1日目―1
随分前に初めて書いた長編で、最後のシーンだけ決めてキャラクター任せなノー勉強ノープランのスタートでした。マリ見ての影響あります。というかお姉さまと妹のキャッキャうふふが書きたかったんです。本当です。なんでこうなったのか分かりません。
川沿いの平地から、遠く北に位置する小高い山までを覆う大規模な住宅街。その外れに広大な学舎のエリアがある。幼年部から大学部までを一ヶ所に揃えた私立聖鳳学園だ。
西北角の隣接する敷地には学生寮があり、中等部のみ全寮制で高等部からは遠方の生徒や情操教育を望む生徒など、一部の希望者がここで生活している。
寮でありながら避暑地の宿泊施設の如き外観の洋館は、大小の二種類。大きい方は三階建に相当する高さながらも内部は二階建であるため、二十メートルほど離れた小さい洋館と繋がる渡り廊下は傾斜が付いている。
大小の二棟が一組となり、南から北へと八組を整然と並べた景観は、仲の良い姉妹が手を繋いで列をなしているようにも映る。
それぞれの列は中庭の前に点々と植えられた木を境目としているが、最前列の妹だけは生垣と鉄柵によって物理的に分断されていた。渡り廊下も鍵のかかる扉で仕切られている。
この一画は、前年度からの一部共学化に伴って開かれた高等部男子寮である。
新入生達も落ち着きを見せ始める四月三週目半ばの夜、小さな少女がそこを訪れた。
二階、二〇一号室の扉がノックと同時に開き、
「御門ぉ、入るぞー………なんだ寝てるのか」
ベッドに寝転がる少年を確認したあたりから、声は呟きに変わっていた。
御門と呼ばれたその少年は、四月の肌寒い夜にも関わらずTシャツとジーンズ姿のまま顔に分厚い本を載せてベッドに横たわり、規則正しい静かな呼吸をもらしている。
身長は百七十前後か。
均整のとれた体が華奢な印象を漂わせ、しかしシャツに浮き上がったシルエットは相当鍛えられている。膝を立てて組まれた足はデニム生地を通してでも発達していると判り、枕代わりに曲げられた上腕の盛り上がりは爆発的な力を想像させた。
右手が動いて本を持ち上げ、怜悧な視線を投げて寄こす。
「海藤。ノックと確認とドアを開けるのが同時では返事のし様がないと言ってるだろう。下級生も入ったんだ。少しは上級生らしく示しある行動を身に付けたらどうだ?」
低く静かに響いた御門の小言を、海藤は気にした様子もなく用件を伝えた。
「いいから起きろ。翼ちゃんが来てるぜ」
本を下したところで動きを止めた御門は枕元の時計を確認する。午後十時を過ぎていた。
「翼が? ……そう……か」
五歳下の妹、翼はまだ小学生である。
実家からこの寮まで片道二時間以上を要するため、夜間の移動に心配性の両親がついて来ない筈はない。だが御門家と所縁ある海藤は複雑な表情で翼の名前を告げたのみである。そして――
「なんて言えばいいんだろうな、清々しいとしか表現出来ない笑顔だぞ。不謹慎で悪いが、最悪の事態を想定して山吹が対応してる。今のうちに実家に電話してみるか?」
異常性を指摘した言葉が何を意味するのか、話題に上った山吹を含めて彼らには共通の認識があった。御門は無言で体を起こす。
ゆっくり室内を見渡し寝癖でボサボサの髪に二度三度両手を通すと、ジャケットを手に取り海藤を促して部屋を出た。
共に無言のまま中央の階段まで歩く。
先に階段を降り始めた御門であったが、ふと踊り場で立ち止まりポケットから鍵を取り出した。黄色いマスコットのキーホルダーがぶら下がっている。
どこか不恰好なそれは手作りの様で、御門の雰囲気も私室の簡素さにもそぐわないのだが、だからこそ誰も詮索した事がない。丁寧に取り外す様子からも大切にしているのだと分かる。
御門はキーホルダーをしまい、横に立った海藤を僅かに見上げて鍵を見せた。
「すまん。後で部屋の鍵を掛けてくれるか? もしかしたらこのまま家へ行く事になるかもしれないしな。頼む」
