狼の群れ
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【フランカー】とは、莉琉昇太郎が桜花で呼ばれていたコードネームである。
ラグビー用語で言えば、フォーメーションの側面に位置を取り、身軽さと足の速さを活かして前後運動を重ねるポジションを言い、戦争などの戦術フォーメーションでも、火力と機動力を活かして本隊側面の援護を行う者の事を言う。
何故、莉琉昇太郎が側面支援なのか?誰も真似出来ない程の圧倒的なサイコキネシスを駆使して物体移動を行い、対象を物理的に破壊する強大な力を持っているのに、何故彼はユニット桜花の花形である前衛では無く、支援ポジションに配置されていたのか。
その問いに対して答えは二つのルートを辿りそして一つの答えに帰結する。
一つは強すぎる事。次元移動でエルゲンプレクト大陸に現れる前の日本においても、彼は戦車を空中浮遊させるだけの力を持っており、そしてもう一つの答えが、物体移動は目立つ能力だと言う事であれば、自ずと答えが見えて来る。
【彼の能力は、隠密作戦に適さないのだ】
よって桜花の作戦に駆り出された際に彼が与えられた仕事は、作戦が失敗してユニットが逃走せざるを得なくなった状況下限定で、追跡者の車をひっくり返したり回収ゴミのポリバケツをぶつけて妨害する程度の仕事しか与えられていなかった。
能力は自他共に認められているのに、それを発揮させる場を与えられない……。
常人ならばジレンマに苛まれるであろうシチュエーションなのだが、フランカー莉琉昇太郎はそんな環境でヘソを曲げる事も無く、むしろ女装男子のムードメーカーとして飄々と生きて来た。
しかし何故彼が女装にこだわるのかは、桜花のメンバーや柳田学校に席を置く者の中に、その理由を知る者は誰もいない。
女装する自分と核となる自分の「二人の自分」を、誰にも気取らせる事無く見事に使い分けて来た莉琉昇太郎は、既に思春期を終わらせる前にそれを完成されていたからである。
莉琉昇太郎の幼少期は、幸せに満ちた時期だと言っても過言ではない。中流階級の家庭で父と母の愛を充分に受けつつ、幼い妹と弟にもその愛をリレーさせる立派な兄として生活していた。
そう、どこにでもありそうな微笑ましい一家の長男であったのだ。
だが、昇太郎は小学校の高学年になった時に突如、彼が人格を使い分けるきっかけが生まれる。両親の離婚……これが彼のターニングポイントとなったのだ。
それは父親の勤めていた商社が海外事業に失敗して倒産し、父親の人生に暗雲立ち込めた事で、莉琉家の空気はガラリと一変する事から始まる。
商社の総務として長年勤めていた父親は、資格やスキルと言ったものに縁が無く、なかなかに再就職先を見つけられない日々が続き、幼い三人の子供と妻を養いながら、この先何十年もマイホームのローンを支払い続けるプレッシャーに負けた父親は酒に逃げる様になってしまったのだ。
完全自立した人格者の数よりも、幼児がそのまま大きくなってしまった「こども大人」が爆発的に増加した事。それらが社会構造の根幹を成してしまったこの現代において、家族の総合力は呆れる程に弱い。
血の繋がりを持ってどんな困難をも支え合って乗り越える「家族」よりも、血が繋がっていても所詮他人だと切り捨てるのが現代の家族の在り様であり、子供を立派な大人に育てると言う本質から完全に外れ、子供想いの健気な自分自身に感動したり陶酔するだけのイベント依存型人間がトラブルに強い訳が無い。
他人に依存しているクセに個性や個人をまず大事にする人々の集合体は、もはや集合体ですらないのだ。
自分の思い通りにならない人生を酒で誤魔化し、自分が主人だと癇癪を起こす父親。それを冷ややかな目で見ながらも「金金金」と騒ぎ立てる妻。荒んだそこに暴力が誕生するまでに、それほどの時間はかからなかった。
アルコール依存の父親、彼が繰り出す暴力の嵐の中で、それでも家族の絆をつなぎとめようと努力したのが、莉琉昇太郎である。
それでも大好きな母や幼い弟と妹の為にと、時にはお笑い芸人の様に笑いを駆使し、時にはピエロの様におどけ、時には修験者の様に健気に家族に尽くした。
