1日目―3
翼の身長は二十センチほど高くなっていた。
全体の印象が大人びて背中まで届く栗色の髪も良く似合い、まるで数年後の姿を現在に再現したかの様である。大きな丸い目に幼さを残しているが、見掛けの年齢は御門達と変わらない。
魔力で調節したのかダブつきの無くなった服はスッキリしたシルエットを演出し、おそらく百五十近い身長をより高く見せていた。
これだけでも充分な驚きだが、海藤と山吹の驚嘆は御門の変化にあった。
御門は、服装も含めて翼と瓜二つになっていたのである。
翼が声をかけた。
「あは、可愛いわよ。空ちゃん」
御門は愉快そうな声を聞きながら体中にパタパタと触れて元の場所へと歩く。
「確かに平均化だが戻れるんだろうな?」
「もちろん。お試し的なものよ」
「そうか」
ひと言だけ発して構えた。
拍子抜けしたのは翼である。
「ちょ、ちょっと、それだけ? 他に感想は無いの?」
御門が取り乱せば主導権が握れると考えていたのだろう。しかし期待はあまりにも容易く砕かれた。
「不服か?」
短く返す御門に翼が手を振り回して力説する。
「こっちは大きな術を使ったの! 少しはリアクションしてよ! それに空は女の子になったのよ? 普通なら『馬鹿な!』とか『なんで女に?』とかって驚く場面でしょ?」
「体格差を埋めるための措置だろ? ここまでするのは珍しいが理想かもしれん」
御門は珍しい云々で語れない事をさらりと言ってのけた。翼が奥歯をギリリと噛み締める。
「くっ、や、やり難い感性してるわね」
「御門君に正当な精神攻撃は効かないですよ。ある種、天然な所がありますから」
声は山吹であった。海藤が付け足す。
「十二年間も妹をやってきて気付かないのはどうかとも思うけどな」
冗談めかしての翼の鈍さを指摘する言葉に山吹が返した。
「いやぁ、それも無理でしょう。何せ兄妹ですからね」
「そういやそうだ。似てるもんな」
顔を見合わせて「あははは」と笑う二人は明らかに遊んでいる。
「そこの二人! うるさい!」
睨みつけた翼であったが二人から慈しむ様な眼差しを返されて視線を逸らし、やや紅潮した顔で御門を指差すと再び叫んだ。
「さあ! 勝負の方法を言いなさい!」
沈黙が流れた。
「……あのなぁ――」
御門は構えを解くと、腰に手を当てて首を傾げた。
「――勝負を言い出したのは翼だろ? 忘れっぽいにも程があるぞ」
呆れた様な声に翼の顔が更に赤くなる。
「わ、忘れっぽいとは失礼ね、あたしはさっき提案したじゃない! な、なによ、可愛い仕草までして! あてつけのつもり?」
「知るか。元々持ってる癖だ」
風に揺れた髪が顔にかかり、御門はそれを片手でパッと背中側へ払った。
「くっ……その仕草も腹立たしいくらいに似合ってるじゃない」
苦々しく言うと御門が悪戯っぽく笑う。
「ちょっと意識してみた」
「ふ、ふざけ――!」
叫びかけた翼の目前で、ふわりと光が舞い上がった。
「――え?」
自身の体を見つめると同時に、ぽうっと淡いピンクの光に包まれる。
「えぇ? いつの間に? ちょ、ちょっと、そんなっ、駄目!」
焦りを浮かべて光を払う様に両手を振り回したが効果は無く、光は急速に膨張し大きな球体となって――正面へ飛んだ。その先に御門がいる。
光球が触れる寸前、御門の姿が消えた。
無間踏。
間合いを詰める業の応用であろう、御門は一瞬で場所を移動している。しかし――
如何なる原理なのか光球は完璧に追従し、移動に次ぐ移動で振り切ろうと試みる御門を六度目の移動と同時に呑みこんだ。
「御門!」
海藤の叫びが夜気を裂き、山吹と共に駆け寄る。救おうとしたのだろう、躊躇う事無く御門に手を伸ばしたその瞬間、光球は弾かれた様に天空へと飛び去った。
両腕を軽く広げて体を見回す御門に異常はないらしく、公園内は何事も無かったかの様に静まり返っている。
翼だけが頭を抱えて慌てていた。
「なんで? い、いつ? ど、ど、どうしよっ、どうしよっ」
同じ場所をぐるぐると歩く翼に海藤と山吹が叫ぶ。
「魔力は使わないんじゃなかったのか!」
「不本意ですが、討たせて頂きます!」
御門を庇う様に立ち塞がり近付く二人を見て翼は全力で否定した。
「こ、これは違うの! あたしじゃない、あたしじゃないよぉ!」
二人の接近を拒むように両手を突き出し、涙を浮かべてイヤイヤと首を振る。
その腕を山吹が掴んだ。
「だったら! 何故!」
「きゃぁ!」
翼が悲鳴をあげた瞬間――周囲の空気が膨張し、山吹は後ろへと跳ぶ。
着地した山吹が横を見ると、海藤は呆気にとられた顔で構えを解く所であった。
