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ハーメルンの笛吹男

ー辺り一面にどす黒い霧が掛かり、およそこの世の者では無い怪しい火の玉がそこいら中を漂っている。


火の玉は紅くなったり、黄色くなったり、時には緑色に変わったりしながら、不規則な軌道で近づいたり、遠ざかったりしながら漂って要るのだ。


それはひとつひとつが、まるで生き物のような意思を感じさせて、観ていてけして気持ちの良い物では無い。


足下には白い雲海が流れていて、まるで行き先を指し示すかのように一直線に、彼方へと続いている。


その雲海の上を規則正しい歩行と共に突き進んで行く一団がある。


例えるなら正におもちゃの兵隊の大行進だ。


その先頭は良く見えない。


これだけ規律の取れた隊列を指揮するのだから、余程優秀な将軍なのだろう。


そう思いながら、感心して観ていると、急に対角線にフレームが切り替わって、目の前には先頭に立ち一団を導く、ひとりの男が突如として出現した。


その男は縦長の黒い帽子をきちんと被って、赤い天鵞絨(びろーど)の服をさも満足そうに着込んでいる。


右手にはサーベルを持ち、力強い腕の振りで上下に動かしながら、一団を導いて要るのだ。


さぞ、足の運びも見事だろうと、目線を下に逸らした時だった。


私はその体躯の壮観さから、力強く雲海を踏み締める見事な足捌(あしさば)きを想像していたのだが、何とその男の左側の脚は太股の付け根から先が全く無いのであった。


私はけして差別主義者では無い。


しかしながら、その余りの唐突な衝撃に目を奪われて、しばしその無い左脚の辺りに視線が釘付けになってしまった。


その間も片足の兵隊さんを先頭にしながら、一団は真っ直ぐ起立正しい歩行を刻みながら、勢いよく進んでいる。


すると突然、眼下には禍禍(まがまが)しい不気味な暗雲が出現した。


暗雲は渦巻き状に廻りながらその(ふち)の中はまるで底なし沼のように底が全く見えない。


しかもその不気味な渦巻きの手前で、白い雲海は断ち切れているので、このまま行進を続ければ、皆、(ふち)から墜ちて死んでしまうに違いない。


私は思わず『危ない!!』と叫んでいた。


だが、聞こえないのか一団は一向に停まる気配が無い。


私は尚も叫び続けるが、全く聞こえている素振りすらないのだ。


すると、後数歩で淵から墜ちるというところまで来ると、突然、片足の兵隊はサーベルを天に突き上げて、行進を停めた。


一団もそれに(なら)って、行進を停める。


私の叫びがようやく聴こえたのか…そこのところは定かではないが、これでひと安心!とホッと胸を撫で下ろした。


すると不意に片足の兵隊は、私の方をチラッと見るや、クククと含み笑いを始めたではないか?


私はびっくりしてしまった。


どうやら彼は私の声が聞こえているようなのだ。


にも関わらず行進を停めなかったのは、何故なのであろうか?


私は不思議そうに彼の顔を見つめた。


すると片足の兵隊は含み笑いでは満足出来ないと言わんばかりに、けたたましい声でゲラゲラ笑い始めたではないか?


しかもその眼光は鋭く突き刺さるような激しい怒りを帯びており、私をさも恨めしそうに(にら)みつけていた。


初対面だし、私の方にはけして恨まれる覚えは無いのだが、いったいどういう事なのでありましょう。


すると彼は突如、黒長の帽子を脱ぎ、それを左肩から右腰の辺りに降り下ろすと、彼の周囲には渦が巻き、頭から足の先まで掻き消すように消えて行き、次の瞬間にはまるで別の存在に変わってしまった。


