闘う理由
エルゲンプレクト大陸において最大の都市と問われれば、大陸に生きる誰もがノヴォルイだと答える。
クラースモルデン連邦共和国の首都でありリンドグレイン王朝の頃から栄えて来たノヴォルイは、大陸随一の穀倉地帯リジャと巨大海外交易拠点の港湾都市サレハルートを北西側に構え、東南にエカテリニ工業都市群が鎮座している。
農業や工業そして商業や文化の一大中継拠点として全ての流通の中心都市として地位を築き、由緒正しいその名前を古くから大陸中に轟かせていたのであった。
そのノヴォルイの中心。リンドグレイン城を改装した共和国会議議堂とクラースヌイツベート党党本部ビルが、ランドマークとしてそびえている中心街からやや外れた城壁と外堀の外に、クラースヌイツベート党の下部組織の建物がある。
国民にとっては恐怖の代名詞でもある「人民警察特務班」の本部だ。
そして端正な石造りのその建物の最上階に、人民警察特務班の正規職員でも近寄ろうとしない「黒服」と忌み嫌われる精鋭部隊……シーニィ・メーチ実務部隊の総司令部が置かれているのだが、そのシーニィ・メーチの総司令部を目指して、一人の少女が人民警察特務班ビルのホールから肩で風を切りながら階段を上がっている。
国軍や人民警察特務班で支給されているくすんだ緑色の一般兵士用軍服では無く、シーニィ・メーチに支給された黒服をまとい、燃える様な真っ赤な髪を振り乱しながら憤怒の形相を隠そうともせず勢い良く歩く彼女は、経歴しながらすれ違う一般兵士たちから「血染めの魔女だ」と囁かれつつ最上階にたどり着き、そして廊下の一番奥にあるひときわ大きな扉の前で止まった。
リュドミラ・フリステンコ特務大尉、魔導士イエミエソネヴァの後継者と巷では囁かれる彼女も、この大きな扉の前では流石に剣呑とも言っていられない。
一応見た目だけは落ち着き払い、一旦肩を大きく上下させながら深呼吸。そして表情は険しいままに扉を開ける。
「クルプスカヤ同志少佐はいるか?」
扉を開けてまず待ち構えているのは大部屋では無く、秘書官が執務する受付部屋なのだが、リュドミラの姿を見た瞬間秘書官は電気が走ったかの様に執務机から立ち上がり、あらためて直立不動と共に敬礼しつつ、顔面蒼白のまま奥の部屋にとリュドミラを通した。
秘書官が恐れおののくのも無理は無い。シーニィ・メーチのナンバー2と目される人物がいきなり現れたのは良いとしても、ボロボロの軍服を着たまま、顔から手からカサカサに干からびた血のりがべったりとこびり付いている様は、全くもって正気の沙汰では無かったのだ。
秘書官たる者、部屋に不審人物が現れた際は、身をもって上官を守るべきなのが本来であろうが、どんな様相を呈していようと目の前にいる少女が「あの」血染めの魔女である事には変わりない。
秘書官が脊髄反射で開けた後に、本当はどうすれば良かったのかと沈痛な面持ちで見詰め始めたドアを、リュドミラは一切足を止める事無く大股で入室して行った。
「やあ同志大尉、長旅ご苦労様。色々あったようだね」
リュドミラが息巻きながらこの部屋を目指して来る事を事前に知っていたのか、部屋の所有者であるアレクセイ・クルプスカヤ特務少佐は余裕の表情でゆっくり立ち上がる。
そのアレクセイの余裕が余計癪に触るのか、リュドミラはこれ以上無い程に背をピンと伸ばしながら、軍靴の踵をガチンと鳴らして敵意剥き出しのまま敬礼した。
「第十七期麩国国境監視作戦、征南特務魔法中隊、リュドミラ・フリステンコ麾下二百三十二名! 首都に帰還致しました!」
麩国とはクラースモルデン連邦共和国の南に位置し、近年絶え間なく連邦共和国と国境紛争を繰り返している、連邦共和国と並ぶとも劣らない軍事国家、フルブロンゾの事である。
