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黒い嵐

作者: G·I·嬢


 大学生活。まさしくこれまで歩んできた青春時代の集大成とも言える場だろう。

 多くの人間がそうであるように、この俺もまだ見ぬ薔薇色の生活に胸を躍らせていた。

 

 ああ、目を閉じれば思い浮かぶ。


 キャンパスを少し背の低い後輩と愛を語らいながら歩く俺。

 気の置けない仲間と酒を飲み夢を語らう俺。

 様々な後輩から頼られ、仕方ないとばかりに活躍する俺。

 全てが、この先に広がっているのだ。


 甘い恋も、少々臭い青春も、ちょっぴり苦い経験も全てだ。


 そんな事を思っていた俺はこの先、苦い経験を早速味合うのであった。


***


 俺は目の前の建造物を一目見て絶句した。

 

 歴史を感じる建造物と言えば聞こえはいいがそれは即ち現代の建築としては余りに不安定な代物とも言え、事実そのアパートはそこかしこが錆びつき、壁には俺の身長ほどのヒビが入っていた。

 少し力を込めて蹴り飛ばせばあっという間に全壊してしまいそうな儚げな存在であり、見ている分には歴史的建造物としての興味から楽しめそうだが、ここに住む人間の精神は死んでいるかと疑わしくもなる存在であった。というより、俺の新生活の拠点だった。


 迂闊だった。安さと立地の良さから選択した、と親は言っていたがこんな地雷原のような家に息子を住まわせるとは、我が親ながら神経を疑う。

 いつ崩れるかもわからない恐怖の中で俺は眠れるのだろうか。


***


 つるつると良く滑る階段を上がった廊下の端、そこに俺の部屋があるらしい。

 持っている鍵をドアノブに差し込むとぴったりと合った為この部屋で間違いなさそうだ。


 こんな不安定な住処だが、せめて内装くらいは綺麗であってほしい。

 その思いを乗せて扉を開くと、真っ暗であった。


 今は昼間だというのになぜここまで暗いんだ。とりあえず中に入って電気を点けよう。と、部屋の中に乗り込んだ。


 またも迂闊だった。この部屋にはすりガラスの窓が確かに存在していてそこから光が差し込む筈なのだが、それすら無く真っ暗闇という時点でその異常性の高さに気付くべきだったのだ。


 踏み込んだ足はぐしゃりと何かを踏み潰し、その感触に驚嘆した俺が一歩下がった時、それは起こった。

 

 部屋に段々と光が差し込み、羽音がし始めた。

 暗闇は剥がれ、宙を舞い、そして、俺に向かって飛んできた。


 暗闇の正体は、ゴキブリだった。あの部屋で幾日も蠢いていたのだろう。


「おわああああああああああ!!!!!!」


 俺は悲鳴と共に扉を閉め、廊下を駆けた。


 一刻も早くあの部屋から離れたかったのだ。しかし、その焦りからか足元の階段に気付かず、滑って階下まで転がり落ちた。


 痛む腰を擦りながら立ち上がると、無精髭を顔の半分ほど蓄えた男が立っていた。


「君、大丈夫かい」

 

***


「ああ、あのゴキブリ達ね」


 事情をある程度話すと髭面の男は納得したように頷いた。


「何か知っているんですか」

「あそこは私がこっそり実験室として使っていてね。ある時適当に作った薬を床にこぼしたら急に湧き出したんだ」

「それじゃあ、あなたのせいであんな酷い事に?」

「うむ、そうなる」


 俺は髭面を張り倒したい思いを必死に抑えた。


「どうやって対策すればいいんですか」

「全部殺すしかないんじゃないかな」


 男は無責任にそう言った。

 俺は再び衝動を抑えた。


***


 次に俺が件のアパートに現れた時、既に陽は落ちかけていた。橙の光が赤褐色の屋根をある程度見栄え良くしていた。

 そのアパートの二階左端を睨みながら、俺は両手に持つポリ袋を置いた。


 俺が両手に持つポリ袋には様々な害虫駆除グッズが入っていた。あの髭面に買わせたのだ。「まさか、ここまで図々しいとは」とあの男は言っていたが、借りてもいない部屋を節足動物だらけにしておきながら、それを放置した人間に言う資格はない。

