わせたところ、そこだけは特別に火葬が免除されていると返された。
なぜ免除されているのかはわからないが、宗教上の理由ではないという。
限界集落のため残っている村人が高齢で少ないこともあり、そのままでいいとされたようだ。
役場は山に点在する集落の事務をまとめてやっているだけで、詳しいことは知らないと言われる。
僕は直接村に行って調べてみることにした。
電車やバスを乗り継ぎ、最後は徒歩で曲がりくねった山道を歩くのだが、これがかなり大変だった。
たどり着いた時には日が暮れていて、村長の家に泊まらせてもらったのである。
都会の大学生などが訪れることはないので、珍しかったのだろう。
村長も村人も歓迎してくれた。
宴会が始まり、村の唄や踊りなどが披露される。
すべて老人ばかりだが、皆とても元気だ。
村長に土葬について質問したところ、驚くような答えが返ってきた。
「あとから飲むんじゃよ」
「飲む?」
「焼いちまったら飲めないからのう」
意味が分からず固まってしまった。
「身体にいいべよ。昔は食いもんの代わりにもしてたからの」
村長の隣にいた爺さんが付け加える。
「亡骸を大甕に入れての、あっこのお社さまに埋めると水になるんじゃよ」
戸惑う僕に村長が説明してくれた。
夏は蒸し暑く冬は雪に閉ざされるここでは、甕に収めた遺体は五年ほどで水に変化する。
葬る際には何も身に着けず裸のままなので、骨もほとんど消えて澄んだ綺麗な水だけが残るそうだ。
ただし、この村の土で焼かれた甕に収め、神社の敷地内に埋めなくては水にならない。
亡骸からとれた水には痛みを緩和する効果があり、栄養価も高い。
飢饉や戦時中はその水のおかげで村人たちは助かっていたという。
この村が近隣よりも長寿者が多いのは、水のおかげらしい。
僕は当初、その話が信じられなかった。
だが、神社の調査で転び、大怪我をした脚に水を塗ってもらったところ……。
激痛がすっと引いたのだ。翌日には傷も消えて、怪我をする前に戻っていたのである。
毒蛇に噛まれて瀕死だった猫に水を飲ませたら、すぐに元気を取り戻していた。
その他にも鎮痛、消炎、回復、様々な効能を目の当たりにする。
僕は水を分けてもらい、痛みが消える水としてネット販売してみた。
びっくりするほど売れた。
難病でどんな薬を用いても駄目だった痛みが消え、難病までも治ったというようなメールも届く。
製薬会社が成分調査をしたが、不思議なことに水以外の成分は検出されなかった。
副作用のない安全な鎮痛治療薬だと、人気は徐々に上がっていく。
各所から製造方法の問い合わせが来たが、企業秘密だと断っている。
あの村のことは僕しか知らない。
菓子折りひとつで独占販売だ。
もちろん死体から作られていることは秘密である。
今日も続々と注文が来ている。
急いで小瓶に詰めて発送しなくてはならない。
僕は今では大金持ちだ。
ただひとつだけ、問題がある。
村の老人に限りがあることだ。
この先も続けるには、空になった甕を再利用する必要がある。
というわけで
きみがこのむらにきてくれて
とてもうれしいよ