「手……? か?」
独り言を漏らしたのは自らに確認したのかもしれない。困惑した視線の先に巨大な褐色の手が出現し、翼の体を鷲掴みにしていた。
翼の叫びが夜の公園に散る。
「やだやだやだ、お願い放してーーーー!」
その声で海藤が我に返り、
「ちっ! しまった! 御門が!」
後悔の叫びを放って振り向くと、翼と同様に御門も巨大な手の中であった。
駆け寄ろうとした二人は更なる異変を感じて足を止め、周囲を観察する。
そして――
唐突に巨大な頭が現れた。
縮尺的に手の主であろうと知れる。
眼球だけ動かして御門と翼を見たその頭は正面に並び立つ海藤と山吹も一瞥すると、何も言わずぐいぐいと持ち上がり、首、肩、胸が上へと流れ巨大な腹筋の列まで現れたところで出現が止まった。頭部までの高さは二階建ての屋根くらいだろうか。器用な事に両手は最初の位置から動いていない。
唇が開き、重厚な声が響いた。
『対人間契約基本管理法、第一条。魔族から斡旋して契約を結ぶべからず。
第二条。第一条に該当する契約であっても、人間が拒否しなければ締結は可能とする。
第三条。第一条に該当する契約が承認された場合、魔族側がこれを拒否する事は信用を著しく貶める行為であり認められない。
第四条。認められる例外は、魔族がもたらした不可抗力によって対象の生命が危機に晒された場合、あるいは婚姻に限られる。
本契約は第一条及び第四条に反する違法行為であるが、御門空による承認は為されており、ミスト=テスラ=スタンダールも「翼」の名称に応え、受け入れは成立した物と判断される。よって、本件は翼として契約を締結させるのが妥当と考え、第二条及び第三条に基いて速やかに処理をするものである』
事務的な口調から悪意は感じられない。
海藤と山吹は顔を見合わせた。
「なんだ? こりゃ」
「さて? 話し振りからすると管理機関に該当する方でしょうか」
巨人が視線を落とした。
『そこの眼鏡の少年よ、察しがいいな。隣の少年も証人になるが良い。共に立会いの上で契約を締結させたく思うが如何かな?』
海藤は頭をかいて山吹を見た。
「あ、え~。どうなんだろうな、これは」
問われた山吹は平然と答えた。
「命に別状ないのでしたら、いいんじゃないですか?」
巨人は大きく頷く。
『うむ。危険なものではないと保障しよう』
「じゃあ、決まりだな」
「ええ、お好きにどうぞ。証人にもなりますよ」
『ん。よかろう』
巨人が僅かに手を持ち上げた。
翼が涙目でもがき続ける。
「あたしは嫌! ぜったい嫌よ! なんでぇぇぇー!」
その頭を巨大な親指と人差し指で固定し、翼の顔を御門へと向ける。
『違法とは言えそなたの始めた契約ゆえ、な。往生際が悪いのはみっともないであろう。契約者を見るが良い、すこぶる落ち着いているではないか』
巨人の言う通り御門は落ち着いていた。
「鈍さもここまでくると尊敬するな」
「全くです。よく落ち着いていられるもんですね」
海藤と山吹が呟くと、御門は飄々と返した。
「業を試してみたんだがこの巨人は魔に該当しないらしい。命が保証されているなら成り行き任せでもいいだろ」
巨人は何度も頷いた。
『ふむ。お主の業、私には効かぬが魔族には有効だ。斯様な業の存在理由を否定するものではないが、強大な力なれば行使前に正当性の自問と熟慮を要望したい。ともあれその豪胆は賞賛に値する。今宵は時間が無い故いずれ機会を持ってじっくり話してみたいものだな。では、強制契約を実行する』
そう告げて両腕を動かす。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
翼の絶叫が夜の公園に広がり、契約の瞬間――全てが硬直した。
「うわっ……これは……」
「とりあえず……諦めが肝心ですね」
呟く二人の目前で、同じ姿の少女達は強制的に唇を重ねさせられていた。
巨人に解放されると翼はグッタリと倒れ、放心状態の御門も地面にへたり込む。
直後、天から光の柱が降りて二人を包み、体内へ吸収されるかの様に細く消えた。
巨人は満足そうに微笑むと御門に手を差し出す。
『うむ、契約は結ばれた。何か不都合があれば私、ドン・フィリップまで連絡するが良い。名刺を――む? 今は何も聞こえぬか。そこな眼鏡の少年、共同立会人として、この少女を頼むぞ。お主に名刺を渡しておこう。連絡先は裏にある』
反応の無い御門に首を傾げたフィリップは話し相手を山吹に定め、大きな指先で器用に摘んだ名刺を差し出した。
受け取ってひっくり返した山吹が目を丸くする。
