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最初の血


 西暦二千三十年代、古くから議論されて来た死刑廃止論がいよいよ世論を席巻し、時の左派連立政権主導で議会通過後に法制化された結果、日本は死刑が廃止された。

繰り返される保守系議員側の怠惰と傲慢から民心が離れてしまった事が主な原因だと言われているが、時のリベラル政府とマスメディアのミスリードが、より強く働いたのは間違いない。


 よってその後の日本の刑法には死刑と無期懲役と言う文言は消え去り、その犯行の内容により懲役年数がひたすら加算されると言うシステムが出来上がる。

稀に欧米のニュースで聞こえて来る「大量殺人犯に、懲役二百年の実刑判決!」などと言う、アホかとつい眉をしかめてしまう様な事が、この国でも現実の出来事になってしまったのである。


 だが、欧米などの死刑廃止国と新たに死刑廃止国となった日本では大きな違いがあった。


 凶悪犯罪が発生すると、欧米などではSWATなどの重武装特殊鎮圧部隊が即出動し、犯人確保よりもまず射殺をも辞さない鎮圧を優先する。鎮圧部隊に限らずとも、通常勤務の警官や刑事でも常に銃を携帯し、射殺を辞さない警察活動を行なっていた。

しかし日本は古くから射殺の文化は無く、警官は殉職してでも生きたまま犯人を確保せよと言った風潮が席巻していたのである。


 事実、警官が凶悪犯に対して威嚇発砲しただけでも、人権派を隠れ蓑にした反自由主義の革命新聞や系列テレビのニュース番組がこれでもかと大騒ぎし、警察側が発砲は適切な処置だったといちいち記者会見を開かなくてはならないほど。

この国においての銃は、アンダーグラウンドで悪用される銃よりも、自衛隊や警察権力の力の象徴を悪として、反自由主義運動家たちの思想闘争に都合よく扱われて来たのである。

そして、常軌を逸した扱われ方と認識を植え付けられた社会は、とうとう警察官や被害者の生命財産や街の治安よりも、加害者の権利保証が尊ばれる歪な社会へと変質を遂げたのである。


 つまり、死刑が廃止されたこの国で凶悪犯罪を起こした者は、射殺もされず死刑の恐怖からも解放され、老衰で昇天するまでぬくぬくと塀の中で日々安穏と生活を送る事を認められたのである。


 学生運動が沈静化した後の、昭和の後半から始まった偏ったマスメディアによる偏執的思想教育によるモラルハザードは、マネーゲームを煽り、男女同権運動を女尊男卑に変質させたりと、まるで文化大革命の様に既存文化を次々に崩壊させる事になる。

そしてカタカナ英語を日本語に混ぜて平然と会話する輩が現れたり、子供の命名にあり得ない漢字を組んでまともに読めない崩語文化が蔓延したりと、国民の精神文化は淀みに淀んで、世界に冠たる先進国にも関わらず国民の民度は急激に下がって行った。

もはや、渋谷のセンター街で、幼女が変質者にレイプされていても誰もそれを止めようとはせずに、動画や画像で撮影して自身のSNSにアップロードして、仲間に自慢する時代にまで堕ちてしまったのである。


 しかしここで新たな問題が噴出する事となる。気味の悪い社会が形成されれば、人心が荒廃してしまえば、当然の事年々凶悪犯罪も増し懲役施設への収監者も激増する。何ら生産性の無い禁錮刑受刑者はもちろん国民の税金で養われており、その結果国家財政が破綻の危機を迎えてしまったのだ。

無論財政破綻の原因はこれだけでは無い。少子高齢化による福祉財源の逼迫など理由はいろいろあるのだが、減る要素がまるで無い禁錮受刑者の激増は、新たな社会問題として国民一人一人の財布を蝕んで行った。


