救出―6
「ん? 何があったの?」
翼が戻って最初に目にしたのは、床に転がったエドワード、その喉元を踏みつける海藤、マウントポジションでエドワードのスーツに手を突っ込んだ山吹だった。
「地下牢部屋の対面に潜んで記録を取ってたらしくてな。俺らを探しに出てきた所だ」
「これじゃないでしょうか。エドワードさん?」
翼には海藤が答え、山吹が名刺入れの様な薄いケースをエドワードに突き付けた。
「ああっ! こ、壊さないで! 大切な証拠映像なんです!」
「俺達の服が変えられたシーンをカットしろ。出来るよな?」
「三択にしてさしあげましょう。『はい』か『イエス』か『御意』、どれになさいますか?」
「ぼ、ぼかし、では駄目で――ひいいいいっ! な、なんか、全身がザワザワして吐き気がっ! こ、こ、こんなことで消滅とか止めて下さい!」
そこまで聞いて翼は察した。
「プリキューコスの映像? あたし欲し――もがっ」
「察してあげて」
足を踏み出した瞬間、背後から拘束されると同時に口を塞がれ、有無を言わせぬ気配を纏った優しい声が、鼓膜をピリピリと震わせる。
「あなたの趣味をとやかく言うつもりはないけれど、一度じっっっくり話し合う必要があるかなーーーって思ってるの。いい?」
(えーーー可愛いのにぃ)
既に否定されていて不満だが地雷らしい。
(ま、いっか。あとでこっそり貰お)
翼はコクンと頷いた。
…………。
何故だろう。拘束が外れない。
「他の事なら気付かない振りしてあげてもいいけれど。忘れたの?」
言われて思い出す、融合で得た特性。
(あっ……そう言えば考えたこと駄々漏れなんだった! お、怒られる!)
――羞恥心を理解して欲しいだけだ。この程度で怒ったりはしないさ――
内心で慌てる翼の心に流れ込んできたのは、ひたすらに優しく包み込もうとする感情。
(……かなわないなぁ)
翼は御門の腕にそっと触れて。
(ん。ごめんなさい。気を付ける)
もう一度、頷いた。
地下への扉が閉じられ翠川の捜索をと気持ちを切り替えたつもりの翼だったが、やはり何か落ち着かない物がある。
大河の解放とは、姉妹制度への強い憧れを原因とする絶望からの救出である。表面上は普段通りに戻ってはいたが、転移による空間跳躍が阻害されるほど、想いを利用して邸宅に縛り付けられている。
翼から見ると、海藤と山吹だけでなく片桐や宮代も、御門なら大河を説得出来ると思っている節がある。彼らは学園生活で大河との絆を獲得した御門を知っていて、だから全てを任せて安心していられるのだ。それが何なのか翼は知らない。ただ、思い当たることはあった。
黄色いマスコットのキーホルダーだ。
――大切な貰い物だけどな、翼になら……餞別にやるよ――
自信を粉々に打ち砕かれたあの夜。後にも先にも、御門がキーホルダーを手放したのは一度きりである。
寮の鍵に付けているのは知っているが、鍵の開け閉めを翼は見た記憶が無い。二人きりの時はいつの間にか完了していたし、大河や宮代がいる時は翼が開けていた。そう誘導されていた気がする。
「……海藤さん、山吹さん」
「おう」
「はい」
二人の名を呼んだもののどう言えばいいのか分からない。そもそも御門からは「知りたければ心を通わせなさい」と釘を刺されている。
「あの、あたし。ここで待ったら駄目かな。ほら、手帳ならどうせエドワードに渡すんだし、あたし弱いから二人の負担になるし、それから――」
「いいぜ、残りな」
翼の言葉を遮って、優しく力強い言葉をくれたのは海藤だった。
「エドを掴まえられたからな、俺達も同じ事を考えていたんだ。それに万が一のときも二人が揃っていれば攻守に幅が出来て安心だ」
「まだまだ粗いですが、空さんが自由に戦えるようサポート出来そうですので、ここはお任せします。という事で、エドワードさん。キリキリ歩いて下さい」
「ひいいっ、あ、歩きます! 歩くから蹴らないで! あ、翼さん、それじゃ、また――痛い!」
山吹が半ば強引に話を終わらせて、三人が歩み去る。
気を遣われた。そう感じるほどアッサリと去った男達が見えなくなると、
「バレバレだったかなぁ。あたし」
翼は地下への扉に手をかけ、
「…………やっぱ待とっかな?」
