第015話 チャンピオンの絶対命令
真桜の右手は、2階教室ベランダ柵の下部を掴み、左手はダラリと地面側へ垂れている。
顔を上げれば、屋上から身を乗り出すトロフィーモンスターが、標的を睨む動物のように、彼女をジッと見つめていた。
「この返しは、高くつくぞ……!」
「……っ」
柵を握る真桜の右手が、震え始める。
身体が、限界を教えていた。
消耗している今の状態では、ベランダの柵にぶら下がることすらギリギリで出来ていること。
――ここから、落ちたら……っ!
まだ、そのように脳が危機感知を働かせているおかげで、力は振り絞れているが、それもいつまで続くか……。
――身体を持ち上げれるほどの力は、残っていない……っ!
そもそも通常時でさえ、右手のみで身体を持ち上げることは、不可能に近い行為だ。
今の状態では、なおさらのこと、不可能に等しいと言えるのだった。
「――覚悟しろ」
トロフィー形の怪物も動き出す。
薄いピンク色のポニーテール少女を再度捕らえるべく、屋上から2階壁へと、昆虫のように這った。
逆さまの状態で、純金の5本指を壁へ突きさす。
もう片手に付いている5本指も、壁に深く食い込ませた。
「倒す……! 倒す……!」
そして、壁上を四足歩行で移動する。
まるで、木の幹を移動するトカゲのようであった。
「――っ!」
真桜は――どうしよう――と思う。
そんな彼女に対して、トロフィーモンスターは追い打ちをかけるように、あの禁断の技を復活させようとしていた。
「命令だ――」
青髪の魔法少女――伊豆島水穂を苦戦にまで追い込んだ、あの命令攻撃を解禁しようとする。
その『命令』の概要を詳しく知らない真桜は、疑問の声を投げた。
「命令……?」
「ああ。我が命令をすれば、貴様もその命令に従わざるを得なくなるのだ」
「命令に、従わざるを得なくなる……?」
真桜の脳裏を、とある光景が過った。
それは、水穂がなぜか混沌ズの前で、常時気をつけの姿勢を維持していた、あの不可思議な光景。
もしかして、と真桜は予想をする。
水穂が気をつけをし続けていた原因は、トロフィーモンスターの『命令』にある……?
そんな仮説に対する回答を、トロフィー形の怪物が自ら口にした。
「我は、チャンピオンの象徴的存在――トロフィーだ。チャンピオンは、王である。王の命令は、絶対なのだ。だから、我の命令を耳に入れた人間は、その命令に強制的に従うよう、悪の力が作用する仕組みとなっている」
「……えっ?」
「つまり、我の命令には確実に逆らえないのだ」
「…………」
真桜は、しばらく沈黙し、そして声を出した。
「それは……」
「何だ?」
「…………」
真桜は、覚悟を決めて、思ったことをそのまま口に出した。
「命令しかできない王様は、王様になる資格が無いと思う……っ!」
「……………………」
風の音のみが空間を満たすなか、トロフィーモンスターは静かに言った。
「王様に歯向かう者に命令をするのは、楽しみなものだな」
そして――
「我に――」
トロフィーモンスターが、命令の言葉を発する。
「忠誠を――」
真桜を、自身の支配下に置こうと……。
強制的に、忠誠を誓わせようとする。
「…………っ!」
真桜は、柵にぶら下がり、その先の行動が定まらないでいた。
このままでは、トロフィーモンスターの言いなりになってしまう。
そんな最悪な展開が頭に浮かんで、離れない。
そんな時であった。
――チャーン! チャンチャンチャンチャンチャンチャン! チャンチャンチャンチャンチャーン!
時計が、18時を指す。
学校近くに設置されている、近所の放送スピーカーから、大音量のチャイムが鳴り響いた。
それは、子供の帰宅時間の目安としても利用される、定時刻に流れる音楽だ。
そんなチャイムの音と、トロフィーモンスターの命令言葉が重なる。
「……!」
結果、真桜はトロフィーモンスターの命令文をすべて聞き取れず、理不尽な命令に従わずに済んだ。
そして、命令攻撃をかいくぐる方法も、自ずと少女の頭の中で導き出された。
命令文を全文聞かなければ、命令に従う条件は成り立たないという法則を。
約60秒間、チャイムが鳴り続く。
真桜は――運が良かった?――と現状を振り返り、そして――いや、違うか――と思った。
――私がここまで、トロフィーモンスターに立ち向かえたから、18時のチャイムに助けてもらうことが出来た。
――せっかくここまで来たなら、やり切らないといけないよね……!
真桜は、ハッピーエンドを目指して、次の行動へ移った。