昇太郎の努力が実り、崩壊寸前だった家族が再び一つにまとまれば良かったのだが、そんなに世の中甘くはない。
昇太郎の両親は結局離婚。マイホームは売りに出されて家族がバラバラになってしまった事が、莉琉昇太郎の二面性を形作る事になる。
ーー昇太郎が大好きだった母親が、弟と妹の親権だけ主張して離別、昇太郎は父親に引き取られたのであるーー
両親が離婚しても、母親が自分を引き取ってくれるであろうと考えていた昇太郎が絶望を抱いたとしてもしょうがない。
母親側からすれば、経済的理由で三人の子供全て引き取る事は難しく、幼い弟と妹は引き取りつつ、年長で人当たりの良い昇太郎ならば父親とも上手くやっていけるだろうとの苦肉の策であったかも知れないが、大人の事情や理由にまで昇太郎が気を回す事など出来る訳が無い。
三人兄弟の中で自分だけ母親に見捨てられたと感じるのが普通であり、彼も愛する存在に裏切られたと絶望したのだ。
アルコール依存から立ち直れずに、何かとイチャモンをつけてからんでくる暴力的な父親との鬱屈したアパート暮らし。そして母親に裏切られたと言う屈辱を抱いたまま、日増しに募る彼女への愛憎は、莉琉昇太郎の人格形成を完全に二分化させた。
一つの人格は、理想の女性であった母親への対抗心と憎しみから、理想の女性だった母親を完全否定した上で、彼の身の回りに理想的な女性がいない事から自分自身で体現をし始めた事。ちょうど父親の暴力で出来たアザなどを化粧で誤魔化していた事もあり、この女装化が社会に対する彼の顔となった。
もう一つの人格は、事あるごとに癇癪を起こして感情的になる父親を反面教師なのだと見下し、正反対を目指すべく能面の様に感情を押し殺したのである。……さながら「俺はアイツの様な獣ではない、立派な人間なんだ」と自分に言い聞かせて。
つまり、艶やかな長い黒髪が印象的な、妖しくもあり可愛くもある女装男子の莉琉昇太郎には、賑やかな表面のその奥底に、ひどく理性的で論理的な、吐く息が白くなる様に冷たくて寒々しい、冷酷な本質が存在したのである。
結果、人前などでは女性の莉琉昇太郎が賑やかさを発揮して誰からも愛されるキャラクターを演じつつも、帰宅すると父親を射抜く様な冷たい目で見下ろす二重人格を用いて日々を過ごしていたのだが、この時点ではまだ、昇太郎は完全に中性的な立ち位置で世の中の男女を見据えており、思春期にもかかわらずに初恋すらした事は無かった。
そんな彼に決定的な出会いが訪れる。柊小夜に奥底に眠らせた力を見出され、柳田学校に招かれた後の出来事。そう、藤森修哉との出会いである。
日々黙々と与えられた課題をクリアして行く修哉に興味を持った昇太郎は、彼を見詰める時間が増えれば増える程に自分の中の母性が膨らみ、修哉を求めている自分に気付いたのだ。
ーー文句も皮肉も、無駄口すらたたかず、高揚も低迷も人に見せずに闘い続ける少年。それでいながら【家族】と認めた柊小夜には完全に心を許し、彼女を守る為にはどんな障害をも打ち砕いていくーー
それはもう、マーヴェリック(一匹狼)ではなく、群れを守る為に命を賭ける狼の王なのだと認識し、昇太郎は理想の男性を自分以外に見付けてしまったのである。
父親を反面教師として、自分の奥底に理想的な男性像を形作り、表面上は理想的な女性像を演じていた昇太郎は、藤森修哉の出現で大きく変わった。
自分の内面にある理想の男性像は品行方正で理知的であっても、あくまでも父親に対するアンチテーゼでしかなく、本当に真の男を体現しているのは藤森修哉なのだと納得し、
そして理知的な女性を演じていただけだと自分自身でも認識していたはずなのに、何と藤森修哉を愛してしまったのだ。
「理想の女性と理想の男性との、理想的なカップル」
もちろん、莉琉昇太郎は彼がまだ修哉に認められず、狼の群れに招かれていない事も知っていたし、小夜に対する修哉の気持ちも知っていた。
諦めなければ、自分にとっていつか朗報がある……。そんな訳もない関係の中で、あの日が来たのである。
【異世界に飛ばされ、そして最愛の人と再会する】
修哉が未だ小夜に対して想いを寄せている事は知っている、そして幼くて可愛らしい金髪のライバルや、耳の先が尖った異世界の美少女も修哉獲得に目を輝かせている。
