第3話 後編
メグミは夢を見ていた。いつの頃かわからない。ただかけがえのないということだけは覚えている夢を。
『勇者は魔王を倒すための旅の中で、自身に宿した精霊との絆を深めていきました。もはやそれはただ戦うための相棒というのではなく、互いの人生に互いが必要だと、そう思うほどでした。ですが魔王を倒すためには勇者は精霊を犠牲にしなければなりません。そして勇者は精霊だけでなく、失うことのできないかけがいのない仲間達もいました』
「それで勇者はどうしたの?精霊さんは?」
「勇者は…精一杯努力をしたの。だけど変えられないものもある。だから………もいつかそういう時が来たら、悔いのない方を選びなさい」
「ん~?そういう時っていっても思いつかないよー」
「フフフ。そうね。それに、そういう時っていうのは、結局何を選んでも悔いが残るものだから」
『だから…勇者は選びました』
× × ×
メグミはハッと目を覚まして飛び起きた。目の前に白いベッドシーツが見え、やかんのお湯が沸いている音が聞こえる。木製の壁が見え、窓からは日の光が差し込んでいた。
「あれ…?私は何を…?」
「メグミ!目が覚めたのか!?」
部屋の扉が開き、フーラルがお盆を持って部屋に入ってくる。フーラルの後ろからは先ほど助けた白髪の少女と、黒いローブを来た見た目40代くらいの、少女をそのまま歳をとらせたように似ている白髪の女性が続いて入ってくる。
「大丈夫かい?…どうやたウチの孫が世話になったようだね」
白髪の女性がメグミに話しかけ、メグミは驚愕して答える。
「わ…私が見えるのか!?」
白髪の女性は微笑みながら答える。
「ああ、見えるとも。…さてまずは自己紹介だ。私はマチルダ。お前さん達の依頼の目標の魔術師だよ」
メグミは慌てて立ち上がろうとするが、マチルダが手を差し出してそれを制する。まだ気分が悪いメグミはそれに甘えておとなしく横になる。
「…私はメグミ。白鳥メグミといいます」
マチルダはメグミの名前を聞いてピクリと反応する。
「ほう…もしかしてニホンってとこから来てないかい?」
メグミはビックリして飛び起きてマチルダに詰め寄る。
「な…どこまで知ってるんですかあん…ふぁふぁふぁ…?」
だが足に力が入らず腰が抜けてへたり込んでしまう。
「まったく…少しは落ち着きな。魔法のまの字も知らない素人が、最上級魔法なんて普通は撃てないんだから…ジゼル!」
ジゼルと呼ばれた白髪の少女はメグミの前で腰を落とし、へたれこんでいるメグミの頬に手を当てる。そして目をつぶると少女の両手が暖かな光に包まれる。
「ジゼルは私の孫でね。まだ14歳だがそんじょそこらの魔術師じゃ知らないような魔法だって使うことができる。そんな子でも最上級魔法は撃つことすらできないってのに…」
少女の両手の光を浴びるうちに、メグミは徐々に体調が良くなっていくのを感じた。
「暖かい…?」
そして体調が良くなるとともに、自身の身体に違和感を感じるようになっていく。
「あれ…?暖かいって…なんで…?」
「終わった…」
ジゼルの両手から光が消えると、ジゼルは静かに立ち上がった。そしてスッと部屋から出て行ってしまう。マチルダは出て行ったジゼルを見てヤレヤレと鼻で息をする。
「すまないね。どうもあの子は顔見知りがひどくて。…でどうだい体調は」
メグミがまず感じた違和感は床の硬さだった。そして立ち上がろうとしたときにベッドに手を置き、ベッドの柔らかさを感じた。
「あれ…もしかして…?」
マチルダは笑みを浮かべて言う。
「ああ、一時的に身体を取り戻したのさ」
メグミは自身の身体全体に触り、そして肩を震わせる。
「ああ、それでこの魔法は…」
メグミは肩を震わせながらマチルダの肩を掴む。
「…ば…じゃなくてお姉さん…」
異様な雰囲気のメグミにマチルダは気圧される。
「ど…どうしたんだい?」
メグミは顔を上げるとキッとした表情でマチルダを見る。
「金はいくらでも出す!今すぐ!食事と!お風呂の用意をしてくれ!」
居間のテーブルに山菜のサラダや木の実のパイ、燻製肉やスープなど様々な食べ物が並んでいた。メグミはテーブルに座り、震える手でフォークとスプーンを両手で持つ。
「と…とりあえず食事は用意し…」
マチルダが言い終わる前にメグミは手を合わせた。
「いただきます!!!」
怒涛の勢いでメグミはテーブルの上の食べ物に手を付け始める。あまりの勢いに横で見ていたマチルダやジゼルは少し引いていた。
「お…女の子の食う勢いにしては激しすぎないかね…」
マチルダはメグミに話しかけるがメグミは無視し、ひたすら目の前の食べ物に集中していた。コップにあった水を飲み干してしまい、メグミは近くにあったリンゴに手を伸ばす。
「水かい?ジゼル水を…」
メグミはリンゴを片手で握り潰し、その果汁をコップに注ぎ、ジュースにして飲んだ。
「は…ははは…」
