小さい白い鶏
緑蒼生はコーヒーをこよなく愛する男である。
今日も変わらずコーヒーを片手に窓際でのんびりとくつろいでいた。
『今日のコーヒーはブルマンか!これは旨い♪』
彼は嬉々として顔をほころばせながらグイグイと美味しそうに味わっている。
くつろいでいると言っても、これは彼にとっては仕事なのである。
信じられないかも知れないがそれは本当の事で、彼は日常的に事務所でくつろぎながら、今日も懲りずに妄想に励んでいた。
『今日はどんな事を考えようかな?(笑)』
彼は至ってのんびりと時間を忘れて考え込んでいる。
ひつこいようだが、これが彼の仕事なのだから、彼は至って真面目に仕事に励んでいた。
『そうだ!昔小学生の頃に学校で習った話があったよな…。』
彼はそう想うと途端に想像の世界に没頭していく。
彼は普段はのんびり屋で、粗忽者である。
何にも無いところで、急に蹴躓いたり、時には自分が置いた腕時計やスマホが見つからずに必死に探してみたりと、なかなかの強者であった。
大抵はひょんな事で見つかるが、実際は何の事も無く、目に付く所にキチンと置いてあるのを発見し、その瞬間に置いた記憶を取り戻しては、苦笑すると言った有り様であった。
ところが、事妄想に入った時の彼の集中力は素晴らしく、考えながらどんどんと、深い暗闇の深淵にまで到達するのであった。
『確かこんな話だったよな…。』
『小さい白い鶏』は当時、彼が通っていた小学校の教科書に乗っていた古いお話である。
これがウクライナに伝わる民謡だという事は、大人になってから知った。
知らない読者のために簡単に紹介しておこう。
ーある所に勤勉で真面目な小さい白い鶏がいました。
白い鶏は、パンを作ろうと思いつき、まず畑で麦を育てる事にしました。
白い鶏は、「この麦,誰がまきますか?」と尋ねると,豚も「嫌だ」と言いました。猫も「嫌だ」と言いました。犬も「嫌だ」と言いました。
小さい白い鶏はひとりで麦をまきました。
やがて麦は実りの時期を迎えます。
大きく実った麦の前で今度も皆に声をかけます。
白い鶏は、「この麦、誰が刈りますか?」と尋ねると,再び…豚も「嫌だ」と言いました。猫も「嫌だ」と言いました。犬も「嫌だ」と言いました。
小さい白い鶏はひとりで麦を刈りました。
こうして無事に立派な麦が収穫出来ました。
いよいよパンを作るためには、まずはその麦を粉にひかなくてはいけません。
ここで再び白い鶏は皆に尋ねます。
「この麦誰が粉にひきますか?」
すると、今度も…豚も「嫌だ」と言い、猫も「嫌だ」と言い、犬も「嫌だ」と言いました。
仕方なく小さい白い鶏はひとりで粉にひきました。
話は流れてついにパンに焼くところまできます。
白い鶏は、再び皆に尋ねます。
「誰がパンに焼きますか?」
すると案の定、豚も猫も犬も「嫌だ」と応えました。
小さい白い鶏はひとりでパンに焼きました。
その努力の甲斐合ってついに美味しそうなパンが出来上がりました。
小さい白い鶏は最後にこう尋ねます。
「このパン,誰が食べますか?」
すると、豚も「食べる」と言いました。猫も「食べる」と言いました。犬も「食べる」と言いました。
…というお話でしたー。
これを聞いた小さい白い鶏が、彼らにどう応えたのかは、書かれていません。
要は、これを読んだ小学生たちが、この後に鶏がどう応えたのか、或いはこの話を詠んでどう感じたのかを考えさせるという題材となっていた訳でした。
蒼生はそんな話の内容を想い出しながら、物想いに耽っていると、不意に人の気配を感じて、びっくり仰天してしまい、思わず仰け反り、椅子からストンと墜ちてしまった。
恐る恐る背後を確かめるように見ると、いつの間にか夏蓮奈がトレイを持って立っている。
蒼生は恥ずかしそうに立ち上がり、照れ隠しにニコッと笑うと、さも驚いたように瞳を見つめた。
瞳は夏蓮奈の名前である。
夏蓮奈は、「12時だから昼食持って来てあげたよ♪たまには直接持って来るのもいいかなって♪」
と全く悪びれる事無く、その顔には優しい微笑みを称えている。
「今日の献立は、濃厚なクリームシチューにバターライス♪グリーンサラダにはフレンチドレッシングと粉チーズを振り掛けて見ました♪あと、貴方が好きなオニオンワカメスープ付き♪どうぞ召し上がれ♪」
と呑気なものだ。
蒼生は本来、妄想の深淵を勝手に中断されるのは、正直好きでは無いのだが、相手が瞳だと話は変わって来る。