 だが、それを唯々諾々と受け入れずに抗った者たちがいる。政財界や各官庁の有志で作られた謎の組織がそれで、知る者はその組織を柳田(やないだ)学校と呼んでいた。


 柳田と言うのが苗字なのか、それとも地名なのかさえ分からないその組織は、様々な少数ユニットの結合体であり、その都度流動的に動く為その全貌を知る者などは皆無に等しく、鼻の効く新聞記者であっても柳田学校の名前すら知らない程に、謎に包まれたこの組織は、正義を旗頭に据えて、常に闇と同化しながら事を成して来た。


 中学生がイジメを苦にして自殺した事件で、イジメの事実は無かったと公式発表した校長とそれに追従した教育委員会の会長の子息全てを、暴漢を装って毎日毎日徹底的に暴行し、校長と会長を精神崩壊させ、

子供の命よりも自分の立場を守る為に日々を過ごしていた全国の学校関係者を震え上がらせた、見せしめ作戦や、

地震や豪雨などの大規模災害が起きた際、寄生虫の様に被災者に群がる俗に言うマスゴミなどの「イエロージャーナリズム(扇情的報道手法)」を実力を持って完全排除した、ドロップアウト作戦などを実行に移し、

記憶に新しいところでは国会議員やジャーナリストに化けながら、共産主義国家と通じて自由主義国家日本に対して革命闘争を続けて来た革命闘士たちを、スパイ防止法の元に一掃するクリーンナップ作戦も成功させた。


 無数の内外の敵と闘って来た柳田学校ではあるが、その闇の更に闇の中に、超能力者藤森修哉もいたのだ。


 自称聖職者や、自称国士や、自称真実のジャーナリストなどの小悪党に鉄槌を下すようなチンケな役割では無く、柳田学校が自らを本来成すべき正義と位置付けした、凶悪犯罪者の完全排除及びテロ組織の壊滅……、この本筋の本流の中で修哉は、己の才能を発揮して来たのである。


 児童福祉施設から脱走して路上生活者となり、後に柊小夜に拾われた修哉は、柳田学校が密かに資本を入れた警備会社にその身を置く事となる。

だがその警備会社とは表向きだけ警備会社の看板を掲げていたものの、その実態は皆無に等しく、裏ではPMSC(民間軍事会社)として世界中に兵士を貸し出していたのである。

修哉も柊小夜に保護された後に、能力のさらなる開発と実戦経験を積む為にと、海外の戦場を転戦させられ、そして帰国後にいよいよ柳田学校の本分である暗殺業務にへとシフトして行ったのであった。


 近々、大量殺人などの凶悪事件を起こすであろう人物を、仲間の予知能力者によって特定させ、それを未然に防ぐ為に修哉が派遣された。

もちろん、それが暗殺だとバレない様に、もっと言えば司法解剖で他殺と断定されない様に、修哉のディメンション・リビルドは他の追随を許さぬ程にその力を発揮したのである。


 対象人物の脳髄に、1センチまっ角よりも小さな異次元を発現させ、脳内で大量の出血を起こさせる。つまり大動脈瘤破裂に偽装して抹殺するのである。

それはまさに洗練された殺しの技法であり、柳田学校が指示して来る暗殺業務は結果として、藤森修哉が全てを請け負って行ったと言っても過言ではない状態であった。


 その、骨の髄まで殺し屋となった修哉が、何故か今情で動いている。


 感情の抑揚に乏しく、暗殺を繰り返し行って何人もの人々を葬って来ても、眉ひとつ動かさず高揚も低迷もしなかった少年が、見た事も聞いた事も無いこの異世界で、一組の親子の無事を祈って、このクラースモルデン連邦共和国の最北端、亜人種の国との国境に位置するへんぴな村、ボルイェ村の中を必死になって駆け回っている。


 命の恩人だからか、レオニードの優しさにあてられたからなのかは本人しか分からないが、その焦りに満ちた形相は二人の無事を心から願う顔であり、その為にはどんな手段をも行使するのだと言う覚悟が、爪が肉に食い込みそうな程に握りしめられた両の拳に現れていた。