リュドミラはそのフルブロンゾとの最前線から、このノヴォルイに帰って来たばかりなのであった。
「うむ、ご苦労」
アレクセイは彼女の荒々しい敬礼を真正面から受け止めずに、穏やかな笑顔のまま軽く返礼して再び椅子にゆったりと腰掛けた。
戦地から帰還した際、直属の上官に対して帰還の挨拶と報告をするのであれば、それなりの身支度をするべきなのだが、着替えもせずにボロボロになったまま訪問して来たリュドミラは、上官に対して声を大にして言いたい事がある。それも社交辞令を一切排除して怒りに身を任せながら。
その彼女の言わんとしようとしている事が何なのか分かっているアレクセイは、そんな火種に対して言葉の誤魔化しで逃げようとはせずに、応接用のソファに腰掛けなさいと、手振りでリュドミラに促した。
「いえ、小官はこのままで充分です」
リュドミラはリュドミラでお前の施しなど受けぬとばかりに、両手を後ろに組んで胸を張る。何故私がここに来たのか知っているはずだ、さあ弁解を聞いてやると、苛烈な眼差しをアレクセイに突き刺しているのだ。
「ふふ、なるほど。先ずは私に言い訳のチャンスを与えると言う事かな? 同志大尉」
「いいえ、小官はそんな事は一言も申しておりません」
「ふむ、ならば帰還の挨拶も成った。ご苦労、退席してよろしい」
そう柔らかく告げながら、挨拶は終わったとばかりに机上の書類に目を落とし、自分の作業を始めてしまったアレクセイ。
リュドミラは思いがけない展開に目を白黒するのだが、やがて自分がナメられている事に気付き怒りで顔を紅潮させる、それもあっという間にだ。
そもそも、リュドミラが本来予測していた流れでは、【魔導師イエミエソネヴァの後継者】と呼ばれ、血染めの魔女として怖れられるリュドミラに対して、いくら階級が上であってもアレクセイは言い訳を言うはず。
許しを乞うまで行かないとしても、せめて何が起きたのかくらいは説明がある……。
そう踏んでいたのだが、このあまりにもあっさりとしたアレクセイの態度がリュドミラの逆鱗に触れ、彼女は黙したまま激昂したのた。
確かに……確かにイエミエソネヴァの後ろ盾はある。
彼女に拾われ魔法教育を受けた唯一の存在であり、クラースヌイツベート党のヒエラルキーの外にいながら独裁者と対等に問答する事が許された大陸最恐の魔導師を、「おばば様」と呼べる唯一の存在が自分だ。
ーーそれなのに! それなのにこの、アレクセイ・クルプスカヤと言う男は! ーー
彼女を包んでいた怒りがいよいよ、猛烈な熱量を伴うドス黒い情熱……憎悪へと昇華する。
……第十七期麩国国境監視作戦に出兵命令を受けて征南特務魔法中隊が赴いた際、中隊兵士は六百十名いた。
それがだ、それが損耗率五十パーセントを超える戦死者を出し、首都に生きて帰って来れたのは二百三十二名。
生還者が半分以下などと、もはやそれは壊滅的ダメージを被ったに等しく、惨敗の二文字でしか語れない。
(……全ての原因は、私の援軍要請を貴様が却下した事で起きたんだ。貴様さえ、貴様さえ私の邪魔をしなければ……)
国境線での睨み合いが続くクラースモルデンとフルブロンゾ。
比較的安全とされた国境線南西エリアで陣地を構築した、連邦共和国南方軍二個大隊の背後に、リュドミラが指揮する征南特務魔法中隊が配置された。
フルブロンゾ国軍の侵攻の可能性は薄いとされ、リュドミラのキャリアアップには都合の良い環境だとされていた。
要は彼女に箔を付ける為の軍事作戦であったのだが、ある日、通常哨戒行動中のパトロール小隊がフルブロンゾ国軍のパトロール小隊と遭遇。小規模遭遇戦程度で終わると思った両軍が増援を小出しに投入した結果、引くに引けない、押すに押せない、落とし所の全く見えない大規模な殲滅戦へと陥ってしまったのである。