日頃お世話になっているのはもちろんだが、蒼生は瞳の事が好きなのだ。
瞳には始めて会った時から一目惚れをしてしまい、正直彼女の経歴や料理の腕など録に確認しないで、勝手に採用を決めてしまった。
「おいらに決定権があるから問題なし♪」
偉くお気楽に決定したものだ。
本当はこんなお気楽で短絡的な決定の仕方は相手に対して甚だ失礼というものなのだが、恋愛下手な蒼生にとっては、無我夢中なのでそんな考えは露ほどもない。
「この娘に来て欲しい♪」
それで頭はいっぱいである。
但し、いちおうちゃんとした採用を装おうために、その場では瞳の話にさも熱心に耳を傾け、聞いてあげて、こちらの要望もちゃんと伝えた上で、後日結果をご連絡します…という体裁を執ったものの、けっきょくその日のうちに、採用を伝えて、来てもらう事にしたのだった。
蒼生の出した条件はたった二つ。
やり方は瞳に一任する代わりに必ず1日3食の食事を提供する事。
そして、1階に併設された部屋に住み込みで来てもらう事。
この二つはどうしても譲れないので、是非ともお願いしたいと頼み込んだのだが、瞳は御安い御用ですと二つ返事でクリアしてしまった。
むしろ蒼生の方が呆気にとられたくらいだ。
瞳にとっては、独立したいけど、自分の料理家としての方針に、ごちゃごちゃと口を挟まれるのが一番譲れない線であったために、何度も話がまとまらなかったという経緯があったので、今回もそこが巧くまとまらなければ断わるつもりだった。
ところが、この気前の良い雇い主は住まいを提供してくれるだけでなく、店の方針には口を一切出さないという。
しかも家賃はタダ同然だし、厨房の設備も恐ろしいぐらい立派に整っている。
こんな旨い話を断わったら二度と巡り会えないと、瞳の方も即断で採用を受ける事にしたのである。
採用の翌々日にはとっとと引っ越して来て、1階を占領してしまったぐらい、行動力も半端なかった。
瞳にとっては、毎日3食作るくらいは朝飯前だ。
どうせ自分も賄いを作らねば為らないのだから、ひとり分くらい増えても大した手間ではないし、却って2人分の方が作りやすいくらいのものであった。
それがこの2人のご縁であった訳で、それ以来、今もその関係は良好に続いている。
瞳は確かにこの緑蒼生という雇い主が、どうやってこの生活を維持出来ているのか、不思議に思う事も多々ある。
しかしながら、ちょっとおっちょこちょいな所はあるものの、お金に困っている風には全く見えず、常に微笑みを絶やす事無く、瞳にもとっても優しい。
それに何より紳士的で、瞳に妙な考えを起こさない所がとっても有難かったのだ。
瞳が大手のホテルを辞める事にしたのも、そろそろ独立したい希望があっての事だったのは嘘ではないが、直接的な要因はセクハラだったからだ。
緑蒼生が採用の募集をかけた当時、急に好条件で雇ってもらえる先は他にはなかった。
瞳にとっては渡りに船であり、蒼生が瞳の救世主に想えた程であった。
実際は蒼生という男は、単純なくらい一途な所があって、一目惚れする事もこれが初めてではない。
ところが直ぐにおっちょこちょいで粗忽者な面が露呈してしまうため、時たま運良く付き合い始めても、直ぐに女性の方が覚めてしまい、結果、振られてしまうのだ。
だから蒼生が当初かなり慎重に振る舞ったのは当然である。
それだけ瞳の事が好きでたまらないのだ。
しかしながら、元々持っている粗忽な面はそう永くは抑えて措けない。
馬脚をあらわすのにそう長い時間は必要なかった。
ところが、運の良い事にここで不思議な現象が起きる。
なんとそんな蒼生を観ても、瞳はクスッと笑っただけで、却って慰めてくれた位だったのである。
蒼生はその事が切っ掛けとなり、益々瞳が好きになった。
瞳としては、蒼生を雇い主と観ているので、あくまでも人間性としてふつうに観ているだけなのだが、但し、瞳は元々そんな事で男性を評価する女性ではなかった。
瞳にとっては頼り甲斐があり、自分だけを観てくれる優しい男が好みなので、そんな些細な問題など、元々意に介さない性格の持ち主だったのだ。
蒼生は蒼生で、雇い主としての自覚もあり、元々妄想癖があるくらいに引っ込み思案な性格のため、恥ずかしがって、とても告白など思いつかない。
告白したくて仕方ない側面はあるものの、瞳の顔をまじまじと観るにつけて、顔が真っ赤になって居ないか心配になり、しどろもどろになってしまうように感じてしまうため、なるべく冷静で居られる訓練を陰でこそこそやるくらい、涙ぐましい努力をしたものであった。