誤魔化す様に笑って手を離した瞳には、ある種の感情を芽生えさせた者に見られる迷いが浮かんでいた。
片桐が囚われていた地下牢に入って粗末なベッドに座った御門と大河の二人。御門は大河の右側に座っている。
「あの、大切なお話、だよね? どうしてここに?」
大河は少し落ち着かない様子であった。それもそうだろう。狭い部屋で二人きり、大切な話があると言われてベッドに座っているのだ。親しい友人だからこそ、おかしな空気にならないよう意識せざるを得ない。
「他だと邪魔されそうだから。それにベッドと鉄格子の距離がね、似てるの」
対する御門は落ち着いた物である。シチュエーション的に見れば、それは少し変だという自覚はあった。
――なるほどね。人間愛は持ってても恋愛感情には疎い訳だ――
いつぞやの宮代の台詞を思い出して、全く成長していないらしいと微笑む。さて、まだるっこしいのは嫌いなのだが、どう伝えたら信じて貰えるだろうか。御門はポケットに手を入れた。
「似てる? こんな場所が? 何処と?」
大河は動揺していて会話を続けることだけに集中していた。
だから、差し出された手に乗っている物をすぐには認識出来なかった。
「うん。薄暗さも似てるかな? これを貰った日に」
手作りの黄色いマスコット。
「それがなにか……ええええ!?」
大河はマスコットを指差してフリーズした。
「誰に渡したか――ううん、誰から貰ったのか、覚えてる?」
ほんの一年前だ。忘れる筈がない。最近などは想いが強過ぎて自らが生み出した幻説を疑っていた所だった。
考える前に体が反応したらしく、気が付いたら御門の横顔を眺めていた。そして視線は。
あの、謎の横目で大河を観察していた。夜空の様な深く優しい色も記憶のままだった。
指差していた手が頭に移動し、ぶつぶつ言いながらポカポカと叩きはじめた。
「その癖……たしかに、あの人の。え? わかんないよ? ねえ、わかんない。なんで? なんで空ちゃんが――あれ? 名前……みかど、そら? あの人も、みかど、そら……そっか、あれ? どーゆーこと!?」
手がピタリと止まり、首をグギギと回して御門を真っ直ぐに見た。
「すごい同姓同名だね」
「これはどうなんのよ」
大河の現実逃避を瞬時に理解した御門がキーホルダーを突き付けたらプイッと顔を逸らされた。
「湊? それとも他人行儀に『大河さん』て呼んだ方がいい?」
言い終わる前に大河の顔が戻る。
「湊」
それだけ言って身を縮こまらせると、上目遣いに御門を見る。
「まだ信じらんない。どうしてそのキーホルダーを持ってるのか正確に教えてくれる?」
「だよね。ひどい騙され方したみたいだし。あ、わざと言ってるからね? あたし達を信じなかった罰」
大河がビクッと震えた。
目に怒りの色が滲む。
じわりと靄が出てきた。
「やっぱりね。湊、本当は我慢してるだけでしょ。なんでもない振りして、やり場の無い気持ちを抱えて、悔しくて、見下されたくなくて、誰にも言えなくて」
「……あなたに言われたくない」
大河は辛うじて友人であろうとしていた。だが、致命的な溝は存在したままだ。自分の姉が友人の姉になっていたと知り、泣きながら笑顔を作るのに疲れてしまった。知りもしない癖に。その感情が「あなた」呼びとなって現れた。
(靄が濃くなってきたか……あの時に激情型なのは分かっていたが、純粋さから来るものだしな)
御門は溜め息を吐くと、ジャージのファスナーを半分ばかり下ろして大河に身を寄せる。
「ちょ、なに!? それは駄目! 空ちゃん!」
大河が顔を真っ赤にして両手を突き出してきたのを、片手で纏めて掴む。
「ごめんね? 湊。あたしは感情に欠陥があるみたいだから、あなたの気持ちを分かってあげられない。だから伝え方もわからない」
空いた手で、シャツの襟首と柔らかい下着をグイと下に引っ張って、大河の両手を胸の中心にある痣へと導く。
「ちょちょちょちょちょーーっと待って! 空ちゃん!? あたし女! あなたも女! これ違う! 絶対に違うううううううう!――」
ピト。――ふわん。
「――っ!?」
叫んでいた大河がピタリと黙り。
御門の目を食い入る様に見て。
大河の手が動いた。
もぞっ。
「んぁっ!? ――――このっ!」
――パーン!