「えっとですね、一応伺っておきますが、これは何の数字ですか?」
『電話番号に決まっておろう』
横から海藤が覗き込む。
「……何桁あるんだ? これ」
訊ねたのではなく呟きである。それにもフィリップは答えた。
『八十三桁の直通番号だが少々間違っても他にかかる事は無い。今回の契約は極めて珍しいケース故な、我等の管理不行き届きの面も考慮し可能な限り善処するつもりだ。とりあえず――』
大きな指をバチンと鳴らす。
ごうっと衝撃波の様な突風が吹き抜けたのは所謂「魔力」によるものであろうか。
『――うむ。これで良い。そこの少女達の存在に齟齬が無いよう干渉しておいた。日常生活で困る事はないであろう。質問はあるかな?』
「答えてもらえるなら――」
海藤が手を挙げた。
「――まず何が起きたのか教えてくれ」
『ふむ。貴殿らは強制契約を非人道的と捉えるやもしれぬな。だが深刻な被害を生むとあっては放置出来ぬのだ』
フィリップは伏し目になって思考し、言葉を選ぶ様にゆっくりとつむぐ。
『個人の利となる術の行使は理への干渉ゆえな、契約にて事前に受け入れを宣言せねばならぬ。未契約での行使は事実との齟齬による歪みが生じ、術の行使を承認すると時間の経過と共に歪みが膨張、やがて爆ぜて魔力暴走が発生する。平行世界の概念は理解しておるか?』
「このタイミングで聞かれたんだ。存在すると解釈したよ」
『うむ。この銀河丸ごとブラックホール化した平行世界が存在する』
「――っ!…………理解したぜ。右折した俺が左折した俺と一緒に同じ道を歩いてる状態が魔力で辻褄を合わせ続けられ、その限界が来たとき、一気に戻ろうと互いの世界を喰い合って弾ける感じか。契約した結果の俺を本来の存在として固定するための措置が強制契約だな?」
『その理解で良い』
「なら契約解除の条件は双方の合意で合ってるか?」
『然り。ただし、ミストは魔力使用制限の罰則が課せられる。とはいえ年収百億が一千万になる様な物だ。その条件で言えば人魔融合も原状回復も術の行使は一億の魔力を消費する』
「OK。了解した」
『うむ』
フィリップが満足げに頷いた。
海藤としては聞きたい事が増えたのだが、聞いてもいない事を伝える事で話せる限界点を示したのだと解釈し、それ故の「了解」である。どうやら正しかったらしい。
「では僕からも確認を」
山吹は挙手をして尋ねた。
「観測者の居ない世界は存在し得ますか?」
フィリップは目を見開き、スッと閉じてから穏やかな目に変わった。
『少年よ。起きてもおらぬ事で自らを責めるでない』
「なるほど。僕達の判断は間違いでは無かった、と?」
再度訊ねる山吹の声も笑顔も硬く、目などは全く笑っていない。
『私は答える権限が無いのだ。すまぬな』
フィリップの回答は、山吹の質問に対してイエスと返したような物であった。それで納得したのだろう、山吹が纏っていた剣呑な気配は霧散した。
「いえ、こちらこそ。ご無理を申し上げた事、お詫び致します。ああ、そう言えば」
『構わぬが、答えられる範囲で頼むぞ?』
厄介な事は聞くなよと釘を刺すフィリップだが、山吹が数瞬前とは全く違う雰囲気なのも読み取っている。それどころか、醸し出す雰囲気を察して楽しそうでもある。山吹も楽しそうだ。
「大丈夫ですよ。個人の利となる術の行使は理への干渉との事でしたね。御門君にとって利など欠片も無いと思うのですが、この場合は元の依頼にどの程度の干渉がありますか?」
『ミストとの融合ゆえ考えなくとも良い。御門翼の性格は貴殿らが良く知っていよう? 既に幾何かの影響が出ておるよ』
なんとフィリップがウインクをした。それはまるで映画俳優の様で、人を惹き付けるものがあった。
フィリップが帰ったあと、御門と翼をそれぞれ覗き込んでいた山吹は、体を起こして首を振った。
「御門君だけでも反応らしい反応を見せて欲しいものですが、フィリップの言う通り翼さんの影響が出ている様ですね。当面の寝床を確保しないといけないのですが海藤君に心当たりはありますか?」
海藤は山吹の目を見た。
御門も含めて付き合いの長い者同士である。
反対される事は微塵も考えていない様な口調で提案した。
「女子寮は一部屋しか使ってないからな、宮代に聞いてみないか?何とかしてくれそうな気がする」
海藤の提案に山吹は頷いた。
「不確定要素の塊で借りは作りたくない子ですけどね。一年の割りにしっかりしてますし、色々と顔が利くみたいですから頼りましょうか」
力の抜け切った少女二人を立たせるのに時間を要し、四人が公園を後にした時は寮を出てから一時間が経過していた。