救出―5
パニックに陥った地下室内で、翠川は悠々と大河に近付く。既に大河の体から発生していた靄は消えている。
「あ、お姉さま」
大河が嬉しそうに立ち上がる。
翠川も嬉しそうに立ち止まる。
「あら? あなたは恥ずかしがらないのですね」
「え~、恥ずかしいですよ? でもせっかくお姉さまから頂いたお洋服で――」
翠川は笑顔のまま右手で自分の胸元を抑え、その優雅な仕草を見せ付ける事で大河の台詞に割り込んだ。
「その『お姉さま』はやめなさいな。私に妹は居ません」
大河の体がビクン、と跳ねた。
「え、あれ? でも、お姉さまになってくれるって……」
「そうだったかしら。最初に代わりならしてあげられると言ってますし、それが全てでしょう? 私は姉にはなりません。あくまでも代わりです」
突然の拒絶に大河は崩れ落ち、ぺたん、と座り込んだ。じわり、と靄が滲み出る。
「そうそう、その深い悲しみと自らをも焦がす嫉妬の炎。どんどん出してね? ここまでお膳立てしたのだから役に立って頂戴ね?」
それだけ告げて踵を返す。
目の前に立ち塞がる者が居た。
翼である。
「あら。あなたに影響が出なかったのはどうし――ああ、ミスト=テスラ=スタンダールさん? でしたね。まるっきり人間なんですもの。失念していました」
「否定はしないけど、まず言わせて」
「お好きになさって結構よ?」
翼は大きく息を吸って、両腕をバッと広げると。
「プリンセス・キュートのコス! なんであたしだけ無いのよ!」
魂の叫びと共に、とある二名を指し示す。
「海藤さんも山吹さんも有るのに! なんであたしだけ無いの!? 普通女の子が先でしょ!?」
人間が使用する術が効かない魔界の若き賢者と、おそらく契約で術の行使が可能となった人間。その二人を除いた全員、服を魔法少女のコスチュームに変えられて蹲っていた。
絶叫の原因は、これだった。
「それこそ普通なら、恥ずかしくて立てないと思うのですけど?」
「そんなの決まってるじゃない」
翠川の素朴な疑問に、翼は仰け反ってサムズアップした指で自身の胸を指す。
「あたしが現役小学生だからよ!」
しんと静まり返った地下室。
「…………翼ちゃん、お取り込み中すまんが、身動き出来ねぇ。元に戻せないか?」
声を掛けられて翼が振り向く。
「え。似合ってるのになんで? 可愛いよ?」
海藤の目が遠くを見つめる類いの物になった。
「うん、その話は今度な。このままでは戦えないんだ。少なくとも俺は」
「海藤君、その一言は僕だけ放置されるフラグなので撤回を要求します。翼さん、僕もですよ? 僕も早急に戻して下さい。あと、同期の影響が知りたいので空さんはあのままでいいです」
「!」
「翼? 今『お姉ちゃんをそのままにしておけばあたしも着れるかも?』とか考えたでしょ? ダメよ、戻して」
「あの~、あた、あたしたちも出来れば」
「お姉さま。こーゆー時の翼は絶望的なにぶちんだからハッキリ伝えないと駄目ですよ。翼! 全員、全員戻して!」
「むーーー。勿体無いなぁ」
そこを何とかと全員が懇願し、尚も渋る翼の耳に聞き慣れた声が届いた。
「あ、あ、あの、今度一緒に着てあげるから、あたしも、戻して、欲しいなぁ」
恐る恐るといった様子で手を挙げたのは、いつの間にか通路の隅に貼り付いて身を縮めていた、大河であった。
翠川は既に居なかった。
どうにか服装を戻して貰い、大河が落ち着きを取り戻した所で一般人三人をフィリップの元へと転移させるため、地下室を出て一階に上がったのだが、問題が発生した。
「転移出来ない? 湊だけ?」
「うん……呪いみたいな物と言えばいいのかなぁ。このお屋敷に囚われてる感じ。フィリップも知らない術らしくて探知出来ないのよね」
「あ、もしかしたら」
大河が何かを思い出した様に声を上げた。
「お屋敷の中を案内されてあちこち行ったのと、ワインセラーを順番に見学させられたのって関係あるのかも……どうしよ、順番なんて覚えてないよぉ」
ヒントらしき物に思い至るも同時に詰むという絶望に大河が頭を抱える。その肩に、片桐がそっと手を置く。
「ねえ、あいつが居なくなったのって理由があると思わない?」
「その話で繋がった線があるな。大河さんの感情を気にしていたんだが……吸い上げ続けるために閉じ込めた可能性は無いか? どうせ逃げられないのだからと席を外した、或いは、術の準備をはじめた可能性は」
この時、湊以外の誰もが考え、口にしなかった言葉がある。
贄だ。
そのために連れてこられたとしたら。そこまで考えて、心の中で首を振る。なぜなら。
「もしそうであれば術の分解破壊が最優先となります。しかしこの屋敷が建てられた段階で埋め込まれていたら発見は困難を極めるでしょう。時間の無駄とも言えます」
山吹が御門を見詰める。
