翼の覚悟
「あたしね、中等部に上がる直前に病気で入院して、寮に戻れたのが夏休み前だったの。だから同級生の中で一人だけお姉さまが居なかったんだ。それでも妹が出来れば寂しくないし、お揃いで持てたらいいなって作ったんだけど、部屋割りが発表されたときに『継承の連鎖から外れていると妹は育てられない』って聞かされてさ、渡す相手が居ないのに持ってるのって悲しいし、捨てようと思ってここの池まで来たの」
翼は、宮代の話を思い出しながら聞いていた。
学園で得る姉妹に対する特別な想い。
二年待った挙句、その片方すらも得られなかった大河はどれだけ辛かっただろう。
「変な人が一人居て視線も気になったけど、構わずに二つ共池に投げちゃった。そしたら、その変な人がキャッチしたらしくて捨て損ねたの。たった一度の病気のせいで生涯姉妹を持てなくて、その想いを捨てる決心さえも邪魔されて………理不尽な事の何もかもが悔しくて大泣きしちゃった。でもその人、泣き止むまで黙って側に居てくれてさ、あたしそれに甘えて不満を全部話したの」
大河の微笑みが更に明るくなった。
「その人、捨てたキーホルダーを勝手に貰うって言って、それからあたしに一個くれたの。同情でも嬉しかった。でもよく考えたらね、想いを受け取って兄になってくれるって意味かなと思ってさ、あはは、高等部に上がって直ぐに押し掛けちゃったの。口には出さなかったけどね、あたしを大切にしてくれたから正解だったみたい。その人が、御門空さん。カッコいい――――男の子だよ?」
翼の手が、肩が、プルプルと震えている。
「ずっとね、夢の中で起きた事だと思ってたんだけど、最近は凄くはっきりしてきて、今は何もかも思い出せる。女の子になったり学年が一緒だったりしてる理由は知らないけど、いつか戻る気がするから姿はどうでもいいの。だから空ちゃんが好き。これでも駄目?」
話の内容から、巻き込まれた事は覚えていないと知れた。
大河が思い出したのは、姉妹制度への強い憧れが生んだ深い悲しみと、そこから救った御門の大きな優しさ。翼が知らない、御門と大河の出逢いだった。
そんな事があったなどと聞かされていないし、訊ねた所で答える性格ではない。
「何が望みなの? 黙ってるから付き合いを認めろって事? それともあたし達の秘密?」
「ううん。無理に聞くつもりは無いし強引に奪うつもりも無いよ。あのね、この学園で育ったのにお姉さまも妹も居ないのって、とても寂しい事なの。だから咲ちゃんにも話してない。あえて翼ちゃんに話したのは覚悟を決めたから。でもね、翼ちゃんの事も好きだしお友達でいたいと思ってるの。お互いフェアに行かない?」
何もかも知られている様な微笑みが翼の燗に障る。
「フェアも何もないでしょ。あたしは嫌。それだけ」
「それだけならあんなに怒らないよ。普通は詮索しないし」
「リボンの事? あたしは怒った、それでいいじゃない。『普通』なんて知らない」
頬を膨らませて横を向く。
大河は、その反応に判定を下した。
「あはは。本当はね、ちょっと自信なかったんだ。イエローリボンを知らなかったら意味無いし。もしライバルで意味を知ってたら少しは反応するかも?て着けてみたんだけど、否定してもあんなに食いついてくるんだもん。ライバル確定だね」
爽やかな笑顔で頬をチョンと突かれ、翼は剥きになる。
「ラ、ライバルって、どういう事よ!」
大河は腰の後ろで手を組み、手近な木にもたれた。
しばらく言葉を探すように呟き、ゆっくり語りだした。
「空ちゃんは唯一人あたしの絶望を知ってる人で、そこから救ってくれたヒーロー。その優しさを知ってるのは学園で、ううん、世界でもたった一人だけ。学園の有名人だけど誰も知らない、あたしだけの特別な思い出なの。でもそれに縋るのは妹にしか見られない事を意味すると思う。きっといつまでも遠くから見守られてるだけ。知らない誰かに奪われて、今度はその人と一緒に見守られる……あたしは嫌だな、そんなの」
