エマニュエルに見せられない 後編
・
安全を確保出来る場所がまるで無い……。その致命的な状況は改善される要素などまるで無く、刻一刻と修哉を死地に追い込んで行く。
立ち止まる訳にも行かず、ならば敵に狙いを付けようとすると、チャームの魔法で視界範囲を操られてまともに狙いを付けられない。まるでFPSゲームにおいて、アサルトライフルで狩り立てられる弱小チームの様に、辺りをジグザグに走るのが精一杯の有り様。
チャームの魔法は酷く狡猾で、意を決して肉弾戦を行おうと近付くと、視界をズームアウトさせる様に修哉に甘い恐怖を与え、強引に後ずさる事を命令し、一時撤退を考え越ヶ谷美雪たちのいる管理棟から離れようとダッシュすると、こっちを見よとばかりにチャームの魔法は勢いを増して、修哉をその場に釘付けにする……。
もはやサンクスギビングデーで、ショットガンで足元を撃たれ踊りながら走る七面鳥と同じ。越ヶ谷美雪の高笑いが響く中、大量の出血をそのままにひたすら走り続ける修哉には、いよいよチアノーゼ症状が顕著に現れ始めた。
口から飛び出しそうな勢いで鼓動を打つ心臓は、酸欠となった血液をそれでも全身に送り続ける。苦痛の塊となった修哉はそれでも走り続けるしかないのだ。
朦朧とする意識の中で何とか突破口を見出そうとするのだが、チャームの魔法が災いし、敵の観察すらままならない。この絶体絶命の状況に置かれた修哉であるが、時間を同じくして、彼の知らない場所でも一つのトラブルが発生していた。そう、修哉の帰りを健気に待つエマニュエルの身にである。
場所はアンカルロッテの森の西南端、リジャの街から逃げて来た人々の難民キャンプの朝。潤沢な食糧を手に入れた彼らは、安堵に包まれながら、朝食の準備を始めている。
修哉や莉琉昇太郎の協力を得て作った仕掛け漁は大成功。小麦粉など様々な食糧を補給し続けてくれるエルフたちにまで、返礼として魚を提供するまでに至っていたのである。
ーー独りきりの老人や子供、身体の不自由な人々の代わりに食事を作り提供するーー
修哉の帰りを待つ為にこの地に残っているエルフのシルフィア・マリニンや莉琉昇太郎は、率先して弱き者の為にと炊事を行い、幼いエマニュエルも嬉々として参加していたのだが、この日の朝、ついにそれが起きてしまった。
鍋にオリーブオイルをひいて干し肉を炒め、そこへ水と小さくカットしたトマトなどの野菜を入れてしっかりと煮込む。そして魚の切り身を大量に入れて、干し肉から出た塩気を見ながら最後に味を調整して出来上がり……。
エマニュエルはこの作業の中で、火の番を進んで行い、強くもなく弱くもない適度な火力を維持していたのだが、頑張って彼女が薪をくべていたところ、おもむろに二人の男性が現れたのである。
一人は立派な白い口髭をたくわえた老人、そしてもう一人は、その老人の孫ではと思えるほどに若い青年。
そしてその二人は驚く事にエマニュエルの前に立ったかと思うと、ゆっくりと膝を折ってその場に屈み、頭を垂れたのである。
「いきなりの拝謁、お手をわずらわせ大変申し訳無く存じます。当方、元リンドグレイン西方騎馬団の百騎長でルスタン・フルスカヤと申し、隣にいるは孫のユリゴール・フルスカヤと申します」
リンドグレインと言う言葉を受けて、身体に一瞬電気が走ったのか、バタリと薪を下に落とし仰け反りながら立ち尽くすエマニュエル。
ルスタンと名乗った老人は、エマニュエルの驚きなど無視して、頭を下げたまま口上を続ける。
「原初の導士シューヤ様、そしてエルフのシルフィア様と共にあなた様が現れた時、【やんごとなき方】とだけ伺っておりましたが、当方には分かります。貴方様のお名前は、エマニュエル・ハンナエルケ・リンドグレイン。間違いはございますか?」
これはマズイと思った。逃げ出さなければと思った。
身元がバレて広まってしまえば、エマニュエルの名前を利用しようとする者と、彼女の命を狙う共和国側の人間とで、大騒ぎになる。
修哉はこれを危惧して、エマニュエルがこの地に足を踏み入れる事に反対していたのに、これではまた修哉に迷惑をかけてしまう。
「あなたたち!?一体何やってるの!?」
異変に気付いたシルフィアが駆け寄り、エマニュエルを匿おうとしたのだが、意外にもエマニュエルはそれをやんわりと断り、再びこの老人と孫の前にしっかりと立った。
何故なら、この老人……泣いているのだ。
肩を震わせながら、眼や鼻から雫を滴らせて、それこそ人目もはばからずに号泣する様は、この老人が万感の思いを胸に抱き、エマニュエルに謁見しているのであろう事が垣間見えたのだ。
だからエマニュエルは逃げようとはせずにその場に留まり、自分の意志で老人の言葉を最後まで聞こうとしていたのである。
「単なる田舎の騎士に過ぎぬゆえ、直接あなた様に謁見して祝福など受けた事などありませぬが、その神々しさは地方行幸に訪れた王妃リュドミラ様の姿にそっくりにございます」
