崩壊―3
爆発が収まり噴煙立ち込める中、ゆっくりと体を起こしたのはエドワードだった。倒れ込んでいた扉を中心に半径十メートル程が崩壊している。
パタパタと埃を払い、
「ふん、人間風情が手間を――」
忌々しげな言葉を発したところで足元に気付いて、驚きの表情を浮かべる。
「――馬鹿な! 何故こやつが残っている」
すぐ側の床には海藤が横たわっていた。手が僅かに動いている。
「い、生きてるのか! まさか、あの武装術の中でどうやって――うわっ――くっ! ぐぅぅっ」
突然、背後から首を掴まれた。
逃れようともがくが、掴んでいる手はビクともしない。
じわり、と指が這い、親指が前に移動する。
体の向きが変えられ、エドワードの視界が山吹の姿を捉えた。
「術者以外に直接作用する『聖なる火矢』ですか。それ、人間に売るものでしょう? 自ら使う魔族は初めて見ましたよ。虚偽契約でもでっち上げたんですか? まったく、二人を守るのに精一杯で僕もボロボロです」
山吹は見るからに満身創痍である。しかし、エドワードの抵抗が効果を発揮しない程の膂力を発揮している。見た目は優男だが、地下室で鍵を引きちぎったのはこの男である。そもそも人の振りをしている魔族なのだが、その事をエドワードは知らない。
「人間風情にどうにか出来る術ではないはずだ! いや、魔族すらも……はっ! まさか! 貴様は――」
ペキッと音がして激痛が走り、エドワードは声を失った。
「あまり煩くしないで頂けますか? あ、ちょっとオリジナル術をかけました。魔界の医者に見て貰わないと声帯は戻りませんのであしからず。先に卑劣な真似をしたのは貴方ですからね、これくらいはハンデとして貰っておきますよ……」
手の力が抜けて山吹が崩れた。
エドワードは禁忌に触れたかのような慄きを浮かべている。
聖なる火矢は任意の対象に直接作用する。難易度の高い時空断層を設けても二割程度は貫通するため実質防御不可能なのだが、エドワードの見立てでは一割未満しか効果がなかった。そのレベルの断層を一瞬で設置するなどテスラの称号を有する者にしか出来ない。
(もしや、死んだとされるライナスじゃないのか? 連れ帰れば有利な立場を得られ――くっ、喉を潰されては帰還のキーワードが唱えられん。くそっ、危険だが誰かに気付いて貰うには魔力暴走しか――)
「海藤! 山吹! どこだ!」
丁度そのとき、翠川の私室だった場所に御門と翼が現れた。
さすがに分が悪いと判断したエドワードは、隠れる様にしてその場を離れた。
「海藤! 山吹! あれは――翠川さん!?」
御門が翠川を発見して駆け寄り、呼吸を確認する。翼は現れた場所で呆然と立ち尽くしていた。
「ど、どうしよう……あそこであたしだけ残ったから……一緒に行けば、こんなことには……」
唐突に声が響いた。
『ミスト! 私だ、フィリップだ!』
緊急なのか、音声のみである。
本来の名で呼ばれたはずだが、翼は反応が鈍かった。
「……あ……え?」
『ぬぅ、翼で定着しつつあるのだったな。ええぃ、ややこしい。翼! すまぬ! 何者かが管理局のシステムに侵入したらしい、そなたに我等の与り知らぬ制限が掛けられておる! すぐに補助システムに切り替える故、そちらの時間であと五分は巨大な術を使うでないぞ!』
「あ……は、はい」
最初にミストと呼ばれ実感が湧かなかった翼は、パニックに陥ったまま気の抜けた返事しか出来ない。
フィリップがいぶかしむ。
『どうした、翼……む? 廊下があった所に倒れておるのは――』
「直接手ぇ出せないんだろ?」
御門が遮った。
フィリップは何かを言い掛けたが、記録上は無関係でなければならない。場所さえ分かれば充分だ。
『む……確かに。そうであった』
フィリップは不正の証拠を集めるために協力している、という立場なのだ。あからさまに手伝う所を記録する訳にはいかない。
吹き晒しとなった現場で御門が駆け、三人の容態を確認し終えて指示を出した。
「全員生きている。回復術を掛けてくれ。山吹が一番酷い、急げ!」
「は、はい!」
命令されて翼が動く。
山吹に駆け寄り、状態を確認して術を掛けようとしたその時、金属音が響いた。
「え? なに今の? 術の発動みたいな――」
周囲を確認する。