 口から白い息をもうもうと吐き出しながら家屋を一件、二件と通り過ぎる。村人たちが指差した方向に向かいひたすら全力で駆けているのだが、未だにレオニードとエマニュエルの姿は修哉の視界に入って来ない。大して密集している集落でもないが、集団に襲われたなら裏口や路地裏に逃げ込んで闘う方向を限定的にする方法もある。


 もしかしたらレオニードたちは、修哉が瞬殺した兵士たちとは別の部隊と、今も攻防を繰り広げているかも知れない。

そう思った瞬間彼は民家の柵を軽々と乗り越え、他人の家の庭だと言うのに、臆する事無く平然と突っ切り路地裏へと躍り出たのだ。


「レオニード!」


「きゃああ!お父さん!」


 修哉の叫び声と、少女の悲鳴が重なる様に、辺りに響く。


路地裏に入った瞬間、修哉の目に飛び込んで来た驚愕の光景を、兵士に腕を掴まれて父親と強引に引き離された二つの幼い瞳も見詰めており、結果として二人は同時に叫んだのであるが、その光景とは、この二人に限らずに、ごく普通の人間が目撃しても目を背けたくなるほどの、惨たらしく残酷な瞬間だった。


 ナイフ装備主体の、軽装備斥候兵(スカウト)五名が、村の広場にいた本隊とは別行動をとっていたのかレオニードとエマニュエルの二人を追い詰めており、たった今レオニードにとどめの一撃を見舞ったところ。

レオニードも剣を手に防戦していたのだが、親子で逃げながらプロの兵士たちとの斬り合いは、老いたとは言え一流の騎士であった彼の本領を発揮出来なかったのである。


 スカウト二名がエマニュエルを引き離し、残りの三名がレオニードの前と後ろから、短剣を深々と突き刺す。

それらを追い払おうと吐血しながら右手の騎士剣を、ぶん!と横殴りに払うも、スカウトはナイフを抜きながら軽くそれをかわして一旦距離を計り、再びレオニードに襲いかかろうとした。


 だがこの光景を見て、呆気に取られたり、恐怖に打ち震えて傍観しているほど藤森修哉はヤワではない。むしろ彼の全身の毛穴から、激怒により沸騰した血潮が血煙となって噴き出しそうな勢いで、スカウトたちに向け憎悪の視線を突き刺す。


「貴様らああっ!」


 怒りにに任せて彼が叫んだ瞬間には既にスカウト五名の運命は決まっていた。


 遭遇してから一瞬の出来事ではあったので、能力の加減などの火力調整は出来なかったが、職業病と言っても良いほどにスカウトたちの距離と位置の空間把握は終えていたのである。

そうなればいくら軽歩兵が素早い動きで翻弄しようとも、藤森修哉にとっては驚異でも敵でもない。


 唯一無二の能力、ディメンション・リビルドは音も立てず瞬時に、兵士たちの首から上を異次元空間にへとすり替えた。異次元空間に切り取られた兵士たちの頭部は、あっちの世界の重力に従って落下したのか、完全に姿を消した。


 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、そして司令塔と、その全てを失った人体はただの肉の塊と化し、一斉にぱたりぱたりとその場に沈む。

頭が無くなった事に気付かずに彼らの心臓は相変わらず、力強くその脈動を続け、頸動脈からぴうぴうと勢い良く血を吹き出し始めたのだが、戻って来ない血液に圧力は弱まりやがて全てが静かに止まった。


「レオニード、エマニュエル!」


 二人の元に駆け寄る修哉。

エマニュエルは倒れ込んだ父親の姿と、あっと言う間に首から上が消えた兵士たちの姿を見てショックを受けたのか、ひいひいと食いしばった歯の隙間から小さな悲鳴を漏らしながら、その場で完全に硬直している。

