第(だい)壹(いち)話(わ) 郵便配達員の父物語
今回 第一話
第壹話 郵便配達員の父物語
差出人から預かった手紙や重要書類等を、指定された宛先まで配送するのが郵便配達員の職務であり、また、人々の真摯な思いや心気を、全国津々浦々へ広げるのも、それの一役回りと言えるだろう。つまり毎日多種多様な贈り物を配送するのが郵便局員なのだ。
そんな特性に心を惹かれた僕――前島曹は、その役儀に日々全うしている。郵便配達員という一寸特殊な職業は決して安直な職とは言いえない(そもそもこの人間世界に簡素で簡単な職種は存在しない)が、しかし僕はいつしかその職分を担うことが人生の楽しみ及び生きがいと化していたのである。だから今現在、僕はこの場にいることを嬉しく思う。
僕がこの職に就き始めたのが高校卒業後約二ヵ月後のことで、自分の父親が若い時分から郵便関連の仕事先に務めていたこと自体が、それに49%近く影響を及ぼしていると、僕は太鼓判を押して断言できる。僕がまだ幼かった頃に見た、あの父親の大きな背中に心底見蕩れてしまい、それから『郵便配達』という一種の世業に興味を持ち始めたのだ。
でも実際のところ、地元唯一の郵便局であるところの『白蛇郵便局』に就職したのには、もう一つ別の理由がある。それはつまり、自分自身が郵便関連の職に手をつけた契機の、残る51%のことである。
これは、僕が地元の高校を卒業して間もない頃の物語である。
僕は田舎から随分と離れた大学には進学せずに、そのまま就活を開始する予定でいた。だから僕はただ単純に将来の青写真を思い描こうと居候生活をしていたのである。しかし就職活動とはいっても、僕の場合は気が向いたらハローワークへ出向いたりするだけで、家ではゴロゴロ漫画や小説を読んだり、一口齧られた林檎のマークがついたスマホでYouTubeの登校動画を視聴したりと、粗方不摂生な生活を野比のび太レベルで送っていた。
だがしかし、ここで予期していなかった事件が発生する。高校卒業式の翌日に両親が交通事故に遭い、父と母の双方が命を落としてしまった。自動車で大都市に向かっている最中、反対車線を走行中のトラックと激しく衝突したらしい。この時世ともなると、ドライブレコーダーという最新録画機能で事故の起因を容易に突き止めることが可能で、駆けつけた警察官がそれを利用して、その原因を明らかにした。
急遽その事故現場に呼ばれることになった僕は、それの悲惨さを直截目の当たりにした。車体は原形を留めることなく大破しており、尚且つ二台の事故車両とも道路沿いの河川『蛇川』に転落及び転覆していたのである。その心悲しく酷すぎる状況を、僕はすぐに受容することは当然無理だった。僕は頭の中が真っ白になり、お先真っ暗ならず真っ白状態にただ陥るだけであった。また、人の死とは、果たして何なのかとも思っていた。
親族の唐突すぎる不慮の事故が起こってから数日後、僕の大切な両親の葬儀は大層閑寂に執り行われた。その際、父親の配属先の郵便会社に勤める同僚男性から、僕は一声かけられた。「君の父親の遺言だよ、さあ受け取ってくれ。悲しい気持ちは皆一緒だ。君の父親は頻繁に君のことを自慢げに語っていたんだ。本当によくできた息子だとね」と。そう言った後に、彼は涙目でB5判封筒を一通僕に手渡してきた。
僕は何も返答することなく、無言で早速その白い封筒をその場で開けてみた。がしかしその中に入っていたのは何も書かれていない、つまり文面なしの、ただの白い紙だった。
先ず僕は、どうして父がこのようにして遺書を友人に託していたのかについて疑念を抱いてので、彼に直截問うてみた。すると「郵便配達員だから、つまり任務中に交通事故に遭遇してしまった場合のことを考慮してだと思うよ。いつ命を失うか想定できない配達員にとっての跡形の意志というか、決断というか……。縁起の悪い話ではあるのだけれど、しかし大切な人がいる者にとっては、そうしなくてはならないのだろう」と彼は応じてくれた。「ではあなたもそうしているのですか?」と聞こうかと思ったが――それは止めた。
