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わるいゆめ

作者: ニワトリ

家が火事になる夢を見た。


家族はあっという間に燃え広がる炎から逃げられず、苦しんでいる。

母親は何とかして外に出ようとするが、煙を吸い込んでしまい、ふらついている。父親は倒れていて、床には物が散乱している。徐々に彼らのまぶたは持ち上がらなくなり、ついには完全に閉じられた。


「……ハッ!はあっ、はあっ、は……」


そこで目が覚めた。

一瞬自分がどこにいるのか混乱するが、すぐに現状を理解する。


ここは俺の家。高校生になってやっと与えられた自室で眠っていた。時刻は深夜一時。日付は五月十日になったばかりだ。


「……ヤバい!」


正気にかえった俺は、すぐさまベッドから抜け出して走り出した。


向かうは夢で見た台所。

急いで向かったが、目に写った光景が普段通りで、安堵のため息をつく。

とはいえ油断はできない。俺はガスコンロに備え付けられた、点火のための乾電池を抜き取った。


これで多分、大丈夫だろう。


そう思ったが、念のため一夜を台所で過ごすことにした。


いつからだっただろうか。

見た夢が現実になってしまったのは。


物心ついた頃には、既にそれは起きていた。

幼い俺はそれを何とかして周囲に信じてもらおうとしたが、大人たちは馬鹿馬鹿しいことだと一顧だにしなかった。

証拠を見せようとしたが、見る夢全てが現実になるわけではないので、それも難しかった。

それに、なぜか非現実的な夢は夢のままだった。空を飛ぶ車や、巨大化した生物、最近では世界中でゾンビが出現、なんてのも夢に見たが、未だニュースは平穏そのものだ。起こるのは、躓いて転んだり、学校の授業で当てられたりと、どうでもいいことばかり。

