救出―4
翼の運動能力は高い水準にある。それは御門自身が文字通り体で感じている。武道スポーツ問わず、どんな競技でも反復演習により動きを体に染み込ませるのだが、先ほどの対戦などは、そのレベルの馴染み具合だったのだ。
「少し前に頼まれて型の演舞を見せたけど あれ、コピーするつもりだったんじゃないの?」
寮での空手を禁止されたのは、翼に見たいと懇願されて叶えてやったのが原因だ。
「う。……だって知識はあるのに使い方が分かんなかったんだもん。お姉ちゃんの情報の多くを一時的に閉じ込めたって言ったでしょ?」
「あたしは普通に使えるけど」
「本人だからよ。情報は記憶でもあるけど、お姉ちゃんは空手に強い想いがあるんじゃない? それを無かった事には出来ないってば」
「想いねぇ。想い……と言えば。母さんがやたら怖かったっけ。あれはどうして?」
御門は人生初の家出を思い出した。無意識のうちに無間踏を使った程、得も言われぬ恐怖に駆られていた。何もされていないのに、である。
「聞かない方が身のためよ? てかあたしが思い出したくない。んで空手だけど、あたしはずーっと知識と体の整合性が取れて無くて、お姉ちゃんの動きを見た事で最適化された感じ」
「やっぱりね。じゃあちょっと闘いを頼まれてくれない?」
さらっと言う御門に、翼は頬を膨らませる。
「今のあたしなら人間が使用する術なんて効かないからいいけどさ。……上手く行ったとしても湊が拒絶するかもよ?」
「そこは大丈夫。湊はね、高等部に上がって僅か一週間で『姉妹のみならず兄までも?』と噂されるようになった有名人なの。公言していないけど、あたしは湊の『兄』と認識されていて――ちょっと。何その顔」
翼の膨れっ面が酷くなっていた。
「つまりお姉ちゃんの妹って事よね。あたしというものが有りながらどういう事よ」
翼は大河を心配しつつ、御門と強い絆がありそうな話を看過出来ないでいた。
宮代に指摘されて御門は自分にとって特別な存在だと気付いてしまったのもあるが、御門が妹として大切にしてくれている事は、触れれる度に流れ込んでくる感情で熟知しているからだ。その場所に誰かが入ってくるなど考えもしなかった。
思わず訊ねたのはその焦りからなのだが、御門は「あなたは普通に妹でしょ」と飽きれたように言って意に介さず、
「理由が知りたければ湊と心を通わせなさい。そのためにも、今はあそこからあたしたちの元に帰らせる事だけを考えて」
翠川を指差した。
カラフルな靄は半径二メートルまで成長していた。表面にも内側にも見える対流の様な動きから、壁を無視して球状となっているのが伺えた。
その発生源である大河を包むように抱き締める翠川は、勝ち誇った笑顔を浮かべて大河をなでている。
翼が無造作に歩み寄る後ろに御門が続く。海藤が宮代を護りながら靄の手前一メートルで通路の左に寄った。山吹も片桐を護りながら通路の右に寄る。
片桐が翠川を見据えて呟く。
「あいつはね、元々は気さくで素直な子なの。中等部二年次に変な感じになって年を追うごとに悪化しているわ。あんなの、あたしの知ってる鮎じゃない」
「そうかもしれませんし、そうではないかもしれません。御門君の姿を覚えていた貴女なら、彼がどの様な評価を下していたのかもご存知なのでは?」
「知ってる。知ってるけれど……あいつが湊の兄になってくれた事も覚えているのに今は女の子として見てて違和感無いとか自分で自分が分からないのよ。何なの? この状況――――って、なんで頭を撫でるの?! セクハラよセクハラ!!」
頭の上にあった手を払いのけて片桐が叫んだが、山吹は全く意に介さない様子で笑みを浮かべている。
「拗ねた顔が幼かったもので、つい。我々はここを突破して手帳を探すと同時に、貴女達を脱出させなければなりません。忘れないで下さいね?」
「殴りたければあとで、ね。ハイハイ、覚えてるわよ」
不機嫌な顔を隠そうともしない片桐が見守る中、翼が翠川に襲い掛かった。
翠川の身長が一六五、大河が一五五、翼が一五〇という身長差である。
翼は二歩の助走で靄に突っ込みながら飛び上がり、大河の頭越しに正拳突きを放った。翠川が腕で防御する。その隙に御門と宮代が大河に飛び付いて、翠川から引き離す。
翼は型の連撃と体に染み付いているコンビネーション知識を擦り合わせ、技として繰り出す。
翠川の左手を跳ね上げる軌道で右正拳を顔面目掛けて放ち、翠川が躱す動きに合わせて左逆突きを胃の位置に叩き込む。
それを翠川は右肘から先を一瞬だけ捻るスナップで弾き、戻った手の指を揃えて突きだした。狙いは目である。超高速で三回。
翼は弾かれた腕に合わせて半歩の横移動。首を傾け、捻る。視線は翠川の貫手から外さない。三発目も左に躱し、その動作を溜めに変え、左下突きの力とすべく解放――
――ピリッ――
――しかけたところで首筋に奇妙な電気信号が走り、何かを考えるより早く左膝を折る様に屈む。翠川の右足が大きく開きながら引かれるのを見た。
――ピリッ――
(え。これじゃ足りない!?)
