エマニュエルが寝ている間に
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【クラースモルデン連邦共和国】
戦乱続くこのエルゲンブレクト大陸において、八百年続いた王政を否定した民衆と軍部の一部が合流し、十年前に革命戦争と言う名の内乱が勃発。
その三年後に民衆が勝利し、王族と貴族全てが人民裁判にかけられ即日結審の死刑判決・執行をもって、王政は完全に終わりを告げて民主国家が誕生した。
――王政による搾取の時代は終わり、人民の、人民による、人民の為の政治を!――
それをスローガンに始まった民主政治ではあったがそこに暗躍した集団が存在する。
クラースヌイツベート……、それがその政治結社の名前であり、革命前から地下活動を重ね、革命が成功した際には既に民衆の思想的支柱となって、深く深く民衆と政治に食い込んだのである。
クラースヌイツベートが主導する、地方代議員選挙
クラースヌイツベートが主導する、国会議員選挙
クラースヌイツベートが主導する、国会運営
クラースヌイツベートが主導する、クラースモルデンの政治。
ここまでならまあ、民主主義に慣れていない人民を一つの政党が導いたと言う評価はあるかも知れないが、一党独裁が色濃くなれば自ずと弊害は出て来るもの。時が経てば経つ程にクラースヌイツベートの功罪は、より罪の側へと傾いて行く。
クラースヌイツベートが主導する、他党の抹殺
クラースヌイツベートが命じた、言論弾圧
クラースヌイツベートが命じた、資本主義の否定
クラースヌイツベートが命じた、知識層の再教育
クラースヌイツベートが命じた、少数民族弾圧
クラースヌイツベートが命じた、思想警察による取り締まり。
最早、話を聞いている修哉が、おいおいどこのソビエトかナチスなんだと呆れる程に、完全に全体主義又は社会主義に染まっていたのだ。
昼間、ロージーから聞いた話で気になった事があり、エマニュエルが寝た後を狙ってレオニードにも聞いてみる。
暖炉の柔らかい灯りを前に、アルコール度数の高い果実酒のお湯割りをちびりちびりと楽しむレオニードは、苦笑いの成分を多分に含んだ顔で修哉の疑問に対して完璧な内容で答える。
「君の推察通りだよ、シューヤ。ユゼフ・ヴィシンスキイ連邦国家議長、それが独裁者の名前さ」
「なるほど、結局は王様が独裁者に代わっただけか」
「そうとも言えるが、状況はひたすら悪くなる一方だと思う」
「まあ、軍部への統制力を高める理由と民衆が不満を抱かない様に、ガス抜きの意味も含めて、今後は隣国に難癖つけて戦争でも始めるんだろう。いずれにしても、熱にうなされた民衆がそいつを選んだんだ。自業自得の部類には入る」
「シューヤ、君は聡明だな。その歳でもう、主観では無く社会を客観視出来るとは」
笑うレオニードは修哉をそう言ってからかった訳では無い。
まだ二十代にもなっていない若者ならば、世の不正や不平等に直情的に怒りを覚え、白黒はっきりさせたがるのだが、修哉の一歩引いたその物言いに素直に驚き、感嘆した自分を恥じたのだ。失礼にもシューヤを見くびっていたと。
だが、他人事の様に言い放った修哉には修哉の理由がある。まず産まれてこの方、おおよそ人の子として親の愛や友情、社会的な保護に恵まれていなかったと言う事。
つまりは施設で性的暴行こそ受けなかったものの殴られ、蹴られ、脅され、あらん限りの虐待を受けつつ、義務教育下の学校生活では親無しの子として都合の良いイジメ対象になり、昼夜を問わず日々暴行の限りを尽くされていれば、自ずと内向的になり自己防衛の為の分析を始める様になる。
自分は不幸だと将来を悲観し、自らの命を絶つ子らもいるが、修哉の場合は、一歩引いて社会や人を冷たく観察する体質が身に付いたのである。
更に言えば、路上生活中に小夜に拾われ、その異能力を買われて戦場を求めて世界に出てみれば、絶えず戦争がはびこり、独裁者や社会主義体制などがもたらす民衆弾圧と言うものも呆れるほど程見て来ているのである。
つまりこのクラースモルデン連邦共和国と言う国が一体どんな国なのかが、修哉には見えたのである。
そして、見えてしまったからこそ、レオニードに対して修哉は配慮する事に決めたのだ。
「レオニード、多くは語らなくて良いから聞かせてくれ。客間に飾ってあったあの旗。あの王国騎士団の旗はあなたの生きた証であった。そして今のこんな世の中では、それが原因で田舎に身を隠して住むしかない。違うか?」
「その通りだシューヤ。人民警察特務班と言う組織が最近全国規模で誕生したのだが、王国時代の残党狩りを始めている」
「なるほど。秘密警察は思想犯以外にも、王政時代の関係者を追っている……と」
そう言うと修哉は立ち上がり、壁に掛けてあったライダージャケットを羽織り、更にはレオニードから貰った防寒用のマントを手にする。
夜も更けたこの時間に氷点下の屋外へ出ると言う現れなのだが、レオニードは修哉の意図を察し、彼を止めるどころか立ち上がって、深々と頭を下げたではないか。
「レオニード、頭を上げてください。頭を下げるのはこちらの方だ。永らく世話になりました」
「すまん、私にはエマニュエルがいる」
「そんな苦しい顔をしないでください。こんな俺に安息の時間をくださった事、心から感謝しています」
レオニードの忸怩たる思いはそのまま表情に出ている。
本来なら倒れている修哉を、見て見ぬフリをしても良かった。もっと言えば傷が塞がった段階で早く出て行けと、彼を厄介払いする事も出来た。
だがレオニードは、まだ休め、とにかく食え、傷を癒せと、見も知らぬ異邦人である修哉をまるで自分の息子の様に扱ってくれたのである。
これ以上レオニードの苦悩を煽らない様にするにはどうすれば良いか。レオニードの手厚いもてなしに恩義を感じるならば、秘密警察が嗅ぎ付ける前にこの村から去った方が良いと考えても不思議ではない。
「厳しい峠を越えなければならないが、エルフの国へ行きなさい。エルフの全てが人間に敵対している訳ではない」
レオニードはそう言いながら、たくさんの食料やピッケルや防寒用ポンチョなど、山越え用の道具を修哉に渡しながら、タンスの奥深くに手を忍ばせ、一つのメダルを取り出した。
「エルフのユリアナ・マリニンに、これを渡しなさい。きっと力になってくれる」
そう言って、歴史を感じさせるほどに色あせた銅色のメダルを、修哉の手に置いた。
旅立ち……
見た事も聞いた事も無い世界で目を覚まし、そして見た事も聞いた事も無い場所を目指して歩き出す。
そもそも、何故自分がここにいるのか、その原因さえ未だ判らぬまま修哉は一歩踏み出した。
だが、まだ旅が始まった訳では無く、大きな悲劇が夜明けと共にやって来る事を、彼は知らなかった。