錯綜する意志
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【待ってフラット・ライナー!】
修哉の鼓膜を無視して通り越し、脳にダイレクトに語りかけて来た声の主はマーシャ・チェバロワ特務少尉。「黒服」と人々から呼ばれて忌み嫌われるシーニィ・メーチのエリート部隊のメンバーである。
その彼女が、同僚の念話使いであるギンツブルク特務少尉を経由して修哉に自省を促した。アレスターに攻撃を仕掛ける事を押し留める様に求めたのだが、当のアレスター……漆原本人は、不敵な笑顔を浮かべたまま両手を大きく広げ、さあやってみろ!と、大胆に修哉を挑発した。
この瞬間、息を飲む暇も無い刹那の時間の間に、五つの異なった意志がこの場に介在する事になる。
第一に漆原。彼は既に死ぬ覚悟を決めており、清々しい不敵な笑顔のまま、修哉がディメンション・リビルドを放つのを待っている。
第二にシーニィ・メーチのギンツブルグ特務少尉。
念話使いの少年は修哉たちから距離を取り、戦車の背後に隠れながら必死に状況をチェバロワ特務少尉に報告していたのだが、いよいよ修哉が能力を発現する事を察知し、念話を通じて緊急に修哉とチェバロワ特務少尉との回線を開いた。
第三がやはりシーニィ・メーチの、マーシャ・チェバロワ特務少尉。
アレスターの名前を叫び続ける土岐朱鷺子を背負いながら全速力で馬を駆る彼女は、視界にやっと修哉と漆原の姿が見えて来たのだが、ギンツブルグ特務少尉が「これじゃ間に合わない!」と繋いだ念話のチャンネルを使い、修哉に向かって語りかけた。
ーー待てフラット・ライナー、アレスターは死にたがっている。殺すな、殺さないでくれ!ーー
第四の人物……これが意外と言うか、意表を突かれたと言うか、その場にいた者や事情を知る者全てが【これこそ奇跡だ】と感じた瞬間を作り上げた人物でもある。
マーシャ・チェバロワ特務少尉に背負われていたジャンパーが、この世界に飛ばされて精神を病んでいた土岐朱鷺子が……。漆原と修哉が戦っている光景を目の当たりにして目醒めたのだ。
いや、一歩前進したと表現した方が的確なのかも知れないが、とにかく彼女は漆原が両手を広げて修哉のトドメの一発を受け入れようとする姿を瞳に映した瞬間、電撃的に動いたのである。
「アレスター、アレスター!……アレスター!」
朱鷺子は一段とその叫び声に緊迫感を乗せながら何と、チェバロワ特務少尉の腰のベルトにあった短剣を抜き取り、自分の手首や腕をグッサグッサと切り始めたのだ。
異変に気付いたチェバロワ特務少尉が、何をしている!?やめろ、やめないか!と声で制止してもその行為は止まず、朱鷺子の左腕はみるみる内に鮮血がほとばしる。
しかし、土岐朱鷺子のこの自傷行為は、自傷行為では無かったのである。
「アレスター!……謙一郎勝つのよ!負けちゃダメえっ!」
柳田学校の実力行使ユニット「桜花」に所属し、有機物のみを近距離テレポートさせる能力を持つ【ジャンパー】土岐朱鷺子は、自分の血液をジャンプさせたのである。
……ビチャビチャ!
ディメンション・リビルドを解き放とうとする修哉の視界が真っ赤に染まり、思わず目を瞑る。
第五の人物とはもちろん藤森修哉。
ターゲットを修哉からエマニュエルに変更すると宣言した漆原に向かい、ディメンション・リビルドを行使して情け容赦の無い死を打ち込むはずだった。
……はずだったのに、シーニィ・メーチのチェバロワ特務少尉が念話でそれを制止し、更には何処からともなく真っ赤な液体が目の前に現れて目に入り、視界情報が奪われてしまった。
だが、藤森修哉は慌てない。
ディメンション・リビルドを放つ前段階として、正確な空間把握が必須であったのは、以前いた世界に暗殺者として存在していた時の事。
ボルイェ村を襲った人民警察特務班や袴田哲臣、そして越ヶ谷美雪と戦いを重ねるごとに、ディメンション・リビルドの使い方に幅を持たせて来ている。
この世界に飛ばされた事をきっかけに、必殺の次元空間再構築はそのスケールもパワーも格段に向上していたのだ。
「……ディメンション・リビルド!」
それを言葉にして封印の暗示を解き放つ。
視界は真っ赤に染まって酷く頼りない状況の中、修哉は猛然と漆原に詰め寄りながら、思い切り溜めを作った右手の手刀を、漆原の身体のど真ん中に叩き込んだのだ。
「ごぶうっ!」
まさに先ほどの光景とは真逆、今度は修哉の右手が漆原の腹にヒットする。だが、勢いのついた拳を叩き付けた訳では無い、修哉の右手は手刀を形作ったままだ。
つまりは、決めた空間を異次元と入れ替えるディメンション・リビルドの発現条件を瞬時に変更し、空間を入れ替えて漆原の身体を損傷させるのではなく、修哉の右手で作った手刀の指先から数センチ先に、二次元空間を発現させて漆原の腹に叩き込んだのだ。
縦掛ける横掛ける高さの三次元立体空間では無い、研ぎ澄まされたメスよりも鋭利な二次元が漆原の腹を裂き、修哉の手刀は手首までずっぽりと刺し込まれた。
「ぐっ、ぐうう!な……何しやがるんだ!?」
意外と言うか、はたから見れば理解出来ない光景が広がる。
何と修哉は、漆原の腹に突き刺さった右手をゴソゴソと動かし、漆原の体内をまさぐり始めたのだ。
「……い、痛え、やめろ!やめてくれ……」
もちろん麻酔など効いていないし、命を刈り取る様なトドメもさされていない。
腹を切られて内臓をかき回される漆原にとっては、これ程の地獄は無い。
息も絶え絶えで悶絶する漆原を完璧に無視し、内臓を弄っていた修哉が、右手の先に何かを感じたのか大声を出した。
「……見つけた!」
腹の中でお目当ての物を見付けたのか、修哉はそれを握ったまま思い切り右手を引っこ抜く。
「ぎゃああ!」
慌てて腹を抑えた漆原は地面に突っ伏し、激痛に耐えられないのか背中を丸めてのたうち回り始める。
引っこ抜いた右手に掴んでいたのは何と拳大の虫、それもドス黒くて硬い甲羅をまとった何とも不気味な虫。
その「蟲」とも表現して良さそうな妖しい物体を取り出した修哉は、慌てて助走をつけて誰もいない方角に向かって全力で放り投げた。
……ドン!
間一髪だった。
宙を舞った蟲は手から離れてすぐに爆発し、修哉を爆風で盛大に吹っ飛ばしたのである。
蟲の正体とはつまり爆弾、それもイエミエソネヴァこと魔人安倍晴明が土岐朱鷺子を助ける代わりにと漆原に飲み込ませた物で、越ヶ谷美雪の時と同様に、裏切ったり無理に取り出そうとすると途端に爆発して死に至らしめる爆裂の呪符であったのだ。
だがしかし、本来ならエマニュエルを確保しようとした漆原を殺そうとしていた修哉が、何故呪符を取り出して漆原を救ったのか……。
マーシャ・チェバロワ特務少尉の念話の内容は、そこまで喋っていたのである。
「アレスターを助けてくれ」「ジャンパーが人質に取られている」「アレスターの胃には、イエミエソネヴァの呪符がある」……と。
--そう、藤森修哉は敵であるはずのシーニィ・メーチから乞われて、漆原を救ったのである。