また、クラースヌイツベート側にとって分が悪く、最終的に敵軍の国境線侵入を許してしまった要因には、このエルゲンプレクト大陸において初めて大砲が戦場で使用された事もある。フルブロンゾ国軍が剣と魔法が行き交う戦場において、最新鋭の投射兵器「臼砲」を実戦投入したのである。
クラースヌイツベート側もマスケット銃を開発はしていたが、絶対数に限りがあり南方国境紛争に実戦配備は叶わず、このフルブロンゾの臼砲こそが近代戦争の幕開けの号砲となったのである。
そしてリュドミラの魔法中隊も運悪く、戦いの序盤に投入されたまま泥沼にはまったかの様な消耗戦の中で、絶望と希望の狭間にフラフラと立ちながら、死と言う名の、その時が来るのを待っていたのである。
リュドミラは何度も伝令を出して援軍の要請を行うも、南方方面軍総司令部は全てそれを却下。もちろんシーニィメーチ幹部のリュドミラが直接指揮する特別部隊なので、単なる国軍の方面軍司令部がシーニィメーチを粗末に扱えば、どんな恐ろしいペナルティとなって返って来るのかは自明の理。
だがしかし方面軍司令部にしてみれば、戦線が崩壊して敗北してしまう事の方こそが恐怖である。それこそ暗黒国家での戦争失敗の責任は苛烈極まりなく、頼むから殺してくれと、泣き喚きながら懇願しなければならない。つまりは【血染めの魔女】のご機嫌など取っていられないのである。
空から降って来るフルブロンゾ軍の砲弾の雨に脅えながら、一向に援軍の来ない戦地で奮闘するリュドミラの魔法部隊であったが、のらりくらりといつまでも結論を出さない方面軍司令部に業を煮やし、とうとう方面軍の応援を諦めてシーニィメーチ本部へと援軍要請を出した。
『南方方面軍各部隊の奮戦虚しく、領土内へ麩国国境部隊の侵入を許してしまった。南方方面軍の士気は著しく低下しており、持久殲滅戦の渦中にある我が征南特務魔法中隊も最早、麩国の新型兵器の前に蹂躙されつつある。ついては……』
結局リュドミラの援軍要請が受理されて、シーニィメーチ本部から援軍が駆け付ける事は無かった。
部隊の損耗率が六割に達しようとする地獄の様な戦場の中で、リュドミラの部隊は自力で生き残る道を模索し続けるしか無かったのであった。
つまりは、征南特務魔法中隊がその任期を終えて首都ノヴォルイに戻った際、リュドミラがシーニィメーチ本部に出頭するにあたって身支度を整えず、あえてボロボロの血まみれ姿のまま上官に面会を求めに来たのは、完全なる嫌味、怒りに任せた嫌がらせ。
ーー国軍の作戦だからと、いらぬ配慮をしたお前らがこの結果を招いたんだーー
ーーシーニィメーチの貴重な魔法戦力を毀損するなど、貴様らどこまで魔法を愚弄するつもりか! ーー
ーー近代化近代化と騒いで魔法をないがしろにしおって、お前らはどこまでばば様をバカにするのか!ーー
だが悲しいかな、リュドミラの怒りは霧散された。
彼の方が一枚上手だったのか、アレクセイ・クルプスカヤ特務少佐はリュドミラの後見人の存在や彼女の怖ろしい異名などものともせずに、それらをひらりとかわしながら、涼しげな表情を見せて自分の執務を優先していたのだ。
「どうしたのかね? 既に帰隊の挨拶は終わったと承知しているが」
どう切り出そうか、どうやってやり込めようかと殺気を露骨に吹き上げながら目の前に未だ立つリュドミラに、アレクセイは不思議そうな顔で質問する。
その自然体の姿が余計癪に触るのだが、かと言ってこれ以上食い下がっても彼の口から謝罪の言葉や苦しい言い訳が出て来るとも思えない。
(……おのれ、おのれおのれおのれアレクセイ! 今に見てろよ……)
歯ぎしりの音が聞こえて来そうな勢いで歯を食いしばり、呪文の一つでも唱えて殺してやりたい衝動を抑えながら、リュドミラは苛烈な視線をそのままに敬礼を行い、盛大な足音を立てながらアレクセイの執務室から退出して行った。