しだいに、俺は夢のことを誰にも話さなくなっていた。


今まで物騒な夢が現実になったことはないが、そういう夢を見たときは念のため予防している。

ちなみに猿園に行った日は猿の夢を見たりと、ある程度現実の行いが夢に反映されることはわかっていたが、そのためだけに行動したくはなかった。


今夜は徹夜か。

テストが終わったばかりでゆっくりしたかったが、仕方ない。


俺はあくびを噛み殺しながら、異状がないか見張りを続けた。



**********



「おいナオキ、お前目の下クマできてんぞ。テスト明けでゲームか~?」


「そーそー。俺今から寝るから、先生近くに来たら起こせよ」


後ろの席の親友にそう告げて、カバンから本を取り出す。


結局、昨夜は何も起きなかった。やはり、気にしすぎだったのだろうか。


さらに親友と二、三言交わし、前に向き直ったタイミングでちょうど鐘が鳴る。朝の読書タイムだ。

今まではこんな時間ダルすぎるだろうと文句タラタラだったが、今日に限ってはありがたい。

俺は本を盾にして居眠りを始めた。




耳にガンガンと響くような大声で意識が浮上する。

目が覚めたのは、理科の授業の最中だった。


「……ですからッ!これは本当にッ!すごいことなんですッ!!!」


中年の教師が興奮したように叫んでいる。それを、生徒たちは白けたような顔で聞き流していた。

どうやら教師の琴線に触れるような出来事があったらしい。普段は陰鬱そうな顔でボソボソ喋っているのに。そういえば、前からちょっとオタクっぽいなって思ってたんだった。


時計を見ると、授業が始まってから三十分は経っている。それなのに黒板には何も書かれていない。

まさか、三十分間喋り続けているのか。

教師としてそれはどうなんだ。俺は呆れたが、この調子では一人くらい寝ていてもバレそうにない。


俺は机の上で組んだ腕の中に頭を埋めた。

教師のキンキン声が遠くなる。


「─────この、空を飛ぶ車が実用化されたというニュースは──」



**********



また、夢を見た。

駅のホーム、線路の上で何かドロドロとした黒い液体が這いずり回っている。

それは俺に気がつくと、ゆっくりとした動きで近づいてくる。よく見ると、ただの液体じゃない。腐敗して水っぽくなった人だった。

体が強ばって動けない俺に、そいつは緩慢な動作で覆い被さってきて、息ができなくなった俺は死んだ。


ガタン、と大きな音で目を覚ます。

机が倒れ、横にかけていたカバンから教科書類がこぼれていた。

クラスメイトは皆俺を見ている。後ろから爆笑が聞こえた。


「増田君、寝てたわね?全く……もうすぐHRも終わるんだから、寝るなら家で寝なさい」


担任の注意が飛ぶ。

すみません、と頭を下げるが、顔はひきつっていた。


いくつか伝達事項を述べ、担任が教室を出ていくと、クラスメイトたちはバラバラと散っていく。

親友も部活があるとかでさっさとどこかへ行ってしまった。


徐々に閑散としていく教室の中で、俺は先ほど見た夢のことを考えていた。

学校と家は遠く離れているため、歩いて帰るのは無理だ。自転車通学は禁止されている。タクシーも現実的な案じゃない。電車には乗らなければならないだろう。


仕方がなく、俺は普通に帰り道を歩き始める。

だが、駅舎の前まで行くと、夢の光景が頭に浮かび、吐き気がした。


あんな荒唐無稽な夢なのだから、実際に起きるはずはない。


そう自分を納得させながら、せめてもの抵抗で電車が来る時間ギリギリに改札を抜ける。

ホームをダッシュで横切り、今にも扉が閉まりそうな電車に飛び込んだ。近くにいたサラリーマンが迷惑そうな顔で俺を見る。


俺は肩で息を整えながら、流れる汗を腕で拭った。

走っている最中にちらと確認したが、特に黒い何かは見えなかった。やっぱりあれは、ただの夢だったのだ。


家に帰ると、母親が半狂乱になりながら何かを振り回していた。


「母さん!?どうしたの!?」


「ナ、ナオキ~、アアアアレが、アレが出たのよ~」


母親は涙目になっていた。

手に持っていたのは、黒光りするあの虫退治用のスプレー。


「なんだ、ゴキブリか……」


「ただのゴキブリじゃないのっ!」


「へいへい。俺がやるよ。どっちに逃げた?」


母親の手からスプレー缶を受けとり、周囲を見回す。

あっち、と震える手で指差されたのは、リビングにあるソファ。


下を覗きこんでみるが、特に何もいなかった。

もしやと思ってソファを蹴ると、衝撃に驚いたのか黒いアイツが隙間からにゅるりと飛び出す。


「うおッ!?」


ゴキブリ。そう、姿形はどう見てもゴキブリだった。その大きさを除いては。

そいつは、少なく見積もっても10センチはあった。今まで見た中でダントツのデカさだ。油ぎった羽をテカテカと光らせながら、ひくひくと触覚を揺らしている。


「……うらあああああ!」


俺は思いきってスプレーを振り撒く。

当然ゴキブリは逃げ出したが、体が大きい分動きは鈍いのか、俺でも追い付けるスピードだった。

執拗に追いかけ回してスプレーを浴びせた結果、とうとうそいつは動かなくなる。


