9日目―2
宮代は体育倉庫を望める木立に身を潜めていた。
「んっふっふ~、そらつばのお二人さん。暗くなる時間まで男女二人ずつが密室に残るなんて何をするのかなぁ~。すご~く知りたいなぁ~」
鞄の底からデジタル受信機を取り出して電源を入れる。モニターの四角い光が暗がりに宮代を浮き上がらせた。イヤホンを着けアンテナを伸ばしてプリセットキーを操作して――面白くなさそうな顔になる。
「やっぱり遠いね。どうしよ」
宮代は特別生徒会の準備を手伝うドサクサに紛れて盗聴器とカメラを仕掛けていた。
発信機は長持ちするタイプであり、電池寿命と引き換えに電波は微弱なため映像も音声も拾う事が出来ない。
現在地から見る体育倉庫は正面とその反対側に窓がある。常道であれば手前のグラウンドを大きく迂回して窓の無い面から近付くところだが、急いでも四、五分の遅れは避けられない。得てして何かの変化が起きるのはそうしたタイミングである。
「これもいいネタを拾うため、バレたらバレたときね」
宮代は外塀沿いに貼り付くまで身を寄せて、体育倉庫の二階を注視しつつ走りだした。
カーテンは開放されており、もし誰かが窓に近寄れば即座に見つかる筈である。急がなければ。
「ったく、暗くなったんだからカーテンくらい閉じればいいのに」
呟きながら視界の隅で発生した異常に気付いて立ち止まった。
「何あれ。影? ……じゃないわね」
玄関の電灯に照らされて黒い靄が渦巻いている。
くっきりと浮き上がったそれはやがてスーツを纏った人の形となって地面に降り立ち、まるで人そのものの様にドアを押し開けて中へと入った。
宮代が我を失っていたのは三秒くらいであろう。
全力疾走して体育倉庫と外塀の隙間に入り込むと鞄を開けて機械を操作した。
初めて見る超常現象の興奮に指を震わせながら。
執務室では山吹がモニターを立ち上げていて、背後から翼が興味津々で作業を見ていた。
Enterキーが押され、真っ黒なウィンドウ内の文字列が猛スピードで上に流れ始める。
「うん、まぁ……ファイルを開くのを命令のトリガーにされたら防げないわね。認証画面を空のまま閉じたら現在のIPとGPSを送信、一定時間で認証画面が開くから正しいパスを入れない限り位置情報を教え続ける仕様なのね。それが嫌ならクリーンインストールで削除可能だから単なるアドウェアに見せ掛けられるってとこかしら。鍵は山吹さんしか知らないのに仕込む意味あるの?」
さらっと語る翼を、山吹は期待通りとも驚きとも取れる表情で賞賛した。
「話は伺っていましたが、見てるだけで理解されるとは流石ですね。万が一の備えですよ。鍵自体は双線形写像を使ってますが、どんな鍵であれ桁数が少なければ解読可能ですし、量子コンピュータが一般化される時代が来たら一瞬です。完璧な物は存在しないんですよ」
その後、山吹は暗号理論を展開し翼が頷きながら時に意見、あるいは質問をする。専門用語と数式の飛び交うその光景は何処かの研究室でなされる会話の様であり、中央の長机にもたれて眺めていた御門は視線を海藤に移した。
「何を言ってるか解るか?」
「俺に聞くなよ。相手してるのはお前の妹だろ」
「俺は人間だ」
「山吹もだぜ」
「翼が言うには、山吹も人間の範疇にないらしい。ある意味、化け物だ」
「おぉ、それ同感。野心のベクトルが違ってて良かったと思う時が多々あるもんな」
御門や海藤から見ても山吹は得体の知れない所がある。
道場で拳を交えると、反射神経で勝る御門や単純速度で上回る海藤を詰め将棋の様な組み手で圧倒する事があり、本気で戦ったら一番強いのは山吹ではないかと言うのが暗黙の評価なのだ。
しかし、彼は脚光を浴びる頂点に立とうとはしない。
空手で学園の名を広めるために難なく優勝して見せたが、完璧に捌いて下突きで沈める地味な試合の山吹は、競技者から高い評価を得ているものの格闘通や格闘ファンといった一般層からは理解されず、一瞬の派手な技で勝負を着ける御門と海藤の陰に隠れ続けている。
ロボットコンテストでは優勝よりも注目を浴びる敗退を見せたが記録に残るのは三位までである。記憶に残るとしても「対戦中のハッキング禁止条項を設けさせた変人」程度だ。
どんな事であれ山吹は純粋に楽しんでいる節があり、海藤の言はその行動原理を指している。
パソコンから電子音が響き、処理の終了を告げた。
「――ああ、終った様ですね。後はこの部屋の最終チェックだけですから続きは次の機会としましょう」
「ん。興味深いから楽しみにしてるわ」
異次元二人組みは知識の探求心で意気投合した様である。
山吹は自作の周辺機器を四つ並べ、次々パソコンに接続していく。画面表示を見た限りでは内臓のアプリケーションを読み込むのに少し時間が掛かる様であった。
「それは?」
「ソフトが立ち上がれば直ぐに解りますよ」
二人を見守る御門と海藤は機器の用途と特殊性を知っている。実験では有効だと立証されているのだが効力を発揮する所は見たことが無い。
最終チェックは、あくまでも用心のために行ってきた慣習に過ぎなかった。
風が動いたのはその時である。
「ん?今、下のドアが開かなかったか?」
最初に気付いたのは海藤であった。
注意喚起に耳を澄まし、四人は顔を見合わせて頷く。それと同時だったろうか、執務室の扉が何者かによって開けられた。