もちろん、ニヤリと口元に笑みを浮かべ、一瞬だけ侮蔑の眼差しを彼女の背中に向けたアレクセイなどには気づかないまま。
……アレクセイには、奴だけにはこれ以上無様な姿など見せられない!……
やがて魔術士の絶対数が激減してしまった征南特務魔法中隊は解体され、リュドミラは新兵器であるマスケット銃を基本兵装とした銃士隊の隊長として迎えられたのだが、アレクセイに対する敵意と殺気は当時のまま。
このリジャの街に緊急出兵するにあたっても、かかされた恥をどうやって拭おうかと、それが彼女の行動原理の核心となっていた。
「銃士隊は着剣!一斉射の後に突撃! 侵入者を生かしたまま帰すなっ!」
夜のリジャ、場所は街の南端に設営された「銃士隊及び銃騎士隊」の駐屯陣地。闇夜に紛れた街の住人たちが、我先にと陣地に忍び込んで馬泥棒を始め、辺りは大混乱に陥っていたのだが、リュドミラの的確且つ残酷な指示が部隊に浸透したのか、馬泥棒は一気に駆逐されて行くかに見えた。
パン!パパパンと、無数の炸裂音が宵闇に響き渡り、バタバタと住民たちは倒れるも、だがそれでも生への執着に突き動かされているのか、何とか一頭でも馬を盗もうとその場を離れようとしない。
むしろマスケット銃の炸裂音に驚き暴れる馬の手綱を柵から解いたり、突撃を開始した銃士隊に鍬や鎌を持って襲いかかる様は、もはや鬼と餓鬼とがせめぎ合う、阿鼻叫喚の地獄絵図の様である。
「グリゴリー同志少尉、このままではラチがあかん。連射循環体制を取れ!」
マスケット銃で一斉射し、そのまま敵陣に突入するーー。銃兵では定石と呼ばれる基本的な戦闘方法なのだが、突撃しての格闘戦は乱戦を生むだけと判断し、兵たちを一旦退かせ射撃での決戦を判断したリュドミラ。
戦列の再構築を慌てて指示すると、部下のグリゴリーが空気が裂けんばかりにピイイ!と笛を吹いた。
各々の鼓膜を小刻みに振動させる笛の音の意図に気付き、銃兵たちがザザザと一斉に距離を取った時、その時であった。
「ぐうっ!?」
「ご……ごふうっ!」
銃兵たちが口々に低い悲鳴を漏らしたかと思ったら、まるで地球の重力に誘われる様にパタリパタリと地面に倒れ込み、そのままピクリとも動かなくなってしまったのだ。
「何だ!?何が起きた? 」
「おいユーリ伍長、どうしたんだ!? 」
「ひいいっ!同志軍曹が、軍曹が口から血を!!」
辺りは一面血の海と化し、銃兵たちには今までに経験した事の無い様な衝撃に襲われ、隣り合わせの「死」が音も無く突然やって来る様な、圧倒的な恐怖と動揺が走る。
「こ、これは!?」
銃兵たちの背後で指揮していたリュドミラであったが、銃兵たちが口や鼻から血を吹き出しながらバタバタと倒れて行く様を目の当たりにし、銃兵が実は見えない敵の攻撃に晒されている事に気付いた。
そして彼女の記憶の引き出しに入っていた、とあるキーワードが脳裏に浮かんだのである。
【……フラット・ライナー!?……】
ばば様が教えてくれた、異世界最強の暗殺者。
魔法体系が生まれる前の、混沌の力持つ原初の導士。
狙った獲物は必ず屠る、“心臓を止める者”
ヤツに出会ったと言うのか!?これはマズイ、マズイマズイマズイ……!
「命令撤回、命令撤回!銃兵は突撃せよ、銃兵は突撃せよっ!……突撃だあっ! 」
リュドミラの身体が電撃を受けたかの様にびくりと弾け、腰のベルトに繋いでいたワンド(魔装飾棒)を取り出しながら彼女自身もリジャの住民たちに向かって突撃を開始する。
慌ててはいるものの、リュドミラのその表情はひどく好戦的で残酷な笑みを浮かべており、まるでフラット・ライナーとの対決を心待ちにしていたかの様でもあった。