直感の叫びに従うなら、体を右に開いて床に転がり、一挙動で起き上がって半歩下がりながらの後ろ蹴りだが。
翼は左足を踏ん張って右に体を振り、前転から右に倒れて右足で地面を蹴る。続いて左足。横倒しの独楽となって右脚全体を大きく素早く振り抜いた――ピリッ――
――胴廻し回転蹴り!
どかっ!
「――ぎゃんっ!!」
翼は体が上を向いたタイミングで尻を蹴り上げられ、開脚したまま縦回転となって飛ばされた。
一方、翠川から引き離す事に成功した大河は。
「いや! やだ! お姉さまから離さないで! あたしだって側に居たいの!」
最初から駄々っ子の様に暴れていた。
それを宮代が抑えて宥める。
はずだった。
「え? 翠川……さんに妹は居ないんだけど。あれ? 入院してて姉を得られなかった子って、まさか、みな……と、なの?」
その言葉が引き金となったのか、大河の目が怒りを放って見開かれた。
「そうだよ! たった一度の病気で! 生涯姉妹を持てなくなった憐れな女があたしなの! あたしからお姉さまを奪った貴女が! なんでまた邪魔するのよ!」
腕を振り回して一発、二発と宮代に拳を投げつける。
「っ!? 湊! ダメ!」
咄嗟に割り込んだ御門だったが初撃を防げず、宮代は呆然としたまま無抵抗に殴られて倒れた。
「咲!」
片桐が叫び、手を伸ばしている。足は既に宮代に向いていた。
「あーっはっは! そうよ! 奪われた女と奪った女が一緒に過ごしていたの! あーっはっはっは!」
翠川の笑い声に御門はハッとして翼の姿を探す。
「空! 翼ちゃんは大丈夫だ! ――痛ぇな! こっちゃ目ぇ閉じてんだから暴れるな! 頭から落とすぞ!」
海藤に呼ばれてそちらを見ると、出入口側の壁を背にした海藤が、翼を逆さに抱き止めていた。御門を除けば翼は唯一のスカート勢である。当然あられもない格好になっていて海藤が色々気遣いながら逆さから戻されながら「見るなー!」と喚いて手足を振り回していた。
「プラン変更ですね。大河さんは激情を秘めた子だと理解していたつもりですが、これほどとは。さて、あなたが切り札となるしかない様です。どうされますか?」
いつの間にか山吹が隣で翠川を警戒していた。翠川は翼に集中している。
山吹の問いは、これ以上大河が姉妹制度絡みで負の感情に蝕まれないよう鎮める手段の事だ。
彼女が姉妹を持てなかった原因を海藤と山吹は知っている。御門の目が届かない所でのフォローを頼む都合で概要を伝えたからだが、出会いの話まではしていない。ここで聞いてきたのは、御門が必要な事しか話さない性格であると知っているからであり、隠し球を使うなら今しか無いという進言でもある。
「湊……大河さんに、あたしの正体を明かすわ。あの人は、翼が倒すならそれでよしの方向だけど、五分経ったら介入して。湊の方はそれまでに頑張ってみるから、逃がさないようにだけお願い」
翼が再び翠川に挑みかかった。
飛び込み気味に左右の正拳を躊躇なく顔面に持っていく辺り末恐ろしい才能だが、左のフックと見せて肘打ちから右中段後ろ蹴り、送り足でタイミングをずらして右上段下段の連続横蹴りと繰り出していく技の全てが、喉、下腹部、顎、股間を的にしている。
「……我が妹ながら、えげつないわね」
