人攫いと雷刃の記憶
その異変は、静かに、だが確実に旧市街を侵食していた。
最初は一人の子どもがいなくなった。
誰も本気にはしなかった。迷子か、家出か、あるいは借金取りから逃げたのだろうと。
だが、次の日も。その次の日も。
子どもたちが、ひとり、またひとりと姿を消していった。
俺のところにスープを持ってきていた少女──ミラも、肩を震わせていた。
「……ルイが……一緒に薬草を採っていたのに、急にいなくなって……!」
その声に、背筋が冷えた。
似ていた。十年前と。
王都の混乱期、孤児たちが次々と姿を消し、後に闇市の人身売買ルートが明るみに出た事件。
だが、裏にいた貴族が処罰されたことは一度もなかった。
「王都に言っても……動いてくれませんでした」
ミラの言葉に、俺は苦笑した。
そうだろう。今の王都に、旧市街の声を拾う余裕なんかない。
だったら、俺がやるしかない。
夜、人気のない旧聖堂跡。
そこに、目隠しをされた子どもたちが縛られ、馬車に押し込まれようとしていた。
「間に合ったな」
俺は音もなくそこに立った。錆びた剣を、ゆっくりと抜く。
──重い。だが、あの頃の感覚が確かに指先に戻ってくる。
「なんだてめぇ! ……ん、まさか……あの“雷刃”……?」
「そんな大層なもんじゃない。今はただの旧市街のジジイだ」
雷はもう呼べない。魔力も落ちた。だが、それでも。
「一本──やらせろ」
気づけば、俺は走っていた。
──剣が風を裂き、骨が軋み、記憶の中の戦場が蘇る。
盗賊たちの刃が振り下ろされる前に、その腕を叩き折った。
魔術師が呪文を唱えるより早く、喉元に刃を突きつけた。
残党が馬車に乗り逃げようとしたとき。
「《雷閃──壱ノ型》」
声とともに、足元に雷のような気流が走った。
──気のせいじゃなかった。雷は、まだ、ここにあった。
残党が消えるころには、旧聖堂跡に沈黙だけが戻っていた。
子どもたちは無事だった。縛めを解いた彼らは、俺を見て震えていた。
恐怖ではない。……驚きと、憧れのまなざし。
「おじさん……本当に、“雷刃のグレイス”……?」
「……いいや。ただのジジイだって、言ったろ」
そう言ったつもりだったのに、口元が自然と緩んでいた。
次の日から、旧市街の連中が妙に俺を見る目が変わった。
警戒でも侮蔑でもない。……敬意と、信頼。
「昔の英雄が、今もこの街にいたんだな」
そんな声が、どこかで聞こえた気がした。