大河は寂しそうな笑顔で翼を見て木から体を起こし、木漏れ日の出所を探して上空を見上げ、土の感触を楽しむ様に踏みしめて、ゆらゆらと翼の前を移動する。
「出来ることを全てやって奪われるなら仕方無いけど、何もしないでなんて絶対に耐えられない。あたしそんなに強くないもん。だから姉妹を持てなかった悲しみを乗り越えたい。妹じゃなく、一人の女の子として空ちゃんの隣に立ちたいの」
くるん、と向きを変え、翼を正面から見据える。
「それはきっと、翼ちゃんも同じ」
言葉が暴風となって吹き抜けた錯覚に陥り、翼はよろめいた。
大河の真意が解らない。
何処まで気付いているのかと必死に考え、そして、逃避した。
「お、同じじゃないわ。あたしは正真正銘、妹だもん」
「そんな意味じゃないの。翼ちゃんの正体は聞かないし空ちゃんがいつ戻るのか、どうして同じ姿なのかも一切聞かない。理解出来るとは限らないもん。ただね、あたしが『戻れる気がする』と言ったのに翼ちゃんは否定しなかったし無理とも解らないとも言わなかった。それって翼ちゃんも戻れると信じてる訳でしょ? だったら何も言わずに奪うような真似はしたくないの。それが宣言した理由」
さく、さく、と地面を二度鳴らして近付き、首を傾けた。
「まだとぼけるつもりなら今日中に告白するけど。いい?」
「そ、そんなの、駄目よ!」
翼の反応は早かった。
甘く切ない想いへの陥落を隠し続ける翼に、大河は自分の焦りを正直に話した。
「じゃあ自分の気持ちを認めて欲しいな~。それでなくても翼ちゃんが有利なんだから。ね?」
「うぅ~~」
「翼ちゃんは姉妹の振りした過剰な愛情表現は無し。あたしも空ちゃんから言ってくれるまで過剰なアタックはしない。これでどう?」
「どう? って……勝手に決めつけられて納得出来る訳ないでしょ」
「認めないで今の地位に甘えてると~~知らないうちに失っちゃうぞ?」
まるで子供をあやすように大河が覗き込む。
「だって、お姉ちゃんは、あたしの……」
それっきり黙り込んでしまう翼から離れ、大河はゆっくり首を振る。
「仕方ない、か。じゃあ、あたし『お兄様になってくれたあの日からずっと好きでした、あなたに相応しい女の子になるので一緒に歩いて下さい』って告白してみるね」
そう言い残して木立の外へと向かった。
足取りは本気である。
御門がどう反応するか翼には解らない。そして、あのキーホルダーだけはどれだけせがんでも首を縦に振らない。安心していた場所は微妙なバランスで保たれていただけで、失えば二度と取り戻せない気がした。
大河の後姿がぼやける。
やがて全ての輪郭が崩れ、頬を伝うものを自覚し、大きな不安に襲われて目を閉じた。
「待って……お願いっ――待ってぇっ!!」
翼の叫びに足を止め、大河は振り向いた。
「ライバルなら、ちゃんと宣言して欲しいな」
その優しい微笑みに翼は。
肩を震わせながら。
睨む様に目を見据えて息を吸い、
「ぐすっ、ひっく……あ、あたっ、あたしは!――――」
御門の説明が終わり、山吹が呟いた。
「翼さんがそんな状態にまで……僕の失態ですよ、これは」
「まだ夢に見るらしくてな、自分のせいだと泣くんだよ。全ての元凶は教頭だと言っても聞きやしない。謝りに行ったら気にするからな、そっとしておいてくれ」
「ちょっと待った。素朴な疑問なんだが、どうやって消滅を免れたんだ? 魔力が使えなかったんだろ?」
海藤の問いに、御門は頭を掻いて応えた。
「それも言わなきゃ駄目か?」
「辻褄が合わないのは気持ち悪い。教えてくれ」
「まあ、ちょっと怪我をしたんだけどな」
言い難そうに前置きをして御門が語った状況に、海藤も山吹も顔色を変えた。
残された選択肢、魔族の不注意で怪我をさせた場合に適用出来る修復のための契約。
わざわざ別にされているという事は、完璧な修復を意味するのではないか。