御門は大河を張り飛ばしていた。
「きゃぁ! ――いったぁい……」
大河がひっくり返り頬を押さえて涙ぐんだ。
それを見下ろしながら御門は胸元を押さえて叫ぶ。
「やっていい事と悪い事があるでしょっっっ!」
「さくらんぼは摘むために育てるんだよ?」
「なに世の理みたいに言ってんのよ!」
「男の子が女の子になるよりも遥かに普通の事だよ?」
体を起こした大河は、悪びれもせず手を伸ばしてくる。
「摘まむなって言ってんの!」
二度目の平手打ちに再び大河が引っくり返る。そのまま。
「女の子になっちゃったんだ」
天井を見上げてポツリと言った。
「まあね。理由も分かったでしょ?」
「戻れるんだよね?」
当たり障りの無い会話だが、大河の目は何かを訴えかけている。それが御門には分からない。
「もちろん」
「ほんとは女の子のままがいいとか?」
「それは無いかな。今すぐでも戻りたいくらい」
ヒラヒラと手を振って否定したら大河が食い付いた。
「そんなの駄目」
「は? なんでよ」
「あたしの事情を知ってるよね? 今ね、ずっと欲しかった物が手に入ったんだよ? そんな簡単に取り上げちゃうんだ、へぇー。ねえ……翠川先輩みたいにあたしを騙すつもり?」
穏やかに見えつつも、やはり情緒不安定なのか。大河は突然地雷をブン投げてきた。
「……あざとっ。湊ってそういう子だったんだ」
きっちり受け取って、ネタにしてきたならとネタで投げ返す。
「そうだよ? 空先輩限定だけど。ね、お姉さま?」
「んんんんっ? そう来る? なんで――あ、そっか。今は女だものね、そういう事になるんだ」
「うふふっ、やっぱり。あのキーホルダーってそういう意味でくれたんだ」
「ちが、えと、違わないけど。うーん、でもねーー……あたしに伝えられる伝統なんてないよ?」
「ううん、そこは問題じゃないの。だって」
大河が体を起こし、ぽふっ、と御門の胸元に顔を埋めた。
「あ。こら! みなと!」
今度は拳を振り上げた御門だったが――
――ぐすっ、すんっ……
「……ちゃんと、居たんだね。幻じゃなかったんだね」
くぐもった声に啜り上げるものが混ざっているのを聞いて動きを止めた。
(……湊。よく頑張った。もう我慢しなくていい)
ふう、と息を吐いて。
「ごめんね、湊。教えてあげられなくて」
大河の腕が背中側に回され、そっと遠慮がちに抱き締めてきた。
御門は大河の頭を撫でて、空いた手で背中をトントンしながら、もう一度。
「うん、ごめん」
大河が、めいっぱいの力で抱き締めてきた。
「……さみしかった」
「そっか。そだね」
「……さみしかったの」
「うん。ごめんなさい」
「ずっと……ずっと会いたかったの、やっと会えたのに、また会えなくなって……やだ、もうやだ! もう、どこへも行っちゃやだぁ! うわあああああああん!!!」
しがみついて号泣する声を聞きながら御門は――霧散した靄を目で追いかけて安堵の表情を浮かべ、大河の頭を優しくポンポンと撫でていた。