「空さん、貴女を信じます。大河さんを屋敷の呪縛から解放して下さい」
信じる。その、意味。
御門は、一つ瞬きして頷いた。
「念のため地下室に籠らせて」
学園初の「兄」は、出来ないとは言わなかった。
それが全員に安堵を、一人に焦燥を追加して与えた。
「んじゃ、片桐さんと宮代を避難させよう。翼ちゃんと山吹と俺で翠川を追う」
「ちょっと待って。あたし達だけ安全圏なんて申し訳が立たないでしょう?」
片桐が進み出た。途端、へにゃ、と座り込んでしまった。宮代もだ。
「あれ。片桐先輩? 咲ちゃん?」
「疲れたんでしょ。相当無理してたもの」
翼が二人に寄り添い、倒れないよう支える。手は頭に添えられていた。
「……嫌な役回りをさせるわね」
御門が気遣うと、翼はゆっくりと首を振った。
「いいの。決めていた事でしょ? じゃ、フィリップに預けてくるわね」
「ねえ、フィリップに言って片桐さんを寮に戻せない? 何かとフォローしてくれそうだし――」
無感情で背を向けた翼に御門が提案した。
「そんなに心配?」
翼は背を向けたまま言葉を遮った。
声の様子がおかしい。
御門が首を傾げる。
「なによ。怒ってるの?」
「聞いたのはあたしよ!」
「うん? ………そりゃあ心配でしょ。あなたは平気なの?」
「なんで聞き返すのよ! あたしも同じ事を片桐さんに提案したもん!」
叫んで翼は消えた。
翠川家の敷地は広い。
大小の庭園を三つ持ち、邸宅から数百メートル離れた木立の中に最小のものがあった。
どこかの観光地から持ってきたかの様な庭園は、和の風潮を凝らした建物と共に周囲の木立に融合し、明確な境目が解らない。気がついたら庭園の中、それを狙ったとしか思えない造りである。フィリップはそこに待機していた。
片桐と宮代をフィリップに預けた翼は、ここまでの全てを小さな光球に詰め込み、それを情報体として提出した。
フィリップは指先で吸収したものを空間に映し、早送りで確認している。
「まだ手帳の回収があるし何があるか分かんないでしょ? もう全部の制限を解除してよ」
その返事に、ふむ、と一言発しただけでフィリップは黙って考え込む。
映像を消してからも何かを思案する様子である。そしてついに翼が焦れた。
「ちょっと、何で黙ってるのよ」
「ん? おお、いかん。考え込んでおった。最後に入っておった片桐という娘の処遇についてだが具体的に教えてくれぬか? あくまでも礼ゆえな、全て無償で干渉する」
要望が後回しにされたものの、進展を見せた話に笑顔をこぼして翼は礼を言った。
「そう? ありがと。片桐さんを今日から寮生にして欲しいの。一人じゃ寂しいと思うから二年の水科蛍子さんを同室にしてあげて。少ししか見て無いけど『ミケ』って呼んで仲良さそうだったし。イメージを送るわね」
その指先から放たれた小さな光球を吸収してフィリップは頷いた。
「ふむ、よかろう。今日の記憶は消してあるようだな。代替記憶はバーベキューとその買出しにでもしておく。それで口裏を合わせるがいい――どうした? 不服か?」
問われて顔を上げた翼は表情が無い。
「う、ううん。それでいいわ。制限解除も早くして」
棒読みの返事をフィリップは複雑な表情で聞き、指をパチンと鳴らした。
片桐と宮代が消え、同時に音が衝撃波となって放射状に広がり、庭園の池にさざ波を作る。木立の揺れが順番に遠くへと伝わる様はすぐに見えなくなった。
翼はもう一度解除要求をして空間を跳躍した。
――はずだった。
「あれ?……あれ?――」
何度も挑戦し、同じ回数だけ失敗している様だ。
翼が焦りを浮かべてフィリップを見る。
「逆に制限を厳しくするって何の嫌がらせ? これじゃ体の維持しか出来ないじゃない」
フィリップは肩を竦めた。
「何もしておらんよ。代替記憶の話から急に様子がおかしくなっておったが……やはりな。そなた魔力を使いたくないのであろう。それほどに今の環境が捨てられぬか?」
「………」
翼は答えない。
肩が震えている。
フィリップの口調は事務的であった。
「本件を解決すれば帰らねばならぬ。故に使えぬ。そういう事であろう? ……なんの力も持たず守られるだけの娘が羨ましいか? では逆の立場であればどうだ。何も知らされず安穏としておる間に何処かで大切な者が戦う。そなたはそれが望みか? あの娘なら自らを顧みる事無く戦いに向かうやも知れぬ。試しに力を交換してみるか?」
力の交換。
それをさらりと言えるフィリップには容易い事なのだ。
翼は変わらず答えない。しかし、見つめるその目には怒りを表していた。
頬を染めて膨らませると、ぷいっと背中を向け――消えた。
腕組みをしたフィリップが呟く。
「得た物は大きいが、脆いな。ライナスの言うとおり人間界で修行を積ませるのが正解かもしれんな」