意味深い御門の行動を海藤が見咎めた。
「ん? あ、ああ。構わないが――」
「大丈夫だ。お前が考えている様な事は起きないさ」
言いかけた言葉を遮られた海藤は黙って鍵を受け取る。
それっきり無言で降りはじめた御門だが、踊り場から一階までの中程で再び足を止めた。視線はガラス張りの玄関と内扉の間にいる小さな姿を捉えていた。不器用ながらたっぷり愛情を注いできた妹を。
翼は百三十センチに満たず六年生の中でも小さい。そのためか背伸びしている様な服装を好む傾向にあった。今日もそうである。
体感季節よりファッション性を重視しているのかタータンチェックのワンピースは袖が無く、羽織った白いニットの半袖ボレロは防寒に貢献しているとは言い難い。ワンピースの胸元も広めに開いており、そこから濃紺のシャツを胸当ての様に覗かせ同じ色のタイツをアクセントにしていた。
(ずっと子供でいてくれたらいいんだがな)
御門は微笑みを浮かべて階段を降りていく。
時間稼ぎを担当した眼鏡の少年、山吹と話していた翼が、階段の御門に気付いて愛らしい笑顔で手を振った。
「あ、お兄ちゃん!」
ガラス越しでも良く通る鈴のような声に御門の頬が緩む。
「おう」
細かくスカートを跳ねさせる翼に片手を挙げて応え、その隣に立つ山吹とは目礼を交わす。
足早に階段を下りてエントランスホールを大股でよぎり、靴箱から愛用のスニーカーを引っ張り出した。
内扉から入ってきた山吹が御門近付き、他には聞こえないであろう小声で伝える。
「誕生日祝いの請求に来たそうですよ。ちなみに、寮生は起きている気配がありません」
一瞬、御門の目が厳しい光を放ち、すぐに安堵したものに変わった。
男子寮には彼ら三人も含めて二年と一年の合計三十人が入っている。全て体育会系で二年生は全員スポーツ特待生だ。朝の早い彼らなら起きている方が珍しい。
「そうか……ありがとう」
小声で返して靴紐を結ぶと、御門は内扉を出て翼を促しながら振り向く。
「じゃ、何かあったら頼む」
「おう」
「任せて下さい」
海藤と山吹は兄妹が寮の門を出るまで見送り、暫しの沈黙の後、正面を向いたまま小声で情報交換をした。
「変わった事はありましたか?」
「鍵を掛けてくれってさ」
海藤が渡された物を見せる。
山吹は一瞥して訊ねた。
「いつも使ってるスペアキーに間違いないですが、キーホルダーが無いですね」
「あいつが外したよ。そっちは?」
「誕生日祝いの請求だそうです。十二年待ったのだとか」
「今日のために生まれたって事か。気の長い話だな」
溜め息混じりに漏らす海藤に山吹は揶揄した様な声で告げる。
「それと、聞こえたかもしれませんけど御門君から『ありがとう』なんて言われました」
「小学生以来じゃないか? いつもなら『すまん』だろ」
「ですね。密かに追いましょう」
「寮の奴等が出てこないか?」
「いつも通り早々の就寝ですよ」
「でなきゃ朝のランニングはきついからな。よし、俺も行く」
「どちらの結末も見たくないですからね、戦力は多い方が助かります」
二人は素早く靴を履くと、兄妹を追って外へ出た。
御門と翼は、寮から十五分程に位置する大きな公園内を歩いていた。
生垣以外にも大小の木立を配され、子供向けの小さなアスレチックに芝の植えられた多目的エリア、休憩用のベンチエリアと売店もあり中央寄りに掘られた池にボートを浮かべたそこは、近隣住民の憩いの場として活用され、中央にシンボルとして建立された茶色の時計塔は待ち合わせ場所にもよく使われている。
三箇所にある出入り口付近は広場になっており、それぞれを結んで園内を一周する小道は朝夕の散歩やジョギングに利用する人が多い。
夜間は小道の所々に据えられたベンチを少し離れた所から街灯が照らし、まるで幻想の世界へと誘う様な雰囲気をかもし出している。
二人は小道を辿っていた。