人影に御門が呼びかける。
「学園内は関係者以外立ち入り禁止ですし、セールスならお断りですよ?」
どこにでも居そうなスーツ姿のサラリーマンに注意を払ったまま翼を見ると、彼女は首を左右に振った。知人ではないなら人間かと思ったのもつかの間。
「あたしは下っ端なんて知らないもの」
放たれた言葉がこの男は魔族だと言っていた。
内面で臨戦体勢に入った四人は平静を装って男を見ている。
スーツの内側に手を入れた男は全員を眺めてから、
「や、どうも皆さんはじめまして。わたくしこういう者ですが、ええと誰にお渡しすれば宜しいのでしょうか?」
すっ、と名刺を差し出して笑顔を見せた。
三十秒は止まっていただろうか。
「……何処のセールスだよ。翼ちゃん、魔族ってのは皆こうなのか?」
「だから、下っ端は知らないって言ってるでしょ」
「まあ、飛び込みの営業なら門前払いを喰らうでしょうね」
「そこ、論点が違う。お姉ちゃんも何か言ってあげてよ」
「ごめんね? どうやってボケたらいいのか思いつかなくて」
「ボケなくてもいいんだってば! もう、何であんた達ってそうなのよ!」
翼だけ翻弄されているが、冗談めかした会話は男を警戒しての事である。
相手は油断を誘うために間抜けな演技をしているのかもしれないのだ、乗せられては命に関わる。間抜けな話題を模索しながら、その実、彼らの厳しい視線は一瞬たりとも外されていなかった。
男は名刺を引っ込める事も出来ず居心地悪そうである。
「あのぉ……私はどうしたらいいのでしょうか?」
海藤と山吹に目で合図をして御門が歩み寄り、カウンターを挟んで立つ。
「名刺、ですね。これを受け取るだけでいいのかしら?」
「まずは自己紹介という事で。でないと話が進まないもので」
御門は頷き、落ち着かない様子の男へ手を差し出して了解の合図とした。
名刺が載せられ――
手に触れる寸前、御門は男の手首を掴んで半身となるや捻りながら一気に引く。
その動作に如何なる力が加えられていたのか、男は肩を中心に体を舞い上げられ、優雅な一瞬の後、派手な音を立てて中央の机に背中から叩きつけられた。
自由になっている腕と肩を海藤が押さえ、その喉元に山吹が掌底を添える。
男は咳き込みながら目を丸くしていた。おそらく何が起きたのかも分からないのであろう。
しんと静まり返った室内に、御門の少女声が流れた。
「目的を言いなさい。そこの彼が打ち込んだ瞬間に魔力が暴走して消滅するわよ」
冷淡に告げる体は微動だにせず、掴んだ手首も離していない。
慌てた男は目だけで左右を見ながら三人へ話しかける。
「ま、ま、待って下さい、私はただ会社の決定を伝えに来ただけです!」
スーツの上で海藤の手が跳ねた。
回数は一回だが、留めていた二つのボタンは両方とも外されている。
「証明する物はあるか? 言えば俺が取り出す。何処だ」
回答は天井から降ってきた。
『私が保障する。嘘ではない』
聞き覚えのある声だが、御門と山吹は攻撃体勢を維持している。
海藤だけが見上げ、
「おわ!」
思わず声を上げた。
巨大な顔が天井に貼り付いている。それとも覗いているのだろうか。
「おっさん……もう少し加減ってものを覚えろよ」
『おっさんなどではない。ドン・フィリップだ。そやつは会社の処分命令を伝えに来ただけ故開放してやってくれぬか。なんでも人間界に合わせてわざわざ名刺を作ったそうだ。それも受け取ってやれ』
不満そうながら概要を説明した声の主は、御門と翼の強制契約を実行した管理組織の魔界人であった。
御門個人の問題はともかく、干渉のお陰で特別困る事には遭遇していないのは事実であり、恩人とも言うべきフィリップと争うつもりはない。
言葉に従って男を解放した御門は天井を見上げた。
「お久しぶりね。あなたにも聞きたい事があるし、申し訳ないんだけどあたし達のサイズに合わせてくれるかしら? それに上を見上げっぱなしなんて首に良くないの」
『ふむ。ならばそこに降りるとしよう。私の肉体を拝む機会は滅多に無いから喜べ』
「――! 待って! ちょっと待って!」
『なんだ?』
怪訝な顔を見せたフィリップに対し、発言内容から不愉快な想像をさせられて感情を制御出来なくなりつつあった御門は、あからさまに表情を歪めていた。
「肉体って何? まさか素っ裸とかパンツ一丁とかで登場するつもりじゃないでしょうね」
指摘を受けたフィリップは、さもつまらない事を聞いたと言う様に眉の端を下げた。
『問題無かろう』
「大有りよ! この男を見習って服を着なさい! ――……何、その情けない顔は。拗ねたって認めてあげないからね! でなきゃ、こいつを消滅させるわよ! あんたの責任って事で!」
御門が指すと同時に海藤と山吹に両脇を抱えられ、男が怯える。
「そ、そんな! 局長、お願いです、服を着て下さい!」
『ちっ。予想外の反応だが致し方ない』
人並みまで小さくなった顔が引っ込み、天井から足が突き出すと、すとん、と落ちる様に降り立った。褐色の体に真っ白なスーツを纏っている。
しかし。
ネクタイはおろかシャツすら着ておらず、誇らしげに前面を開けて腰に手を当て褐色の筋肉をひけらかしている。
「……なんで素肌にスーツなのよ。しかもサイズが小さくてボタンも留まらないでしょ」