ならば、壊れた筈の媒体も。
御門はそれに賭けた。
腹部貫通の重症はその結果である。
「間違ったら即死じゃねぇか! 何考えてんだ!」
「自殺行為です! 認められなかったらどうするんですか!」
迷惑そうに耳を塞いで御門が返した。
「だからだよ。本気で助けて、本気で避けて、それでも大怪我する状況で、翼から修復の契約を持ち掛けさせなきゃ駄目だったんだ。翼に知られても監視にバレても失敗する一発勝負、一か八かにもなるさ」
「馬鹿だ! てめぇは!」
「やり過ぎです!」
「あはははー」
罵倒に熱が篭る様子を、御門は笑って眺めていた。
それが更に二人を熱くさせる。
「笑い事じゃねえんだ、解ってんのか!」
「文字通り体に教えて差し上げましょうか!」
言うが早いか飛び掛った二人の連続した攻撃を、御門はスカートをひらつかせながら避け続け、まだ笑っていた。
「くふっ、あははっ」
「空! てめぇ!!」
「いい加減にしなさい!」
ほぼ同時に左右から来た拳と足を、それぞれ片手で衝撃を殺しながら受ける。
やはり、笑ったままであった。
「あはっ、こういう事で怒られるのは嬉しいなぁ。翼が消滅してたらお前等は一生自分を責めただろ。俺が躊躇しなければ助けられたと知っても、ね」
その言葉の意味。
風が駆け抜け、二人の熱を運び去った。
力なく座り込み無言で見上げる。
御門は腰に手を当てた。
「やらずに気を遣われるより、やって怒られる方がましだ。まあ、こういう流れになると思ったから黙ってたんだが……一番の原因は翼を失うのを恐れた俺のエゴだからな。悪かった、生きてる事で勘弁してくれ」
山吹が天を仰いで呟く。
「……敵わないですねぇ」
海藤は何も言わず御門の影を見下ろした。
無言の会話。
それで良かった。
風が強く吹き抜ける。
「きゃぁっ!」
思いがけない悲鳴に二人が御門を見ると、その本人はスカートを押えて顔を赤くしていた。
「み、見たでしょ」
それに応えず、二人は周囲を確認して、もう一度御門を見る。
「な、何よ」
「空、その口調……周りには誰も居ないんだが。お前、翼じゃないよな?」
「あ! っとと、あわわ!」
御門は口を押え、スカートから手が離れた事に気付いてその場にちょこんと正座した。
気配を探るように覗き込んでいた山吹は確信を得た様である。
「翼さんは男の口調など使いません。空さん、リラックスして普通にお話し頂けますか? こんな事で僕等が避けたりする筈が無いと信じて下さい。気付いていないのかもしれませんが、名前の呼び方がいつも通りでしたよ? 組手中も違和感がありましたし最後は「ね」でした。意味、解りますよね?」
訊ねる言葉に迷いが無い。
その隣で海藤はポンと手を打った。
「あ、宮代と大河の事か」
オロオロしていた御門は諦めたのだろう、ふぅっと息を吐く。
「そのぉ……隠してた訳じゃないんだけど、寮生が増えたお陰で学園も寮もずっとこの言葉で話してるでしょ? まるで英語教材みたいな効果でさー、母国語なだけに馴染む馴染む。お陰で今じゃこっちがデフォルトなの。咲に指摘されるまで気付かなかったくらいで、あの子が言うには洗脳レベル」
御門の言葉は実に自然であった。
気遣ったつもりなのだろうか、海藤は軽い口調で助言する。
「じゃあそのままでもいいだろ。山吹も俺も気にしないんだから、男に戻ったらまた魔力で矯正して貰えばいい。無理に男言葉使わなくてもいいぜ」
だが御門は深刻な顔になった。
「なってみないと解らないと思うけど結構精神に効くよ? これ。だって、自分の姿をはっきり思い出せるのに鏡の中は今のあたしだし、翼の影響を濃く受けた体で仕草も女の子らしくなるばかりだし、言葉は知らないうちに馴染んでるし、気付いたらおね、うっ、――みず――け――あぁもういいや、気付いたらお姉さまに甘えてるし。不安になるなって言うのが無理よ。あんたならどう? その姿が頭にあってさ、だんだん女の子らしくなって行くなんて想像出来る?」