跳ねる様に歩く翼の少し後ろで速度を合わせて歩く御門が微笑んでいるのは、妹の愚痴を聞かされているからである。
翼は、自分も聖鳳学園に入りたいが父親に反対されたとこぼしていた。
「――それでね、お父さんに反対する理由を聞いたら、なんて言ったと思う?」
幼く甲高い声が不満気なトーンに下がっている。御門は低く通る声を返した。
「父さんの言いそうな事か……空は妹を毒牙にかけるから危ない、かな」
「惜しい! それがね逆なの。あたしがお兄ちゃんを狙うからだって。失礼だよね」
「ふん、それも、父さんらしいな」
「なによぉ~。違うって言ってくれないのぉ? あたしも来年は中学生なんだしさ、どうせなら聖鳳みたいに可愛い制服がいいのにぃ~」
微笑みながら不満を聞いていた御門は答えず街灯を過ぎたところで立ち止まる。先行する翼と三メートル程の間隔が開くまで待ち、声を掛けた。
「翼。父さんと母さんには何と言ってきたんだ?」
翼が振り向く。
「あれ? お兄ちゃんどうしたの? そんな所で止まって」
「動くな」
近寄ろうとした翼を、御門は低く鋭い声で制した。
「もう一度聞く。父さんと母さんには、何と言って来たんだ」
兄の変調に何を感じ取ったのか、翼はくすくすと笑う。
「大丈夫だよ、何も知らないし気付いてないんじゃないかな」
無邪気な笑顔は変わっていない。
そして、御門の固い態度も。
「そうか。父さんの予感が当ったって訳だな」
翼は手を後ろで組み、少し首を傾げて愛らしい笑顔のまま尋ねた。
「ふぅん。ねぇ、お兄ちゃんはいつから気付いてたの?」
「たぶん、お前が生まれた日からだ」
御門は右足を半歩引いて身を沈め、左右の手を前に張り出して構える。
それを見ても翼は驚かない。
「あはは、お兄ちゃんって凄いね。勘がいいって言うのかな? 微妙に避けられてる気がしてたけど、そのせいだったんだ」
愛らしい妹は、笑顔と声の質が大人びた物に変わり始めていた。
御門が答える。
「避けちゃいない。人間じゃないとは知っていたが、たった一人の妹を大切にしたかっただけだ。女の子には女の子の遊びがある」
翼の呟きは短かった。
「嘘吐き」
同時に煌めきが奔り、御門の手も僅かに動く。
「殺気が膨らんでいるな。何者であろうと俺にとって大切な妹に変わりはないが、訳の解らないまま殺られるつもりもない。そっちの暗がりか? 俺を殺す予定だった場所は」
顔面の前で握り締めた御門の手は、真っ黒な棘状の物を掴んでいた。
「ふふっ。訳を知ったら命を差し出すの?」
からかう様な口調と共に数回の煌めきが奔る。
御門の体が残像の様にぶれ、飛来する物体の悉くを払い、打ち落とし、その手に掴む。
二人の間で砂煙が舞い上がった。
「さて、どうだろうな。俺の命は何と引き換えなんだ? それ次第で前向きに検討するよう考えてもいい」
「くすくす。そんな気は更々無いってわけね。まだ時間があるから教えてあげる。引き換えなんかじゃないわ、大きな崩壊の切っ掛けなの」
翼は満面の笑顔で語りだした。その口調はまるで遊びに行く約束をするかの様に楽しそうである。
「お兄ちゃんが死んだら、お父さんもお母さんも悲しむわ。それは御門財閥が揺らぐほど大きな悲しみとなって次々に悲しみを生むの」
「常に隙を窺われているからな」
「悲しみの連鎖が崩壊を引き起こし、更なる悲しみを生み出すわ。依頼者が望むのはその崩壊。あたし達はその最中に起きる感情爆発の純然たるエネルギーを報酬に貰う。これはビジネスなの」
御門は呆れた様に溜め息をついた。目的ではなく手段だったとは。
「俺にはもう少し価値があると自負していたんだがな」
「そこは同意するわよ? でも、この依頼だとお兄ちゃんの命はただの切っ掛けなの。そしてあたしは崩壊の引き金を引くためにこの世界に来たってわけ。つまり十二年前から決まっていた事よ。――――『あなた』も恨まれた物ね」
付け加えられた一言に御門は眉をひそめた。