そのお陰かだんだん慣れて来たため、最近では瞳の目をちゃんと観て話す事が出来るくらい、成長していたのであった。
蒼生は瞳の作ってくれた昼食を美味しそうに食べている。
瞳はお役目が済んだのに、そのまま帰らずに、美味しそうに食事を食べてくれる雇い主を嬉しそうに眺めていた。
蒼生はそれをさも不思議そうにチラッチラッと時折見つめている。
瞳がこうしてやって来るのも珍しい事だが、今日のように、帰らないで座り込んだまま、食事が終わるのを観ている事は今までなかったからだった。
蒼生はふと思い立って、午前中に自分が考えに耽っていた題材を口にしてみた。
「夏蓮奈さんは、ー小さい白い鶏ーって噺を聞いた事があるかしら?」
瞳は日頃は無口な雇い主が、急に話かけて来たので、少々戸惑ったが、自分も不思議と居座っているのだから、ここは話に乗るべきだろう。
そう想って、「私聞いた事ないかな?どんなお話なんです?」と半分興味もひかれて尋ねてみた。
すると、蒼生は嬉しそうに話出した。
蒼生が話終わると、瞳は不思議な気持ちになった。
どうやら童話のようなのだが、瞳が知っている童話には必ず結末があり、スッキリするものなのに、蒼生の話してくれた話には結末がない。
瞳は「??」と疑問が湧いて、「続きはあるんでしょう?」と蒼生におねだりしてみた。
蒼生はその夏蓮奈の円らな瞳に、顔が真っ赤になりかける自分が居るような気がして、少々困ってしまった。
が、可愛い者は可愛い…。
蒼生は思わず「ウオッホン!」と咳払いをして、下をうつ向いたが、直ぐに瞳に向き直ると、
「続きは無いんだな…これはこの続きや感想を読者に委ねる趣向になっていてね…。夏蓮奈さんは、小さい白い鶏はなんて返事したと思います?」
と応えた。
蒼生は瞳の返事をワクワクしながら、待っている。
瞳は少し悩んでいるようだったが、急に想いに至ったらしく、クスクスと微笑みながら、こう応えた。
「そうですね…。私なら皆に優しく振る舞うかしら♪だって料理人の喜びは食べてくれるお客さんの美味しそうに食べる笑顔を観たい一心にあるんですもの…。それが喜びであり、創作意欲の情熱になったりするんですよ?だから私が白い鶏さんなら、喜んでパンを差し上げるでしょうね♪私、美味しそうに食べてくれる人、大好きですもの♪」
と言ってはにかんだ。瞳は蒼生を見つめている。
蒼生はそんな瞳の笑顔がとても可憐に見えたため、また下をうつ向いて戸惑ってしまった。
そこは勇気を振り絞って、言葉を継がねば為らない。
「優しい娘だな…。しかも料理人としても明確な意志を感じる。」
そう感じた蒼生は、ニッコリ笑ってこう言った。
「そうですね…。僕は料理人では無いけれど、困った人が居たら、手を差し伸べて上げるような人間に成りたいと常々思っています。だから、僕もパンを食べさせてあげるでしょうね♪夏蓮奈さんが僕と同じ気持ちに立ってくれて嬉しかったな…。それに夏蓮奈さんの作った昼食とても美味しかったです。ご馳走様でした。そしていつもありがとう。」
とお礼を述べて瞳を見つめた。
瞳はその笑顔に少々ドキッとしてしまった。
蒼生の顔はまるで、少年のような清く汚れの無い、真っ直ぐな清んだ心を称えていて、瞳の心の奥底にやんわりと刺さったので、彼女は自分の心に一瞬戸惑いを感じてしまっていたのだった。
「私もいつも残さず食べて下さる緑さんの気持ちはとても嬉しいし、励みにもなっています。どんなお顔で食べていらっしゃるのかしら?て常々想って居たので、今日は美味しそうに食べるところを観れて良かったですわ♪こちらこそいつもありがとうございます♪」
そう応えると、「お皿下げますね♪」と言って、何事もなかったかのように、トレイを持つと、帰って行った。
蒼生は瞳が帰ってから、「美味しそうに食べる人が好き♪」という部分がとても気になって仕方がなかったのであった。
「あれっておいらの事かしらん♪(笑)」
などと再び妄想の世界に没頭するのであった。
読者諸君はどう思いますか?
瞳さんの事じゃ有りません(^-^;…小さい白い鶏の話でした(笑)
(*^^*;)私がラブコメのようなもの(汗)
書く日が来るとは…。少々苦手な分野に挑戦して観ましたが、いかがでしたか?(*_*)…。
こんな感じで1話完結の短編集を目指しております。
また懲りずによろしくお願いいたします。
byユリウス・ケイ