ねえ知ってる?それ、タイトルじゃなくてあらすじって言うんだよ
はい、いきなり喧嘩腰なタイトルですみません。ですが、別に喧嘩を売りたいわけではないのです。
今回は作品のタイトルについてのご提案があって、自分なりに多くの方に読んでもらうにはどんなタイトルをつければよいかと悩んだ結果がこれなのです。お時間のある方はしばしお付き合いいただけると幸いです。
さて、昔からなろう小説を読んでいて気になり続けていたことがあります。
なんでこんなに長文の説明口調のようなタイトルが多いのかということです。言い換えると、『あらすじそのもの』のようなタイトルが非常に多いのです。ランキングに載るような作品もそうでない作品も問わず。
作者の皆さんも読者の皆さんも心当たりはあるのではないでしょうか?
このような状況になっているのは小説投稿サイトという場である以上仕方のないことだとは思います。
商業作品として本を出すプロ、いえあえて名の売れているプロと言いましょう。そのような方は長文のタイトルをつけることはあっても、あらすじをただなぞるようなタイトルの付け方はしていません。それはなぜか?
簡単です。そんなことをしなくても人の目に留まるからです。
ここでなろうで書いている方々に話を戻しましょう。こちらは先ほど述べたプロとは違い、ほとんどが自らの名前を知られていないアマチュアです。ですがここに作品を投稿する以上、気持ちの程度に差はあれど他者に作品を見てほしいということは確かでしょう。
名前の売れていない者が数多の作品の中から自身の作品を見てもらうにはどうすればよいのか。読者が作品を探す時、たいていの場合は新着作品、ランキング、キーワード検索を利用するでしょう。
そしてそこに表示されるものは「タイトル」と「作者名」の2つです。あらすじや作品の中身を見るにはもうワンクリックの手間が必要になります。
つまり、読者を作品に誘い込むにはこの2つで気を引かなければならないのです。しかし、作者名が武器になるのは一定の評価をすでに得ている人のみ。ここが最大のポイントです。
タイトルという限られた武器しか使えない作者は考えます。作品を読んでもらいたい。けれども、タイトルだけでは人を呼び込むことが難しい。せめてあらすじだけでも読んでもらえれば興味を持ってもらえるかもしれないのに…
ここで悪魔が囁くのです。
『だったらあらすじをタイトルにしてしまえばいいのではないか?』という風に。
さて、ここからが本題です。私はこう言いたい。
そんな思考は今すぐ捨てろと。
多少の読者を稼ぐために、好きで書いている作品に好きでもないタイトルをつけるなと。
そもそも前提として間違えている。
タイトルには力がある。人を引きつける力が。
タイトルには技がある。作品を昇華させる技が。
しかし口では何とでも言えるので、ここで私がタイトルへの考えを変えさせられた作品を2つ紹介しましょう。
太宰治『人間失格』
人間失格。たった四文字。だが、私はこのタイトルを初めて見たとき心臓を鷲掴みにされたかのような衝撃を受けました。これほどまでに力強い言葉があるものかと。人間失格なんて言葉が存在していいのかと。おそらくこれを見てその名を忘れられる人はいないでしょう。
この作品との出会いは私が小学生の頃、千円札を一枚握りしめ街の本屋に漫画を買いに行った時のことでした。漫画コーナーに向かう途中、たまたま目に飛び込んできた人間失格の文字。気付いたら私は漫画のことなどすっかり忘れ、その本を抱えレジへと走っていました。幼い時だからというのもあるでしょうがそれほど心を打つタイトルだったのです。
以降、両手の指では到底足りないほど読み返した作品であり、読み返す度にもっとふさわしいタイトルはないものかと私なりに考えてみますが、結局いつも分かるのはどうやら私には太宰ほどの才能はないようだということだけです。
続いてもう一つ。こちらも知っている人は多いでしょう。
志賀直哉『城の先にて』
軽くこの作品の背景とあらすじを述べておきます。まず、志賀直哉はこの作品を書く前電車に跳ねられ重症を負います。その後なんとか命は助かり、城崎温泉で療養生活を送ります。そこでの自身の体験を元に書かれた作品です。
話の内容としては、城崎温泉でいくつかの生き物の生き死にを目にし、命拾いした自身を省みるというものです。
私はこのタイトルを初めて見たとき、つまらないと思いました。ただ、安直に地名をつけた何の工夫もないタイトル。
しかし、作品を読み終わったあとにこの作品が草稿の時点では〈いのち〉というタイトルだったことを知ります。ふむ、いのち。その方が作品の本質に迫ったよいタイトルのように思えました。
なぜ志賀直哉ほどの人がわざわざつまらないタイトルに変えたのか。気になった私は城の崎にてについて調べると、この作品を書いた志賀直哉の背景を知りました。
なるほど、これは自身の命の危機を元に書かれたものなのか。そこまで知ったところで私の頭の中にある仮説が浮かびました。
これは城崎での出来事だから「城の先にて」なのではない、自身の命の危機を乗り越えた後に記した『危の先にて』ということではないかと。
だからこそ〈いのち〉ではなく、何の変哲もないつまらない『城の先にて』でなければならなかったのではないかと。
これは単なる私の仮説に過ぎないかもしれません。ですが、このことに気づいた時、私は作品を読んだ時以上の感動を得ました。そして、作品を読み返すと先程より内容が深く感じられるのです。私は確かにタイトルに、たかがタイトルに魅せられてしまったのです。
どうでしょうか皆さん。あくまで私の個人的な体験を述べてみましたが、少しはタイトルの重要さが気になったのではないでしょうか。
おもしろい作品であっても、タイトルで損をしている作品がこのなろうには多すぎるのです。せっかく頭を悩ませ、時間をかけて産みだした作品なのですから、タイトルもあらすじをなぞったような思考停止したものではなく、きちんと考えてほしいのです。
そうしたらきっと、作品を書くあなたもそれを読む読者も、今よりもっと作品を愛せるようになるでしょう。
あなたの心のこもった作品、楽しみにお待ちしております。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
また、評価や感想を送ってくださった方もありがとうございました。