御門は海藤の体にかかった埃を払い落とし、そのまま硬直していた。舞い上がった埃も立体画像の様に止まっている。壁が無くなり素通しに望む木々も、風に煽られた形のまま。
翼以外の全てが止まっていた。
「これは……選択時間凍結? こんな高度な術、いったい誰が――」
下から声が聞こえた。
「良く聞いて下さい。エドワードは聖なる火矢を使いました。彼はミカエルグループのスパイです。目的はおそらく、あなたの抹殺。テスラの称号を持つ者が姦計の被害に遭ったと証言しては困るのでしょう。彼の声帯を殺したので魔界に帰れないはずですが、ミカエルグループの上層部に所属しているなら、魔力暴走を観測させて迎えを呼ぶ方法があります。重要な証拠になるので今から全ての事象を記録し、制限が解除されたらエドワードを複数の空間断層で囲みなさい。それで魔界からは捕捉出来なくなります」
翼は目を丸くして固まった。
「聖なる……! 魔力収束型のアイテムじゃない! あたしだって探知出来ないわ! 生きてるだけで奇跡よ……山吹さん、あなた、いったい……」
質問が多過ぎて投げる言葉を探す翼に、山吹は微笑みを見せた。
「空さんの御父様に大恩ある、ただの学生です。見守っていますよ、若き賢者さん……」
山吹の手が上がり、翼の眉間をコツンと突く。
翼は数秒間意識を失い、すぐに目を覚ました。
「あ……あれ? いま……何を」
「翼! まだか!」
御門の声が背中に当たり、使命を思い出す。
「ゴメン! もう少し!」
翼はパニックが収まった事にも気付かず、意識を失った山吹に回復術を掛ける。
三人それぞれに処置を施すと、すぐに次の行動に移った。
理由は分からない。
ただ、するべき事だけが脳裏に刻まれていた。
いつもの様に呟きを漏らす。
だが制限が掛けられているため、魔方陣か、その代わりとなる動作が必要だ。
両手の人差し指と中指を揃えて指先を付け、ひゅっと腕を開いて円を描き、片手だけ捻って指先を再びつける。一瞬、光の帯が視覚化され消えた。次に人差し指を立てて小さく回し、そこに出来たオレンジの環を軽く吹くと、足元に落ちて体を中心に大きな円を描いた。呟きながら左手で宙をなぞって何かの文字が映し出すと、掌を合わせ直角にずらし、ぱんっと大きな音を鳴らした。その音が視覚化された波となって全方位に散る。
優雅な動きの全てが終了したとき――何かの存在を示す様に光点が浮かんでいた。
「見つけた。でも……」
翼の腕が動く前に、御門が掴んだ。
「相手は誰だ。俺も行く」
その目をじっと見つめて翼が応える。
「気持ちは分かるけど相手の魔力が高まり続けていて……あれ? えっと、魔力暴走を引き起こそうとしてるみたい。魔力の大きさから推測して、実行されたら被害は半径三百キロメートルに及ぶかも。……もしあたしがお姉ちゃんを待たず一緒に行動していれば、こんな事態にはならなかった筈よ。これはあたしの責任なの。誰も死なせない、絶対に止めてみせる。だから、お姉ちゃんは皆と待ってて」
翼の感情が、御門に流れてくる。
とても大きな後悔と、更に大きな慈愛の感情。
そう認識した時、御門は既に邸宅から離れた木立の中にいた。
海藤と山吹、翠川も一緒に運ばれている。
左胸で大きな魔力の放出が始まりつつあるのを感じた。
「あの……馬鹿が!」
叫ぶと同時に走る。
御門にもフィリップの声は聞こえていた。まだ五分も経過していない。
不穏な光が邸宅の上空に渦巻いていた。
距離にしておよそ三百メートル。
足には自信があるはずだった。
しかし時間が掛かり過ぎている。階段も上がらなければならない。心肺機能も筋力も足りない女性体になった事を心底悔やんだ。
限界が近い。それでも全力疾走を続けた。
百メートルまで近付いた時。
左胸に激しい痛みが奔り、御門は転倒した。
かつてない大量の魔力放出、全身を襲う強烈な喪失感。眩暈が意識を連れ去ろうとする。
拳を地面に打ちつけて痛みで意識を繋いだ。
轟音が響き顔を上げる。
眩い光が邸宅を包み込んでいた。
だが見えない壁が存在するのか、光は邸宅の範囲からはみ出す事はない。一部、翠川の私室だった場所の一階だけは壁が崩れ落ちた。
御門は叫んだ。
愛しい妹の名を。
また、走った。