マチルダは目の前の暴風雨が収まるまで、ただ笑うしかできなかった。外で風呂の煮炊きのためにかまどに火を起こしていたフーラルは、中の騒音を聞いて一人こぼす。
「中がやけに騒がしいけど何やってんだあいつ…?」
「ごちそうさまでしたー!!」
食事を終えると、メグミはダッシュで風呂に向かっていった。ちょうどフーラルが浴槽のお湯加減を確かめていた。風呂場のドアが開き、フーラルが振り向く。
「あ、メグミか。ちょうど風呂が…っておい!?」
メグミはすでに服を脱いでおり、浴槽に勢いよく入っていく。フーラルは赤面し慌てて風呂場から出る。
「お…俺中にいるんだから気をつけろよ!」
「あー悪い悪いフーラル!いやー!久しぶりの風呂だー!」
「悪いって…普通逆じゃねえか…?」
メグミは上機嫌に身体中を洗い始めた。フーラルは初めて見た大人の女性の身体に、心臓を早鐘のように鳴らしながら、ドアの前に腰を下ろした。
「…なぁメグミ」
「あー!何―!」
メグミは身体を洗いながら気のない返事をする。
「…ごめんな」
「何だよ、急にしおらしくなって」
フーラルは頭をかきむしり、天をあおぐ。
「お前がぶっ倒れたの、俺がお前の勉強邪魔したからだって、あのバアさんに言われた」
「あー…あれね!まぁそんな気にすんなよ!」
メグミは身体を洗い終わり、再び浴槽につかる。
「よくわからん技をよくわからん状態で使って自滅なんて私のせいだし、そんなのよくあることだし気にしなくていいって」
「よくあることってなんだよ…」
フーラルはしばらく黙ってしまい、会話が途切れる。メグミは暖かいお湯の中で、ようやくテンションが落ち着いてくる。
「…あんたさ、もしかして親に虐待とかされてた?」
メグミがドアの向こうのフーラルに質問する。
「答えたくないなら答えなくていいけどさ、そろそろ私たちも胸の内を明かしあわないか」
フーラルは答えない。しばらく待ってメグミは自分から話し始める。
「私はさ、シングルマザーの家庭ってやつでさ。父親も不明なもんでな。そんなんでも母さんはちゃんと私を育ててくれたんだけど…12の頃に家族がバラバラになっちゃってさ。原因は私が問題起こしてね。母親が再婚するっていうんで、ぎこちなくなっちまったんだ」
メグミは風呂から上がり、近くにあったタオルを取って身体を拭く。
「まぁ~荒れたね。サボリにケンカに色々やっちまった。とはいえどうも根の真面目さってのは変えられなくてね。同じように不良になったやつらを見ていくうちにさ、私がグレてんのにそいつらの心配ばっかしちまってさ。…気づいたら私は近くのバカどもをまとめるリーダーになって、家族はそんな私に関わりきれなくなって離れちまった」
メグミはフーラルと同じようにドアに背をあずけ、腰を下ろす。
「それなのに私は、ここじゃないどこかなら自分が自分らしく生きられる。そう思ってたんだ。そしてそう思ってたら…こんなところまで来ちまった」
フーラルとメグミは互いに背中合わせになる。ドア越しにも関わらず互いに触れ合っているような気がした。
「私だってそんな立派なもんじゃない。だけど、嫌でも私たちは一蓮托生ってやつなんだ。少しはお前の事も教えてくれ。…そして私も力にならせてくれないか。な?」
フーラルは目に手を当て、目頭が熱くなるのを感じた。そして、立ち上がる。
「メグミ…俺…」
フーラルが立ち上がった瞬間、メグミはコテンと後ろに倒れる―ドアが開いてないにも関わらず。メグミの身体はドアを貫通し、裸のままドアの外側にいたフーラルと目が合う。
「「………」」
互いに沈黙が続き、そして一緒に息を吸い、肺から声を伴って一気に吐き出した。
「「ぎゃあああああああああああ!!!???」」
10分後、とても気まずい空気となったメグミとフーラルは、家の居間のテーブルをマチルダ、ジゼルとともに囲んでいた。マチルダは大笑いしている。
「アッハッハッハ!ジゼルがあんたにかけた“受肉魔法”は30分限定なんだよ!」
メグミがふくれっ面でマチルダに文句を言う。
「それならそうとさっさと言ってくれよ!」
「言おうとしたさ。だけどあんた何も聞かず食事に風呂にと大忙しだったじゃないか」
メグミは恥ずかしがって顔をそらす。
「さて…あんたは私に聞きたいことが山ほどあるだろうけど、どこから話そうかね」
マチルダは自分のお茶を一口飲む。メグミはそれを見て自分の目の前のコップを掴もうとするが、やはり空を切って掴めなかった。
「私は…一体“ナニモノ”なんだ?」
「あんた、“精霊”って言葉を聞いたことがあるかい?」
メグミは腕を組んで考える。フーラルを見るが、フーラルも心当たりがなさそうだった。
「言葉自体は知ってるけど、それが言わんとする意味はよくわからない」
メグミはそう答えた。マチルダはメグミとフーラル両方を見ながら言う。
「あんたは、元いたニホンってとこからこのエルミナ・ルナに召喚されたのさ。“精霊憑き”に従う“精霊”としてね」