そこには…色鮮やかな色彩を散りばめた艶やかな道化服を着込んだ男が木製の竪笛を持って立っている。


山高帽は尖端で左右に折れ曲がり、片側は紅色、もう片側は緑色である。


その顔は目が細く、鼻は尖っていて、口は真横に裂けているように見えた。


正に江戸川乱歩の『地獄の道化師』を連想させる。


道化師の恐ろしい所はその無表情さゆえなのだが、つまるところ、私には恐ろしさのあまりそう見えただけなのかも知れなかった。


さらに不思議な事には一団のおもちゃの兵隊さんたちも、いつの間にか、粗末な服を来た少年・少女たちに代わっていた点である。


普通ならこんな禍禍(まがまが)しい場所に、泣き叫んだりするであろうに、彼らは全く反応するでも無く、その(うつ)ろな(まなこ)はボォーっと道化師を見つめるだけで、何の感情も無さげに見えた。


正にその時である。


道化師は竪笛を口に持って行くと、奇妙な音楽を(かな)で始めた。


すると虚ろな眼でボォーっと漂っていた少年・少女たちは、前方をひたすら見つめたまま、暗闇渦巻く悪魔の淵へまるで引き寄せられて行くかのように、フラフラと進んで行く。


その様子はあたかも夢遊病者の如く見えるのだった。


『止せ!逝くな!停まるんだ!』


私はこれ以上はない程の大声を張り上げて行く手を阻もうと躍起になるが、残念な事には、子供たちの耳には届かないらしい。


手に汗を握りながら、ただただ彼らが逝く背中を見送るほかない。


そんな私の悲痛な叫びも全く意に介す事無く、やがて道化師は笛を奏でながら悪魔の淵を越えた。


ところが、驚いた事には、彼は墜落していく訳でも無く、そのまま宙に浮いたまま、ニタニタ不気味な笑顔で後に続く子供たちを冷たい目で眺めている。


それとは対称的に気の毒な少年・少女たちは何かに取り憑かれたかの如く、導かれるままに只ひたすら淵を目指して突き進む。


『やめろ~!早く停めるんだっ!』


私は半ば無駄な足掻(あが)きを試みた。


道化師に停めるよう訴えてみるが、端から彼らを助ける気などない彼は、こちらの言葉などまるで意に介さず、相変わらず平然と事の成り行きを眺めている。


もはやその姿勢はあたかも遊戯を楽しむ傍観者のようだった。


そしてそんな無為なやり取りの間にも、子供たちはひたすら地獄の淵を懸命に目指して進んで行く。


やがて淵の(ほとり)に辿り着いた者から順番に綺麗に垂直に落下してゆき、その様子はまるで精米機から弾き出されていく米粒のように見えた。


そして最後のひとりが、暗闇の淵に吸い込まれて逝くのを確認するや、道化師は足の先から徐々に消え始め、最後は首から上だけになった。


それは怪しげな空間に禍々しい首があたかも漂っている狭間(さま)で、道化師は首だけの格好でケタケタ笑いながら、無力な私を嘲笑うかのように、チラッと一瞥(いちべつ)すると、掻き消すように消えてしまったのである。ー