なるほど、つまりその遺書は言わば『遺書の保険』『保険の遺書』といったニュアンスなのだろう。配達員はよくバイクを操作する為に、いつ死ぬかわからないから、このような形態で遺書を記せざるを得ない、ということなのか。そうなのであれば、甲斐なかろう。
果たして、その純白極まりない父の遺書が何を意味しているのか。親の死で頭の中は父親の手紙と同様に真っ白であった為に、僕は何も考えることができず、それを解することが出来なかった。彼は一体全体何を伝達しようとしているのか、全く理解できない状態がしばらく継続するのだった。
しかし翌朝A.m.4:07になると、その意図がようやく僕自身によって解明(?)される。
――郵便配達という、一篇常識そうであって、また、一篇風変わりした職業の主な役割は、第三者の気持ちを必ず宛先の人物まで届けることだ。たとえそれが何かの申請書や申込書であったとしても、葉書だったとしても、恋の手紙だったとしても、そして何も書かれていなかったとしても、依頼された限りは絶対に、託送してあげなければならない。父さんは、そこが郵便配達の醍醐味だと思うんだよ。人間同士の相思を、たとえ遠い場所でも運び届けることが大切なんだ。
かつて父親が言い放っていた言が偶然夢に出た。すると数分後(僕は白い腕時計を確認してから起床した)、その白紙の遺書の謎が解明できたような心地に、僕はなった。『何も書かれていなくても届けるのが郵便配達員の使命なのだ』と。だからその役割を僕自身にもやって欲しいということを、跡継ぎして欲しいということを、僕の親愛なる父親は伝えたかったのだろう、と若干釈然としないような解釈をした。
このタイミングでの両親の逝去、そして卒業後の就職活動、これらは何かの縁だというのか。僕はそんな失敬に値するようなことを想像し始めながら、ここでとある決心をする。
そうだ、父親の跡継ぎとして――郵便配達員になろう。
父親が残した白紙の手紙――白紙の遺書の意味を僕はそうだと勝手に捉え、解釈してしまったが、しかしそれは恐らく真実かもしれない。また、彼は自分に尊い夢を授与してくれたのであろう、僕に将来を預けたのだろう、委託してくれたのだろう。さながら天国から手紙を託送するかの如く。(人の死を長々と論述するのは無礼なので、ここで終了する)
こうして僕は卒業後、すぐに父親と同様の郵便会社に勤めることになり、毎日切磋琢磨して働いているのである。早朝から町中を駆け巡りながら郵便配達を行い、それを夕方まで続けなければならない。「君、運転免許書は?」と僕の場合は聞かれる機会が多いが、しかし大学受験とは無縁の僕であったので、卒業以前に免許試験を受けておいた次第である。また、仕事の覚えや認識能力が他人よりも優れていると他者から評価されることもあり、僕はすぐに本格的な配達員として毎日活動を開始することができたのである。
僕はこうして父親及び自身の心志を未来へと繋いでいこうとしたのだ。
郵便配達員は慮外、大変な職業の一種でもあるのだということは、先程論述した通りだ。
僕のかつての父親は、毎日早朝に鶏の叫び声と共に起床し、彼の愛する配偶者の調理する朝食を美味しく頂戴し、丹念に歯を磨き、颯爽と正装を身に纏い、日本人お決まりの退出挨拶をして、職場に赴く。会社に到着した後はその日に配達する郵便物を仕分け、それが完了し次第、町中を駆け抜けていく。今僕自身も基本的にそれと同等の生活をしている。
常に死と隣り合わせの仕事と言えば、工事現場や自衛隊、消防士、警察官、車両操縦士等を連想せざるを得ないが、しかし郵便配達員もそれらと同じ程に危険が身近に潜んでいる。また、人々の意思を宛先まで届ける為に、日々疲弊しながらも努力しているのだ。
そんな日々多忙な僕に感心の念を寄せていたのは、確かあの十八歳の小説家だったか。
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