「お、終わった?」


「終わったよ。死骸、捨てとくわ」


ちりとりとほうきを取り出す。

死骸を外に捨てながら、不思議と俺は既視感を覚えていた。


この光景、どこかで見たような。


首を捻るも、正体はわからない。

これがデジャヴというやつなのだろう。俺はひとりでに納得して、家の中に戻った。



**********



次の日も、俺は駆け込み乗車をした。周囲の乗客の目が痛い。駅員からも注意されてしまった。


その次の日からは、普通に電車に乗ることにした。

毎日駆け込み乗車をするわけにもいかないし、もう大丈夫だろうという予測があったからだ。

そして実際、特に何も起きなかった。次の日も、そのまた次の日も。コールタールのようなあの人間を見ることは、もうなかった。


あっという間に季節は巡り、夏になっていた。

来年は高校三年生だ。進路を考えなければならない。俺は希望大学と、足りない偏差値を思ってため息をついた。


ホームに電車が到着する。暗い夜空に煌々と輝く明かりが眩しい。今日はテストの赤点補修の後、図書室で勉強していたので、帰りが遅くなってしまったのだ。

就職しろとうるさい父親をどう説得するか考えながら、俺は電車に乗り込んだ。


ふと昔、ホームで襲われる夢を見たのを思い出す。

あんなものにビビってたなんて、馬鹿みたいだ。なんともないじゃないか。


俺は座席に座り、英単語帳を開いた。

口の中でぶつぶつと呟く。


manner,master,match……politics,popularity,presence……


何駅か過ぎただろうか。

そろそろ自宅の最寄り駅かと思って単語帳から顔をあげた俺は、違和感に気がついた。


同じ車両に誰も乗ってない。


俺が乗り込んだ時は数人乗っていたはずだから、皆降りてしまったのだろうか。それとも、夜中だから人が少ないのだろうか。


こんな時間に電車に乗ったことがない俺は、そういうものだろうかと不思議に思った。


電車の規則的な音だけが響く車内は、どこかそら恐ろしい。冷房がききすぎているのか、背筋がぞくりとする感覚を覚えた。


勉強を再開しようと手元に視線を戻した俺は、単語帳がなくなっていることに気がついた。


「……え?」


周囲を見回して、俺は"それ"と目があった。


俺の座っている場所から一メートルほど。"それ"は俺の単語帳を持って立っていた。


"それ"は猿だった。


ただし、背丈が人ほどもある。


猿は単語帳を広げ、さかんに口を動かしている。


『settle.sink.smell.stare.stimulate.stretch』


奇妙なきいきいという声でまくし立てる猿。


その縦に三つ並んだ目は、正確に俺を捉えていた。


「わああああああああ!!!!」


俺はたまらず駆け出した。

なんだあの化け物は。あんなもの見たことがない。

知らない。知らない。知らない─────


『ホントウニ?ホントウニ?ホホントウニ?ホントトトウニニ?トウウウウウウウニ?ホホホホホホホホホ』


車両を変え、相変わらず人のいない車内を駆け抜ける。

猿は俺にぴったりと着いてきていた。毛むくじゃらの足が目にも止まらぬ速さで回転し、一メートルの間隔を保つ。


俺は段々と先頭車両に近づく。

もうだめだと思った瞬間、電車がホームに着いたのか扉が開いた。


俺は転がるように外へと飛び出す。

後ろを振り返ると、猿は俺をじっと見つめたまま車内から出ようとしなかった。

恐怖のあまり腰が抜けて、そのまましばらく睨みあう。ベルが鳴り響き、猿を乗せた電車は俺から遠ざかっていった。


「ひい、ひい……」


俺は泣きそうになりながら、スマホを取り出した。とにかく誰でも良いから話をしたかった。

電話をかけようとした指が震え、別のアプリを起動する。


災害時に、と母親に無理矢理入れられたラジオアプリが、やかましく騒ぎ立てはじめた。


「ブツッ、ザー……んじつ午後七時頃、○○県○○市で火災が発生しました。燃えたのは一般住宅で、火は既に消し止められています。焼け跡からは二名の遺体が見つかり、この家に住んでいた増田純子さんと増田孝さんではないかと見られています。また、息子である増田尚樹さんの遺体が見つかっていないことから、警察は」


俺はスマホの電源を落とした。

ガクガクと体が震える。どこか現実離れした恐怖にあえぎながら、俺は思い出していた。


子どもの頃、猿の悪夢を見たことがあったこと。

大きなゴキブリの夢も見たことがあったこと。


今まで現実にならなかった夢は、何も起こらなかったわけじゃない。

ただ、まだ起こっていないだけだったのだ。


背後から、じゅるじゅる、と湿っぽい音がした。肉が腐ったような、生臭いにおいがむわっとたちこめる。


それが何か、振り向かなくてもわかっていた。

体は恐怖に強ばり動かない。その腐った黒い手が口を塞ぐのを、俺は何もできずに受け入れた。

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