救出―2
御門達と別れたあと、翠川が手配した黒塗りの頑丈そうな乗用車は住宅街から離れる方向へと走り、いつの間に現れたのか奥に木々の窺える高い塀が窓の外を流れていた。
「既に当家の敷地内に入っているので安心して下さいね」
目を丸くした大河が窓外を眺める姿を翠川は時折くすくす笑いを漏らしながら眺め、塀が無くなって木立に囲まれた道路に入ってからは、見えはしないもののどの方向にどんな施設があるのかを時間潰し変わりに説明していた。
見えてきた巨大な邸宅は欧州のとある屋敷を模したものだそうで、豆腐に例えると長辺の南を正面とする三階建て、中央を四角くくり貫いた中庭を持ち、東西の短辺一階中央がトンネル状に抜かれて、中庭と外を繋いでいる。
大河とて裕福な家の生まれで環境に恵まれているのだが、ここまでの規模は初めて見る。短辺だけでも相当大きな邸宅だ。
玄関を入ると正面の幅広い階段に出迎えられた。上を見れば明るい色合いの吹き抜けと回廊になっていて、もし仮に煤けて薄暗い見た目であればドアを開けた途端ゾンビに襲い掛かられるゲームを連想するだろう。
ただひたすらに圧倒されて何処を歩けばいいのか迷った大河は、ひとまず壁際に向かおうとして翠川に捕獲され、微笑ましいものを見る使用人の視線を浴びながら雛鳥の様に付いて歩くしかなかった。
屋敷内を案内すると誘われた頃には若干マヒしたお陰で落ち着いてはいたのだが、そうなると片桐と宮代の事で頭がいっぱいになってしまい内心それどころではなかった。だが一晩世話になる手前もある。そのため焦りを出さないよう意識して翠川に従っていた。
表情からは本来の明るさが消えていて何もかも上の空といった状態である。どこを歩いたのか、どんな部屋に案内されたのかなど覚えていないだろう。
はじめて反応らしい反応を見せたのは、薄暗い地下に入ってからだった。
幅二メートル程の通路。左右には数メートル間隔で扉が並ぶ。突き当たりが遠い。不安そうに扉の列を見ながら、翠川の背中に声をかける。
「あ、あの、翠川先輩……ここ……は……」
振り向いて微笑みかける翠川は大河も良く知っている生徒会長に間違いなく、涼やかな落ち着いた声にも不審な点はなかった。
「くすくす、そんなに怖がらなくても大丈夫、父自慢の地下ワインセラーよ。来客があると必ず案内する事になっているから少しだけ付き合って下さらない? ここを見ないまま父と対面するとお酒の講義が始まるのだけれど私達未成年でしょ?」
笑いながら最初の扉を開けた。
内側には半分程に狭くなった通路が続き、その左右に棚が設えられ無数のビンが寝かせてあった。暗さに慣れるまで正面の壁を認識出来ない奥行きが軽い眩暈を呼び、小さく聞こえる空調設備の唸りを何かの咆哮かと錯覚させる。
「そう……ですか……」
大河は理解したと意思表示をしたがその視線の泳ぎ方は不安を隠しきれず、自らの体を抱いて薄ら寒い空間から身を守る様に縮こまっている。
翠川の案内で生産国が刻まれた扉を次々と巡り、管理の大変さなどの説明を受けたが大河の耳には残らない。
それは翠川に伝わっていた。
「やっぱり年頃の女の子には退屈ですよね」
薄く微笑まれ、大河は焦って両手を振って弁解した。
「い、いいえ、凄く勉強になります。その、知らない事ばかりですから」
「いいのよ、私だって父の趣味に付き合わされて困っているの。見学の順番さえ守ればいいですから、早々に済ませて暖かいお部屋でお茶にしましょう」
翠川は足早になると適当な扉を開けて中を覗くだけに変更し、その気遣いが大河を赤面させた。