 ちなみに、その無責任男はあのアパートの一階に住んでいるらしい。ある時偶然に開いていた扉を見て、これ幸いと色々な研究を成していたという話だった。


 購入した品々を確かめる。

 まずは冷凍スプレー。これにより奴らの動きを止める。そして、この殺虫剤の数々。動きが止まり、的となった連中を一網打尽にするための代物だ。

 ある程度片付いた所でこのバルサンである。完全なる駆除を達成する為には必要不可欠。家具の一切はまだ届いていない為、用意は必要無い。


 俺は目を保護するためのゴーグルを装着し、ゴム手袋の裾を引っ張り、長靴を履いた。


 いよいよ、決戦だ。

 俺はアパートの階段を慎重に上り、一歩、また一歩と目的地に向けて足を進め、それを目前に捉えた。

 眼前にそびえる金属製の扉がとても巨大な壁に思えた。


 何とか奮い立ち、冷凍スプレーと殺虫剤の両方のキャップを外し、ノズルを付け、それぞれの手で振り始めた。


 そして、扉をゆっくりと開いた。


***


 ばたばたと音を立てながらそこいら中に黒羽根が飛ぶ。その数の多さはまさしく嵐の如くであった為、下手に狙うより無茶苦茶にばら撒いた方が良いと判断し、殺虫剤を撒きに撒いた。顔目掛けて飛んでくる個体は腰に携えたハエたたきで叩き潰す。冷凍スプレーで動きを止めるより、ハエたたきで直接殺した方が早い、と気付いた俺はすぐさま冷凍スプレーの缶をゴキブリの群れに投げつけた。


 右手の人差し指が疲労を訴え始めた。そして、ニ、三度押しても液が出なくなった缶を投げ捨てて、ハエたたきを本格的に構える。

 そこからは、肉弾戦である。口に飛び込まれた時は、口を布で覆わなかった事を後悔したが、噛み潰してなんとか対応した。殻の付いた海老の様な感触だった。


 宙を舞う黒い塊がまばらになってきた所でバルサンの蓋を外し、擦って火を点けた。煙がもくもくと上がったのを確認したら、すぐに扉を閉めた。

 

 部屋の外から窓が閉まっている事を確かに確認した俺は、とりあえず口をすすぐ事にした。

 

***

 

 しばらく時間を置いてから、再び階段を慎重に登り、明日よりゴキブリの巣窟から俺の部屋になる場所へ立ち入った。

 赤い陽は既に落ち、薄くぼやけた月が低く上っていた。


 バルサンの残り香に首を傾げながら、電気を点けると、部屋中に黒い死体が点在していた。想像通りとはいえ、こうして目の当たりにすると不快感は凄まじい物である。用意していた黒いゴミ袋に先程まで生命だった物を、たっぷりと詰め込んだ。持ち上げてみると、その重さが疲労の溜まった体をずっしりと苦しめた。

 その俺にもたらされた苦痛が、最早ぴくりとも動かない節足動物達の最後の抵抗に思えた。


 階下へ降りてゴミ集積場へ向かおうとすると、髭面の男が歩いてきた。街灯に照らされるその顔は酷く赤い物で、酒を飲んできた事が一目でわかった。


 俺が、ここまで苦労して、口に虫まで入れたのにこの男は何をしているのか。


 疲労と積み重なった物からか、遂に俺は爆発した。


 手に持つ黒いゴミ袋の結び目を解き、歩く髭面に向けて投下したのである。

 ばらばらと、羽根や脚やらが油汗をかいた顔にへばりつき、それに気付いた髭面は面食らったらしく、地面にへたり込んだ。そこへ俺がすかさず詰め寄る。


「やい、この野郎。お前の責任なんだぞ、この片付けはお前がやれ」


 俺が襟首を掴んでそう言うと、髭面は急に顔を青くして少し、震えたかと思うと、撒き散らした。


 後から聞いた話だが、それは寿司やら焼肉やら焼き鳥やらの混合物で、焼酎、ビール、ハイボールのちゃんぽんでもあったそうだ。


 吐瀉物を浴びた俺は混乱の余り、地面を転がり体中にばら撒いたゴキブリの破片を付けたのであった。



 その後、俺は泣きながら、これから迎える大学生活が、これより酷い事にはならないように祈った。


 

 

 


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