2日目―1
早起きの小鳥が奏でる音色に心地良く刺激されたのだろう、ゆっくり開けた御門の目にはスッと強い光が宿り、眠気など欠片もない様子であった。
持ち上げた手を早朝の薄明かりにかざして見る。
真っ直ぐに伸ばすとチェック柄の袖が肘まで滑り落ち、エンジ色の模様から立ち昇ったような白い肌を、より白く儚いものに見せていた。
繊細と形容されるに相応しい柔らかそうな腕を無表情に見つめていた御門であったが、次第に眉が寄せられ憂鬱そうに変わる。
『いつ戻してあげられるか解らない』
御門は自身の不注意を悔いていた。
形作った拳の頼りなさを再確認すると、パッと開いて力なく顔を覆い、溜め息と共に真横へと腕を投げ出した。
ごちっと硬い音。鈍い痛み。
「きゃぅっ」
「なんだ?」
思い掛けない感触と悲鳴に飛び起きて隣を見ると、翼が頭を抱えて丸くなっていた。
薄っすらと目を開けて御門を見ると、
「痛いよぉ……」
と、ひと声だけ発して瞼を落とし、すうすうと規則正しい呼吸になった。起きた訳ではないらしい。
よくよく見ると御門自身はベッドの端に追いやられていた。
「ったく、自分のベッドで……いや、このままでいいか。本当ならまだ6年生だもんな」
憐れみと愛情の滲む呟きを漏らして、そっと頭を撫でる。
「んっ――にひひ。目覚めさせてあげるよぉ~お兄ちゃん……すう」
「今すぐ起こして問い質してもいいんだぞ翼?」
御門は微笑みながら溜め息をつくと、そっと布団をかけてベッドから降りた。
「んーー……ん?」
大きく伸びをしてベッドルームの天井を見上げ、大した高さでもないのに届かないと気付いた。背伸びして片手を伸ばす。
「違和感しか無いな。慣れるのかこれ?――っと、……」
思わず呟き、翼を起こさないよにと口をつぐむ。
時計は五時半を回っている。そろそろ朝稽古に向かわなければならない。
ベッド脇のクローゼットを開けて道着とTシャツをバックパックに詰め込み、少女に似合いそうな淡い色のジャージを眺める。備え付けの鏡に憂鬱そうな表情を映して力無く首を振り、パジャマを脱いだ。
Tシャツを広げた所でふと動きを止め、鏡を見ながら肌着をグイと引き下げた。
肌着から覗く僅かな膨らみ。その間。
心臓の位置に直径二センチ弱の星型の痣があった。
ペンダントを押し当てていた場所であり、翼との唯一の相違点である。
御門は、昨夜聞いた話を思い出していた。
からんからんと派手な音を大浴場に響かせて洗面器が転がる。
大切な話があるからと翼に懇願されて一緒に入浴していた御門は、湯を被った姿勢のまま固まった。
「はぁ?」
愛らしい目を大きく見開いて聞き返す。
「周りを見ろ? 着替えのときに?」
その表情は、言われた内容は理解したが意味を理解出来ないと言っていた。
翼は説明に困ったのか、指先でこめかみを押さえる。
「ん~、どう言ったらいいのかな。その痣にお兄ちゃんの情報が書き込まれてて、お兄ちゃん自身が魔力の媒体だから情報を引き出すための魔力が既に用意されているわけで――」
「いや、痣に触られたら正体がバレるのは解った。疑問はそこじゃない」
「何?」
「周りを見る様に薦めてどうする。逆だろ」
見た目は女子だが中身は男子なのだ、御門の言う事は尤もである。しかし翼は。
「バレたら記憶を消さなきゃいけないでしょ? 一人や二人ならどうと言うことではないんだけど、範囲が広がり過ぎると大きな魔力が必要だから、管理局に申請しなきゃいけないの。不始末のペナルティは制限期間の延長だよ? あたし達は元に戻るのが最優先でしょ? 他の子の下着姿や裸なんてどうだっていいから周りに注意して、うっかり触られないようにして欲しいの」
「どうも噛み合わないと思ったら、翼の話は触られる前提な訳か。あのな――」
「甘い! 柔肉の争いは油断できないんだよ!?」
思わず大きくなった声に翼自身が驚き、体を寄せながら極端に声量を落として御門の目を覗き込んだ。
「こっそりサイズチェックは当たり前。直球で聞く子や感触を確かめる子もいるし、大きいと羨ましいから触る、小さいと同情して触る、丁度良いと『これくらいがいい』ってみんなで触る。絶妙な場所に星型の痣なんて見つけたらここぞとばかりに群がるわよ? 期間延長なんて嫌でしょ?」
真剣な表情で念押しする翼の手を、御門は黙って握り目を閉じる。
「もう、本当なんだってばぁ」
翼が不満そうに漏らした。
御門は翼の感情を確認していたのである。
距離を開けると漠然としたものになるのだが、密着して読み取りを意識すると大雑把に分かり、素肌を接触させると正確に把握出来るし送ることも出来る。これは翼も同じらしい。
御門が目を開けた。
「疑ってすまん。男社会には無い戦いだからな、俄かには信じ難かった」
御門は豪快に湯をかぶって浴槽に身を沈め、後を追って入った翼が体を寄せて上目遣いに見る。とても申し訳なさそうな表情で。
