第參(だいさん)話(わ) 無頼小説家の母物語
今回 未完成第三話
後日 改変編集予定
第參話 無頼小説家の母物語
あの日亡人の存在と化した僕の母は、以前にこんな威厳を含蓄した書を記していた。
常識でない物だからこそそれは美しく、美しくない物だからこそ常識や世間体を日頃維持する。つまり尋常でない物を定義するならば、それすなわち美となる感覚や情が自発的に生成する。無頼派とか異端者程、この世で『美』なるものはなかろう。珍しく、儚く、尊い存在であるから、国宝や遺産物とやらは巷からの注目の的になる、世間という一般凡人から注視されるのだ。この町は現世ではかなり貴重な村落で、常識外れで、平等極まりない人間共が多数いるけれど、シンプルなヒト・モノ・コト、そしてヘビとかは基本的に――死にたくなる程に美しい。病、心、小説の如く。(前島美野里――『美々たるモノ』)
そんな一小説家を見習って『前島先生』と呼び親しんでいたのは、紛れもなく畑田蜜本人で、つまり畑田蜜は僕のお母さんの愛弟子だった。どうやら畑田は母の作風に心惹かれてしまったらしい。その双方が師弟の間柄へと発展したのが、約二年前のことである。
地元の高校に進学した僕と畑田蜜は毎朝共に学校へと登校していた。同じクラスに所属していたわけではないが、しかし毎日彼女と仲良くコミュニケーションを取っていた。そんな頃、母は小説の新刊出版で慌しくして、尚且つ一所懸命に家庭を支えてくれ、何かと大変疲労困憊していたのだった。憔悴しきっていた、疲弊しきっていた彼女は身や心の寄り所を探るべく、とある社に参詣して何かを願ったり、お供え物をしたりしていた。
それと同時に実は、畑田蜜は学校生活において苛めや差別を受けていたのだった。それについて、当時僕は何も知らなかったし、彼女本人から相談されたことすらなかった。多分心配をされたくないという念が彼女の表心中にあったのだろう。
だから母と蜜は町の神に救いを乞うた。古からの女神サラスバティこと弁財天様に願った。ちなみにその弁財天という神は、大昔から蛇を司っており、そしてとある社で多くの人々から根深く信仰されているのだ。だから畑田蜜は町の神に救いを乞うてしまった。
元々その社にある古風な立て板には、『弁財天曰く「本心を祈願するならば、すなわち我に白蛇の生き血を恵み給え」と仰ふ。白蛇の生き血を注ぎ#$%&……』と彫刻されている。それ故に、その曰く付き条件に服従する者が多く、なぜなら白蛇の白い生き血というそれなりの対価や代価を支払うのであれば、必ずや望みは達成される、と信じてしまうから。(こうしてオレオレ詐欺のように人々は騙されるのだ、と僕は内心思っている)
僕の母は昔ながらの町に眠る伝承を小説の台本としているので、つまり白蛇に関する博識が高いので、案外すぐに白蛇のそれを入手することが可能であった。他方、畑田蜜は何の知識も持っておらず、行き当たりばったりの手法のみで白蛇のそれを偶然獲得した。
神に祈りを奉げようとした両者は神社の境内でばったり遭遇した。俗に言われる鉢合せである。身も心も憔悴しきったダークな母親と、日々の部落差別によって生まれたダークな幼馴染の女子は単に相互驚愕した。
それから『他者から心配される人間』とは縁遠い彼女たちは相互に自分の抱える苦悩を話した。結果的に『話したらスッキリした』という落ちで二人は気を落ち着かせることができたらしい。鴉が騒々しく忌々しく共鳴している境内にいた二人は後日、それまで抱え込んでいたストレスや教室内での苛めが、臍の緒が切断されたように解消されたそうだ。結局のところ、その神社に私たちが赴いたこと自体がそれらの歯止めに、事態の帰結になったのだと、ストレスから解放された僕の母は今昔入り混ぜて語っていた。
「心身に不和と歪みを抱えた者は小説家になることが多い――らしい」
「それってどういうことなの? つまり町唯一小説家である畑田蜜自身はそうなの?」
「え、曹。そのままの意味だよ。何らかの影響を受けて、その結果精神的に病帯びた状況に陥りそこから脱出することができなくなると、人間は書を書きたくなるらしい。だから私も有体に言ってそうなのかもしれないかな? でも、私の場合、小説家になった理由の49%は前島美野里先生のお陰かな」
次回 第四話