空手で言えば翠川は右構えのサウスポースタイルだ。対する翼は左構えのオーソドックススタイル。普通なら右利きは左利きに苦手意識を持つものだが、御門の場合は左の縦蹴りを相手の死角からノーモーションで打てるため左利きは得意な相手であり、その体を使って戦う翼は初めての実戦だから苦手もへったくれもない。現時点で二段に届いているのではないかと思わせる動きを見せていて、しかも良く良く見れば楽しそうに笑っている。
そして翠川はと言えば、こちらも笑っている辺り少々おかしい。
「……なんと言いますか。この二人、手が合い始めている気がしますが」
山吹がそう言って出口に陣取っている海藤を見ると、やはり同じ事を感じたのだろう、両拳をコツコツと当ててから手首で交差させてグッと力を込めるというジェスチャーを送ってきた。
レベルが近しいが故のブラッシュアップ効果なのか先程より翠川の隙が少なくなっていて、海藤をして「俺ら側」と言わしめた体幹を活かして上体を立てたままのスウェーの際に、左足のみ、右足のみ、両足で、の摺り足を斜め方向に使い初めている。この間合いの調節は明らかに空手の物だ。歩み足や踏み足もしれっと使っていて、翼のコンビネーションの途中に鋭い貫手を割り込ませると、ついには左の上段受けで翼の拳を流してカウンターの正拳を打ち込んだ。
「っ! あぶなっ! なんで!?」
ギリギリで首を捻って躱した翼が叫び、翠川が、
「その技ならさっき見たわ!!」
叫び返して左中段前蹴りを放った。
「ピンク!!」
翼が左下段払いで流して叫び、右下段蹴りで着地の足を狙う。
「私はデニム! それは貴女! お買い上げありがとうございます!」
翠川は流された足の膝下を畳んで強引に戻して着地、前掛かりの重心を利用して右の貫手で翼の喉元を狙い、左手で腰を指差した。
翼は心底悔しそうな表情を見せて。
「ちっ! あんたんとこのが可愛いからでしょ! シッ!」
「お褒めに与り光栄ね! セットのブラもオススメよ! フッ!」
「はんっ! 言われなくても! 今日だって着けてるし! シュッ!」
「ファーストしか無いですけどね! フンッ!」
「んなっ! あ」
――どごっ――
「おわっ! またかよ!」
また、翼が吹き飛ばされた。
「……………もどかしいですねぇ」
山吹がやれやれとでも言う様に首を降った。
「……………死んじゃうからねー」
自分達が相手をした場合にうっかり起こりうる事を示唆して、御門も首を振る。
「とは言え、ここが限界でしょうね」
山吹の目がスゥと細められる。
そこに何を見たのか、翠川が片手を上げて。
「あら? 随分と剣呑な空気を纏っていらっしゃいますのね。それなら、勿体無いですけど使わせて頂こうかしら」
振り下ろす。
何かが弾けた音がして、地下室を虹色の光がふわりと駆け抜けた。
「あ、しまった! ――――!?」
御門が一歩踏み出して全身を覆う違和感に気付き、即座に動きを止めると、自身を目視しながら体のチェックを始めて。
思考が停止した。
「――え? 何よこれ」
声は御門ではない。宮代だ。
「は? ええ? ちょ……」
次は片桐だった。
「んなっ! うわあああ! ぜ、全員目を閉じろっ!!」
海藤の叫びで御門が再起動し、首を巡らせて翠川を探す。その隣で山吹から怒りのオーラが吹き出した。
「ば、万死に値します!! 歩いて出ていけると思わない事です!」
だが、その怒りを向けられた翠川は、優雅に手首を返して山吹を指差すと。
「可愛いパンツが見えてるわよ?」
ニッコリ笑った。
パステルカラーで染まった地下室に、男女五人分の悲鳴が響き渡った。