「それでね、ちょっと練習をした方がいいと思うの」
「練習?」
「うん。嫌だろうなと思うんだけど……」
そう前置きした翼は御門の肩に手を掛けて更に身を寄せる。
誰が聞くでもないのに小さく耳打ちされた内容。
御門はハッキリと動揺を見せた。
「そそそそれこそ会話みたいに魔力でどうにか出来ないのか!?」
「あれは言葉と感情パターンを上乗せしてるだけよ。綺麗に大きく見せるための動作を固定するなんて無理。その日その日で微妙に違うんだよ? だから、きちんと練習して欲しいの」
説得する様に話しかける翼。
動揺を隠さず首を左右に振る御門。
「いやいやいや、待て待て待て。いいか? そもそも俺はそんな事を望んじゃいないから――」
翼が御門の肩を、ぎゅっ、と握る。
「だ~か~ら~、それが隙なの。手早く着替えられないと『あたしが教えてあげる~』って揉まれるだけよ。お兄ちゃんって学園の有名人でしょ? それを無かった事にするのは不都合が増え過ぎるから性別の認識だけ変更して現状維持となってる筈なの。いい加減に着替えてたら『そんなんじゃ駄目だよー』とか言い出す子が現れて手を突っ込まれるよ? 胸は女のプライドだもん、有名人なら手本にされるレベルを意識しないと、触る口実を与えるだけなんだからね?」
「プライド、か……」
御門自身、日々誇りを持って過ごしている。それに恥じないようにと意識している。だからそこをくすぐられると安直な反論は出来ないのだ。
鼻息も荒く講釈を述べる翼に圧倒されて、御門は自分の胸へと視線を移した。
再び顔を上げたとき、その表情は実に複雑なものとなっていた。
「……大変なんだな」
御門は直接的な言及を避けたのだが、翼の手はまだ肩に乗っている。
一瞬の間が空き、翼は顔を赤くすると、
「ちょ、ちょっと! 真剣に話してるのに、何でそこであたしに同情するのよ! もういい、戻れなくても知らないから!」
ざぶんっ、と湯の中に潜ってしまった。
切実な脅しをかけられた御門は浴槽の反対側で拗ねる翼に謝り倒した結果、コーチングを受ける事になった。
特訓のお陰で無防備さは無くなったなと成果を実感しつつ、今まで着たことなどないグレーとパステルピンクというカラーリングのジャージに袖を通してベッドを見る。
三時頃まで「女子なら知ってて当たり前の知識」と称して一般常識も含む様々な事を授けてくれた妹だがそもそも人ですらない。魔族である。だが、深い眠りを示す寝息と寝顔は天使の様であった。
布団を掛け直して軽く頭を撫でる。時間を必要とするだけで、戻れない訳ではないのだ。
「こいつなりに頑張ってくれてるんだ。俺がしっかりしなきゃな」
タオルを掴んで化粧室へ入り、心の埃を洗い流すが如く何度も冷たい水を顔に浴びせてから、鏡の中の少女を見据える。
「いいだろう。暫くお前に付き合ってやる」
乱暴に拭いてタオルを翻した時、目からは迷いが消えていた。
覚悟を決めた御門は朝の稽古を早めに切り上げて帰り、翼を起こして登校の準備をするように伝えると、クローゼットから自身の女子制服を取り出していきなり覚悟が揺らいでいた。
「着る……しかない……の……か……」
白を基調としたセーラー服ながら前でホック止め。あわせ部分から裾を濃紺のラインが一周する。
上腕を横切る二本線から先が絞られ、先端で太く幅広に折り返された袖は襟やスカートと同色の紫に近いピンク色、どの部位も青地に乗せた白い線を沿わせている。
胸当ては二枚を重ねて大きな三つのボタンで留められ、その下、襟の合わせを飾る黄色いリボン。左のみ学園章を配した両胸のポケットはフラップで押えられ、胸当てと同じボタンが飾る。
特徴の一つでもあるソックスは膝上まであり外腿に小さなリボンが付いている。
聖鳳学園は制服の可愛さも評判であった。
「翼はこれが着たいんだったな……」
ポツリと溢したとき。
頭上の足音が遠ざかり、階段を降りて近付き。
「お姉ちゃん! 見て見て! 夢が叶っちゃった!」
嬉しさを抑えられないらしい翼が駆け込んできた。
「って、まだ着替えてないの!? あーもー、急いでよね。鞄はあたしが用意してあげるから」
陰鬱な表情になった御門と対照的な笑顔の翼は、勉強机に駆け寄ると時間割を確認しつつ教科書やノートをテキパキと鞄に詰めて二人分の準備を済ませ、手が空いたからとニコニコ顔で着替えを手伝い、二人の区別にと御門の髪を右の一部だけ三つ編みにしてピンクのアクセサリー付きゴムで留め、自分は左側を同様に留めた。
女子なら知ってて当たり前の知識とやらを授かりながら関連する学園内の知識を与えはしたが、不安という概念をを真っ先に教えるべきだったのではと御門は思う。だが今さらだ。
翼は期待に胸膨らませて、御門は刑の執行を待つ気分で、隣室に声を掛けた。の、だが。
正門まで徒歩十五分という恵まれた環境の寮生四人は揃って遅刻が確定し、高い外塀を左に見ながら歩いていた。