ガタッ ー


蒼生はふいに起き上がると、額を拭った。


頬が暑く火照っていて、身体のあちらこちらからは汗が噴き出している。


髪は汗でずぶ濡れになり、こめかみの辺りからも流れ出ている。


「夢か…。」


蒼生は再び額の汗を拭うと、咄嗟に時計を見た。


午後3時を少し廻ったところだった。


蒼生は溜め息をつくや、簡易ベットを脱け出して、窓の側に移動した。


まだ太陽は燦々と照りつけていて、陽射しも厳しいが、心地好い風が流れ込んで来るせいか、火照った身体には清々しい。


『嫌な夢を見たな…。』


蒼生は寝覚めが悪かったせいか、少々頭がチクチク刺すように傷んで頭を抱えた。


フラフラと立ち上がると、書棚の片隅に置いてある薬箱の中から頭痛薬を取り出すと、冷蔵庫の中から、水を出してコップに注ぎ、飲み干した。


蒼生は考える事が好きなせいか、頭を常に回転させているためかは解らぬが、よく頭痛がする。


そのため、自宅にも職場にも常に薬箱と冷蔵庫は配備していた。


「ハーメルンの笛吹男か…。」


唐突になぜそんな夢を観たのだろう…蒼生は不意に考えようと頭を回転させようとしたが、ズキッとこめかみに刺すような痛みがして、顔を歪ませた。


彼はフラフラと夢遊病者の如く冷蔵庫に歩み寄り、冷凍庫からアイスノンを取り出すと額に当てた。


冷たくて気持ちがいい。


『やれやれ…とんだ事になったな…。』


蒼生は昼食後、必ずといって良い程、睡魔が襲って来るため、仕事場にも簡易ベットを設置しており、眠い時には無駄な抵抗は止めて、昼寝をする事にしている。


大抵の場合は、小一時間程で目覚めるのだが、たまに寝入ってしまう事があり、そういう時には、決まって頭痛がするのであった。


『しかし一体何の暗示何だろう?』


蒼生はアイスノンを額に押しつけながら、不思議そうに、そう呟いた。


『おもちゃの兵隊は…確か川に流されて、紆余曲折を経て、戻って来るんだったよな?』


ーおもちゃの兵隊とは、アンデルセン童話『しっかり者のスズの兵隊』の中で出てくる片足のおもちゃの兵隊である。


子供が親に買って貰った兵隊セットの中に、材料が足りなくて片足が無い兵隊さんが一体居た。


片足の兵隊さんは紙で出来た踊り子の人形が、片足を上げて踊っているのを、自分と同じ身の上だと勘違いして恋に落ちるが、ある日、不可抗力の末に、窓から外に墜ちてしまう。


窓から墜ちた兵隊さんは、近所で遊ぶ子供たちに、紙で作られた船に乗せられて、川に流される。


やがて川から滝壺に墜ちて、海に流され魚に喰われる。


魚は漁師に獲られて、市場に並べられ、それを買った子供の家に戻って来た。


ここまでは奇跡のようなお話だったが、何とその子供は、魚から出てきた兵隊さんが、臭くて汚ならしいと感じて、そのまま暖炉に放り込む。


やがて一陣の風の悪戯から、暖炉の上に飾ってあった紙の踊り子の人形は、風に煽られて、暖炉に墜ちて行き、片想いの兵隊さんの人形と一緒に焼け焦げる。


その(のち)に2人は溶けたスズが固まり、明くる朝、既に燃え尽きた暖炉の中でハートの形のスズの塊と化した。 ー



蒼生は物語の端緒から結末までを反芻して行き、ふと疑問を感じたのだった。


ハーメルンの笛吹男は何者で、子供たちがどうなったか?…については様々な説があり、今でもはっきりとした結論は出ていない。


『ハーメルンの笛吹男』はグリム童話が有名にした話なのだが、ハーメルンがドイツのニーダーザクセン州にある実在の街である事、その街の教会のステンドグラスに残された記述を写した史蹟に記載がある事などから、実際にあった事実と考えられている。


但し、ネズミ取りの話は200年程後に付け加えられたものであるため、ネズミ駆除の仕事を請け負った人物の復讐説は専門家筋により否定されている。


流行り(ペスト)説。子供十字軍説。東欧(チェコ)移住説。土砂崩れによる遭難説やヴェーザ川での溺死説。子供売買説。戦争による犠牲説。


まことしやかに唱えられている説だけでもこれだけ膨大なものになる。


『もしかすると、これが夢のお告げなのか…?』


蒼生は流石に馬鹿馬鹿しいとは思うのだが、自分が頭を痛めた原因はあの夢にある。


そう思うと暗に否定は出来ないのであった。


笛吹男の正体は、片足の兵隊さんだった…。


鯔のつまりは…、おもちゃを大切にしない子供への復讐なのかも知れない…。


この馬鹿馬鹿しい推論に否定したくても、現に自分はお告げを受けたのだ(笑)


しかも頭が痛くてこれ以上は考えて居られないのだった。


『今日はもう早退(はやび)けしよう…。』


蒼生はそう呟くと、仕事は切り上げる事にした。


たっぷり昼寝をしていた事などすっかり忘れて、彼は、仕事を切り上げ、2階からエレベーターで3階の自宅に戻り、早々に床に入るのであった。


『今夜の夕食は何だろうな?』


蒼生は、意識が薄れる中で、夏蓮柰シェフの献立を想いながら幸せにもそう呟いた。

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