だが彼は、そんな苛立ちよりももっと大きな感情を抱き、そして意識はしていないものの最終的な人格形成が完成を迎えるに至ったのである。
まずは喜び。狼の群れに迎え入れて貰えたと言う大いなる喜び。藤森修哉の性質を知れば知る程にこの喜びは果てしなく自分の力になった。
そして、大きな母性を持って修哉やエマニュエルを包み込みながらも、決して感情に流される事の無い理知的な人間としての行動を始める。つまりは、莉琉昇太郎自身の二面性が統合されたのである。
後の世ではあるが、人々が新生リンドグレイン王朝を讃える時に、こんな言葉がある。
ーーまるで女神と見まごうばかりに神々しい女王エマニュエル。その彼女に付き従うは魔人と亜人の二人の将軍、シルフィア将軍は大陸の北半分のエルフを動かし、リル将軍は山を動かすーー
亜人の傭兵で編成した伝説の部隊「サブサーン(ロシア語でハヤブサ)旅団」を率いたシルフィア・マリニンは、智略を活かした知将であると謳われ、圧倒的なサイコキネシスを駆使して単独で戦場に赴いた莉琉昇太郎は猛将と謳われている。
技の1号、力の2号と呼ばれた仮面ライダーの様に、シルフィアが知将で昇太郎が猛将と呼ばれるのだが、それはいささか莉琉昇太郎に対しての認識不足だと言わざるを得ない。
フランカー莉琉昇太郎は、決して力押ししか出来ない武闘派ではなかったのだ。それは彼の奥底に隠されていた、冷たくて理知的な彼の核心に当たる部分が発揮されたと言って良い。
ーー表面上は綺麗で賑やかな女性を演じていながら、その影では軍師として執政官として、あらん限りの知性と智略と権謀術数を重ね、新生リンドグレイン千年王国の礎を築いたのであるーー
そして今、莉琉昇太郎の新たな闘いがこの難民キャンプで始まった。
時間軸的には修哉がリジャの街に旅立った日の夕方の事。
サレハルートから送られたスパイスを利用した夕飯作りがあちらこちらで始まっていた頃、莉琉昇太郎とエマニュエルも難民たちに混ざり、夕飯作りに精を出していた。
遡上して来た鮭のスパイシームニエルと野菜のスープ、そして鍋肌で焼いた雑穀パンを用意するのだが、莉琉昇太郎はムニエルの焼き係を担い、エマニュエルはパンの焼き係をしていた。
「エマちゃん、エマちゃん!先にアレスターとジャンパーに夕飯持って行って貰って良い?」
まだ床に伏せた二人にはスパイスの効いた料理は厳しいと判断したのか、事前に胃に優しい料理を用意した昇太郎、エマニュエルもそれを承知していたのか「わかりました」と笑顔で返し、他の子供たちにパン焼きを任せて駆けて行く。
エマニュエルに言葉を掛けられた子供たちは、幼いながらに彼女の立場を尊敬しているのか、笑顔で会釈しながら送り出した。
……ほんとに素直で優しくて、人に好かれる良い子……
すると、微笑ましくその光景を見詰めていた昇太郎の視界に、二人の人物が入って来た。
ちょうど昇太郎と同じくエマニュエルの後ろ姿を見詰めている中年の男性たち、少女趣味を持っていたり何かしらの悪意をもって彼女を見ていない事は、穏やかなその表情と優しげな目つきから伺う事は出来るのだが、だからと言って自分の娘を頼もしげに見詰めるそれとも違う。
(……サレハルート、サレハルート……されはるうとっ。なるほど、彼らが監視役って事なのねえ……)
心の中でメロディに乗せながら、そう呟いた莉琉昇太郎、ここで彼が閃いたのだ。
【最愛の夫が闘いに赴いたなら、最愛の妻は還る場所を護る。しかしそれだけじゃダメだ】
【狼が狩りに出たら、残った狼は子供を守る。そして狩りに出た狼が還って来た時に、より良い環境を整えるのが、残った狼の責務だ】
莉琉昇太郎はそう思った瞬間、電撃的に閃き、そして動いた。焼き係を隣の女性に任せて不審な男たちの前にと躍り出たのである。
「そこの二人、見慣れぬ顔だな。……我が主、我が主君を執拗に眺めておられるようだが、何か含むところでもあるのか?」
見慣れぬ顔だと言っても、当たり前の話難民全ての顔を覚えていられる訳が無い。昇太郎の言葉はただのブラッフではあるのだが、優雅で気品ある態度と相まって、その効果は抜群。男たちは必要以上に慌て、目の前の原初の導士にしどろもどろの回答を重ねながら狼狽している。