突き当たりで引き返すと、これまでの対面にあった扉を覗きながら戻り始め、出口の階段手前にある扉が最後となった。
「さあ、当家の自慢の施設よ。御覧になって」
「は、はい」
バン! と勢いよく開けられて大河は焦り、そっと背中を押されて思わず小走りで室内へと入る。
相変わらず薄暗いが、目が慣れてしまえば不自由しない程度の光はある。
大河は視線を彷徨わせ、これまで見た部屋との大きな違いに気付いて顔色を変えた。
通路は同じだが左右それぞれに五つの小部屋、通路との境界は鉄格子。
説明を受けるまでもなく牢であった。
「ふふっ、びっくりしたのかしら? 見学最後のサプライズにと父が戯れで作った地下牢よ。本当に使用するとは思いもよらなかったのでしょうけれど。左側の真ん中を御覧なさいな」
言われた場所を遠目に覗きながら、大河は通路の中央をゆっくり進む。視線に落ち着きがない。気を抜いたら自分が放り込まれるのではと警戒している様である。
「湊!? どうしてあなたが!」
そこへ突然声を掛けられ、大河は飛び上がった。
声を認識すると同時に寒さと怯えで縮こまっていた体を竦め、恐る恐る牢の中を覗き込んで目を見開いた。
「片桐先輩? え?……どうして?」
牢の奥にしつらえた粗末なベッド。そこに座った片桐も目を丸くしていた。
小さな声は片桐まで届かなかったのか、それとも混乱して反応が出来ないのか。双方共に沈黙を破る事が出来ず、ただ見詰め合っていた。
大河の背後から翠川がそっと抱きしめ、耳元で小さく囁く。
「あの人は罰を受けてるの。あなたを虐めた罪でね。……私が守ってあげるから大丈夫」
「え? まも……る?」
「そう、私があなたを守る。姉みたいなものよ。姉は妹を守るものでしょ?」
翠川の手が這い上がり、頬をそっと撫でる。
――姉――
――妹――
大河の悲しみと、憧れ。
翠川の手を追いかける様に、ゆるゆると手が持ち上げられた。
片桐の声が響く。
「信じちゃだめよ。耳を貸さないで」
翠川が囁く。
「片桐さんはね、入院していたあなたを待てなかったの。その身勝手さで私の妹になるはずだった咲ちゃんを奪い、あなたは継承の連鎖から外れた」
背中から温もりが伝わり、大河の心を満たしていく。
「よくもまあ白々しい嘘を。あんたが咲を捨てたんでしょうが」
「え? すて、た?」
「継承の連鎖を担う私達は姉からの愛情を次代に伝える義務があります。そんな事をする筈がないでしょう」
「湊。当時のあなたは教頭の裁量で退寮処分にされているの。翠川はそれを利用して咲をあたしに譲り、自分は多忙な役職を同時に引き受けることで博愛伝説を作ったのよ。そいつに継承の意思なんて無いわ」
「え? え?」
動揺する大河を暖かく包み込んで翠川が囁く。
「咲ちゃんを奪っておいて良く言うわね。大河さん、一つ大切な事を教えてあげる。双子の様な特殊例を除き姉がファーストネームで呼んでいいのは妹だけ。他は名字と決まってるの。あの人、節操が無いと思わない?」
「あ……たし、かに。あたし名前を呼び捨てされてる……」
片桐が鉄格子に取りついて、ガチャンと音をたてる。
「湊、騙されないで。姉になるときはね、妹の名前を愛情いっぱい込めて呼び捨てる練習をするの。さんとかちゃんは他人行儀だから禁止。それがルールなの。翠川は『咲ちゃん』と呼んでるでしょ?」
その言葉からガードしているかの様に、大河の頭が優しく撫でられる。
(あ……ここちいい……)
自身を抱き締める手をそっと包み込んで、身を委ねる大河。そこに。
「あなたが望んでくれるのなら……私が姉の代わりをしてあげられるわよ?――湊」