出来るかと問われて海藤はこめかみに指をあてて考え込む。
だが、
「……全然思い浮かばねぇ」
それが答えであった。
「でしょうね、そんな概念無いもの。環境で変わっちゃうのは阻止出来ないって知ってから本っ当にキツイくて。今後あたしが少しでも自分を維持するには、さっきまでのスタイルを貫くしかないからさ――」
そこから男言葉を意識して頭を下げた。
「――気を遣わず協力してくれると助かる。時々翼の地が出るかもしれんが、頼む」
海藤と山吹は顔を見合わせ、御門に視線を戻して立ち上がった。
返事は短かった。
「あなたの思うままにして下さい」
「俺達に出来る事なら何でもする」
ゆっくり顔を上げた御門は、二人が差し延べた手を見て、掴んだ。
「すまん」
三人の話はそこまでであった。
こちらへ向かう明るい声に振り向かされる。
風に遮られて何を言ってるのかまでは解らないが、遠目にも微笑ましいくらい仲が良い。
御門を認めた二人の少女は、顔を見合わせて互いを指し、笑顔で何か言い合ってから駆け出して急速に接近した。
「空ちゃん、お待たせ!」
「お姉ちゃん、行こう!」
通り抜け様に腕を取って連れ去る。
「あ、ちょ、ちょっと? な、なに? どうしたの? 二人共――」
後ろ向きに引き摺られて遠ざかる声は、すぐに「キャッキャうふふな音」の認識に変わった。
その光景を眺めながら海藤が口を開いた。
「取引きの事を言うんじゃなかったのか?」
「嬉しさに浸ってタイミングを逃しました」
「片桐家の復興と翼の滞在期間を天秤にかけた答えが制限期間だけは据え置きとはな。あいつらは何も悪くないだろう」
「手帳の件も含めエド一人の責任で逃げられましたからね、功績としては今ひとつなんですよ。それにも関わらず無期限滞在許可が下りたのは向こうの大きな譲歩、有利な所で引かないと白紙化されます」
「…………称号をチラ付かせてもか?」
「やはり『俺の常識』と表現したのはその意味でしたか」
「ちっ、気付いてたのかよ。で、どうなんだ?」
「やぶ蛇となるので」
「そか、了解した。気が向いたらでいい」
詮索しないと言う意味だ。謝罪が無いのは「お互い様」だからだろう。
「あれだけ楽しそうにしてるのですから文句は言わせません」
風が吹き、女子特有の高い音を運んでくる。
派手に転んだ御門が左右の二人に何か言っていた。
捲れ上がったスカートを両側から指摘されて直し、周りをキョロキョロ見回してから海藤と山吹に向かって口を動かす。見るなバカと言っている様だ。勝手に転んだくせに。
腕を引かれ今度は向こう正面を向いて立ち上がり、埃を払いながら歩き出すと、今の醜態をからかわれでもしたのか、少し小さくなって右にふらふら左にゆらゆらと揺れ、ほどなくすると背筋を伸ばして普通に歩き、両側の少女と顔を見合わせながら笑顔で何か言っている。
「楽しそうではあるけどな。初めての学生らしい楽しみ方があれでは少々気の毒じゃないか?」
「それについては彼女のお父様が判断した事ですから。今年から自由にさせる予定だったのに黙ってろとはね。空さんは『女の子だから甘くなった』と勘違いしてますよ」
「しれっと女扱いしてやるなよ。ま、あいつは甘えるのにも理由がいるから丁度いいのかもな。以前より人間らしい点は評価する」
少女達が振り返って大きく手を振り、二人は笑いながら軽く返した。
「魔族と融合した結果というのが皮肉ですけどね。にぶいのは変わらないというのも」
もう一度、少女達が振り向く。
間に挟まれた御門は妹達の手をしっかりと握り、楽しそうに笑っていた。
――FIN――
お疲れ様でした。
ここまでお付き合い頂きありがとうございます。
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