「ふふふ、それほど恐縮しなくても。とりあえず安心なさい、そなたらの瞳が悪意に染まっていない事は承知しています。もし悪意に満ちているなら、私が声をかける前にそなたらは死んでいた」
あからさまに視線を男たちの背後に向けて、アゴをくいっとしゃくり上げて方向を示す。
つられて振り向いた男たちがそこに見たのは軽宙にふわふわと浮いている巨石、男たちの頭上に落として圧殺するには充分な程の大きな岩が、そのタイミングを今か今かと待ちわびていたのである。
「ひいいっ! 」
「だからその気は無いと言っております」
莉琉昇太郎はクスクスと無邪気に笑いながら、一切音を立てずに、極めて柔らかくその巨石を地面へと下ろした。
「見慣れぬ顔と言う事は、もしかしてそなたらは……サレハルートからの贈り物を届けてくれた方々かな?」
スパイと詰め寄るよりも、有難そうな笑顔でそう言えば、不審な男たちもまんざらではない。
釣られて余計な事を言わない様に自重しながら、昇太郎に向かって頭を垂れつつ、難民の間で話題になっていたリンドグレイン最後の皇女を一目見たかったと表向きの理由を言葉にする。
「なるほど、確かに我が主はこの時代にとって稀有な存在であり、サレハルートの方々も興味を持つのも然り。しかし未だに我が主は幼な子に過ぎぬのも事実。街に帰ってあれこれ話が広がるのも如何なものか……」
難しい顔をしつつ、噂になる事について難色を示す昇太郎。それはこの男たちに対してサレハルートに戻ってもエマニュエルの噂をするなよと言う警告でもあるのだが、それが演技であるのは明白。
男たちは昇太郎の口から今度はどの様な言葉が飛び出て来るのか、固唾を飲んでそれを見守っている。
「ふむ……時に聞きたいが、サレハルートは商人の街だそうだな。ではサレハルートでも、情報と言うものに価値を見出しているのだろうか?」
「もちろんにございます。商人たる者、常に情報に敏感であるべきで、時にそれは金銭を凌駕する価値を持つと言われております」
「成る程な。なれば我が主が世に向けて自らの旗を振った事も情報として、金に変えられない程の価値があるやも知れぬな」
「いや、それはその……」
「ふふふ、別にそなたらを責めている訳では無い。なぁに、閃いた事があってな」
いたずらっぽい笑みを浮かべながら、昇太郎は男たちに一歩あゆみ寄りつつ声のトーンを落とす。
「過去、リンドグレインに仕えていた者で、他国に落ち延びた者がどれだけいるか。そしてリンドグレインに今も忠義を示せる者がいるのか……調べて貰えないか?」
いきなり具体的な話を切り出され、鼻白む男たちであったが、昇太郎が次に切り出した言葉の重大さと壮大さを悟り、自然と昇太郎に傾倒して行く。もはや誰の密偵なのかも分からない程にだ。
ーーそなたらも見て分かる通りまだ我が主は若い。そしてクラースモルデン連邦共和国の強大な軍事力に対抗するには、あまりにも弱い。我らが力を求めたとて誰がそれを笑おうか。情報だけなら証拠にもならんから、そなたらの協力は独裁者に気付かれる訳も無いはず。サレハルートを上げて情報を集めてくれないかーー
そして昇太郎はサレハルートがよだれを垂らしながら欲しがる言葉を、気持ち良くズドンと男たちに投げかけた。
「女王エマニュエルが統べる新生リンドグレインは女王直轄にあらず。立憲君主制の議会制民主主義国家を目指す! ……自由経済圏の中心地がサレハルートであって欲しいと、そなたらは思わないかね?」
驚愕する男たち。
立憲君主制や議議会制民主主義の意味がイマイチ理解出来なくても、自由経済圏と言う言葉にはいくらなんでもピンと来る。
つまりこの原初の導士リルは有益な情報を買うと言っており、それは具体的な金銭提示ではなく、サレハルートの繁栄を約束する言葉。
言うなれば、金額が記入されていない先付けの小切手をポンと渡して、欲しいだけの金額を勝手に書き込めと言っている様なものなのだ。
(……修哉きゅんが闘い続ける様に、私には私の闘いがあるってわかったの。いつか褒めてね、修哉きゅん……)
莉琉昇太郎……。「猛将リル将軍」の名前が、いよいよこのエルゲンプレクト大陸に響き渡る時が来たのであった。