耳に声を吹き掛けられた。
「んぁっ――えあ、あのっ、あのっ」
「あら? もしかして逃げようとしているのかしら? だーめーよ? 湊?」
身動ぎする大河を強く抱き締めて鼓膜に声を流し込む。それだけで抵抗の意思がふわふわと拡散して脱力してしまった。
そんな大河の変化に気付き、片桐が鉄格子にしがみついて声を張り上げる。
「だめ! 湊、そいつはあなたを利用したいだけなの! 振りほどいて! あなたさえ良ければあたしが姉になる! もしそれが嫌だとしても、そいつだけは止めて!」
がちゃがちゃと耳障りな金属音が地下に響き渡る中、するりするりと頭を撫でられている。
今さら姉を得た所で伝えるべき妹は居ない。もし得られるとしても本当に欲しかったのは一年前だ。大河も理屈では分かっている。だが。
するり、するり。
(ああ、そっか。あたしやっぱり、こうされたかったんだ)
「そう、リラックスして。私に背中を預けて。ちゃんと支えるから大丈夫よ?」
「あ、え……えと、はい」
大河は翠川の手をしっかりと押さえて、肩越しに翠川を見た。
「なあに? 湊」
やんわりと微笑まれ、大河も同じ微笑みを返す。
「あたし、嫌です」
だが明確な拒絶の言葉。
それをどう受け止めたのか、翠川の拘束が緩む。
「みな……と?」
「それでいいの! 早く逃げて!」
翠川と片桐の声を聞き、大河は微笑んだ。
「あたし凄く辛かったんです。今更そんな事を言われても嬉しくないんです」
そして、絶句している翠川の目をみつめて言葉を続けた。
「代わりじゃなく、本当のお姉さまになってくれなきゃ嫌です」
まさかの、迎合。
大河の選択に片桐は蒼白となって叫んだ。
「湊! あなた何を言ってるの!」
片桐が声の限り叫ぶ。だが大河は緩んだはずの拘束に包まれる事を選び、そこから抜け出ようとはしなかった。
選ばれた翠川が微笑む。
「あなたさえ良ければ、色々と教えてあげる。私に身を委ねる事は出来るかしら? 湊?」
「はい、お願いします。お姉さま」
「いい子ね。ねえ、湊。もしキスしたいと言ったら、あなたにその覚悟はある?」
普段の大河なら首を縦に振る事は無いであろう。
しかし寂しさだけで過ごした三年間は思った以上に心を蝕んでいて、病気に倒れなければ誰の妹になっていたのかを知った今は、その妹と同室とは何の皮肉かと運命や理不尽など目に見えない何かに対して怒りを抑えられなくなり、嫉妬の感情にまみれて内心が荒れに荒れていた。
どこか冷めた目をゆっくりと巡らせて、片桐に合わせる。
暗い感情を宿した瞳。
ハッと息を飲んだ片桐が思わず叫ぶ。
「みなと!! だめ!!」
「ごめんなさい、片桐先輩。あたし、二番目じゃ嫌みたいなんです」
呟く様に言って、存在を確かめる様に翠川の手を撫でている。
「くっ! 翠川! こんなの卑怯でしょ! ここから出しなさい! 正々堂々勝負しなさい!」
がちゃがちゃと鉄格子を揺さぶり大河に手を伸ばす片桐を見つめて、翠川は優越感を漂わせた笑みを浮かべ、大河の肩にそっと触れて向きを変えさせる。
大河のアゴが上がり、そっと目が閉じられ、翠川は満足げに口の端を持ち上げて手を伸ばした。
パステルピンクの何かが通り過ぎた。
「――――は?」
直後に風も通った。
翠川が手を伸ばしたそこに、大河の姿は無い。
どすん、びたん、がちゃん、と派手な音が地下室に響き、そちらを見る。
「いたっ、あいっ、たぁ~~……」
「なに今の、あいたっ、うう、いたいよぉ~~」
鉄格子の前に、大河と絡まって痛みに悶える少女が居た。