エマニュエルの心的なケアも大切だが先ずはレオニードの手当だと、倒れている彼の頭を抱えて、声をかける。


「レオニード、大丈夫か!?魔法を、回復魔法を!」


「無理だシューヤ。……自分自身に……魔法はかけられない……」


「何を言っている!?このままでは出血多量で……!」


「回復魔法は、他者への献身が……具現化した力なんだ。……だ、だから……」


そう言いながら、レオニードは修哉の腕を引っ張り彼に顔を近付ける。


「シューヤ……娘を頼む……。エマニュエルを」


 レオニードが自分自身に対して回復魔法を使えるものだと、今の今まで思っていた修哉であったが、使えないのであれば正直なところ手の施しようが無い。

致命傷であろう無数の刺し傷は今も常にどくどくと血を溢れさせ、止血すれば何とかなるなどと言ったレベルでは無いからだ。

つまり、レオニードが娘を頼むと修哉に懇願するのは自分の最後を悟ったからであり、娘の今後の面倒を自分の代わりに修哉に託すと言っているのである。


 親子の仲は良かった。あの修哉がつい微笑んでしまう程に父と娘の絆は固く結ばれ、日々の生活が笑顔に溢れていた。

娘の行く末を案じ、娘の幸せを願うならばこそ、自分がしっかりしなければと言う決意に満ちていたはずのレオニード。その言葉は本心であり、死を覚悟し娘を修哉に託すと言う言葉に嘘偽りは無い……。

それに気付いた修哉は、大声で何度もエマニュエルの名を呼ぶ。こっちへ来いと、無駄に力を入れて全力で手招きする。後悔しない様に最後のお別れをしっかりやれと、親子に配慮したのだ。


「お父さん……お父さん……」


 レオニードに死が訪れる事をこの幼い少女も気付いているのか、大量の涙と鼻水を垂らしながら父親にしがみつく。

レオニードはそんな娘の頭を弱々しく撫でながら、修哉の言う事を聞け、幸せになるんだぞと、枯れそうな声を絞り出す。


「シューヤ……。家の天井裏にいざと言う時の荷物が……」


「ああ、安心しろ。エマニュエルは俺が、全力で守る」


「……頼んだぞ、異国の戦士よ……」


「お父さん!お父さん!お父さん!」


 レオニードはついに力尽き、瞳に満ちていた光が消え去った。空いている方の手を使い瞼を閉じてやる修哉は、お父さんを丁重に葬ってやろうと、泣き崩れるエマニュエルの肩に手を当てて立ち上がる事を促す。


 ーー人の死に立ち会って、此れ程胸が苦しくなった事など今まで一度も無かった。何だ、この腹の底から湧いて来る抑えようの無い怒りはーー


 それが「最初の血」の清算つまり、復讐心である事に気付いていない修哉。

最初の血とは被害者や被害家族が流す血や涙などの悲しみの事を言い、その清算とは言葉通り実力をもって復讐を行い、五分五分の状態に戻す事を言う。


 負の連鎖だの平和解決だのと騒ぐ輩に限って、当事者ではなく全くの無関係者である。安全な場所から俯瞰で物事を見る者であり、もちろん最初に血を流した者ではない。

最初に血が流れたら完全勝利か、落としどころを模索するしか無く、人類の血で塗り固められた歴史上それを成し得た者はそうそういない。


 この歳になるまでの数年間、何の感慨も無くただ一方的に殺戮を繰り返して来た修哉だが、この時彼もロージーやロージーの家族、そして村の若者やレオニードなどの死に直面し、怒りを糧として最初に流れた血の清算をしようとする衝動に駆られたのである。


 だが、今はまず自分の感情の整理よりも何よりもレオニードの葬いをせねばと思い、レオニードの亡骸を肩に背負い、玉の様に溢れる涙をぐしぐしと乱暴に拭いながらも、嗚咽を止めようとしない幼いエマニュエルの手を取る。


 ……先ずは、弔ってからだ……


 走りに走った自分自身の疲労や、限界まで達しそうな喉の乾きなどを一切無視し、エマニュエルを連れた修哉は村の広場へと足を進める……。


 レオニードが最後の最後に、泣きじゃくるエマニュエルに向かって「皇女殿下、申し訳ありません」と、かすれた声で掛けた言葉の意味を、とりあえず考える事を止め、記憶の片隅に押し込みながら。


 ◆序章

 終わり




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