「私が母に?……。騎士ルスタン、そして孫のユリゴールよ、それは素直に嬉しい事ぞ。だが私が自らを皇女と認めた後、汝らはどうする?もはやリンドグレインは過去にのみ輝く名だぞ」
精一杯背伸びして「やんごとなき」言葉を使ってみるが、いまいちしっくりこないのか、余計に困惑しつつバツの悪そうな顔をするエマニュエル。だがルスタンにはそれが効果てき面だったのか、更に男泣きとなってしまった。
騎馬団の百騎長と言えば、騎士叙勲は受けていても再下級の部類に入る中間管理職である。リンドグレイン王朝が倒れた後に軍事裁判で裁かれて処刑されるほどの重要人物では全く無い。
劣悪な環境の再教育キャンプに入れられて、クラースヌイツベート党から思想教育を刷り込まれながら、苦痛と屈辱に満ちた強制労働の日々を数年間送れば解放される。つまりはこの国には今もルスタンの様な人たちがたくさんいると言う事でもあるのだ。
「原初の導士、そしてエルフの族長候補と共に皇女殿下は現れました、天啓だと感じたのであります。……再びリンドグレインの旗を掲げよと、亡き王と王妃の無念を晴らせと!御身のためならこの不肖ルスタン、肉の一片、血の一滴までも闘い抜く所存にございます!」
「百騎長と言う事で祖父だけでなく、家族全てが再教育キャンプへ送られました。そこで父も死に、母も死に、残ったのは祖父と私だけにございます。騎士の叙勲を受けてはいませんが、皇女殿下の為ならこのユリゴール……!」
このルスタンと言う老人、よほどリンドグレイン王朝に思い入れがあると見える。
百騎長ならば甘い汁など吸える様な階級でも無いはずなのに……。古き良き時代を思い懐かしんでいるのかなと、シルフィアは静かに成り行きを見守っているのだが、意表を突くかの内容で、エマニュエルが老人たちに声をかけた。
「ルスタン、そして孫のユリゴールよ。今はまだその時ではない、今は恥を忍んで耐える時期ぞ。父母である国王と王妃、そして私を守ってくれた騎士団長レオニード・プロニチェフの無念さを一日として忘れた事の無い私が、静かに今を耐えている。私に出来て汝らに出来ぬ道理は無かろう?」
ははあっ!と、ルスタンとユリゴールは再度深々と頭を下げる。エマニュエルは明確にその内容は告げていないが、この場で二人に向かって約束したのである。
ーー平和だの平等を掲げておいて、人の命をないがしろにする共和国に対して、必ず私は反旗を翻す。お前たちをあてにするから、その時まで我慢しなさいーー
修哉に甘える姿しか見た事がなかったが、この光景を目にしたシルフィアは大いに驚く。
なるほどこれは!まんざらではないと。原初の導士と亡国の姫君、この数奇な巡り合わせは、偶然ではないのかも知れないと思い始めたのである。
いずれにしても、帰って来た修哉がこんな話を聞けば、卒倒するに違いないと、シルフィアは場の空気が落ち着くタイミングを見計らい、ルスタンとユリゴールに引き下がる様に促す。そして今起きた事は雄叫びを上げるその時まで、胸に秘めておけと釘を刺した。
「ねえシルフィア、シューヤに怒られちゃうかな?」
「ふふ、怒らないわよ。あなたを翻弄しようとする輩をシューヤは絶対許さないでしょうけど、あなたが自分で決めた事を、シューヤが怒る訳ないでしょ」
修哉と共に行動して、幾らかの時間しか経っていないが、レオニードと過ごしたボルイェ村でのあの時間も、エマニュエルは幼いなりに国の抱える矛盾と恐怖を目の当たりにしてきた。
「自分が変革の基礎となれるなら」……この気持ちはやがて昇華し、大陸中を包む大きなうねりとなるのだが、今しばしの間は忍び、そして耐える時期なのだと自分に言い聞かせる。
深々と頭を下げ、意気揚々と引き上げて行く老人と青年の姿を、決意のこもった力強い瞳で見つめていたエマニュエルであった。
そして、エマニュエルが幼い覚悟を決めたちょうどその頃、港街サレハルートの郊外では、原初の導士藤森修哉と、悪意持つ黒服の集団……シーニィメーチの越ヶ谷美雪との死闘も、いよいよ大詰めになって来た。
はぁはぁと言う口呼吸がゼイゼイに変わり、そしてヒュウヒュウと気道が笛の様に鳴り始めた修哉ではあったが、必ずしもこの全力疾走を繰り返していた時間が、無為な時間であった訳でも無さそうである。何故なら、自分の能力の変遷と、この世界に飛ばされた後に発現させた能力のその差に、重大な違いがある事に気付いた事と、越ヶ谷美雪が能力を発現させる際の、その仕組みとクセを見付けたのである。
前者はこの極限状態で「そう言えば俺は……」と言う類いのものなのだが、暗殺者時代に比べて、使えば使うほどにその能力発現容積が増えている事を改めて実感していたのだ。
例えば暗殺者時代、たった一人のターゲットを屠る為にディメンション・リビルドを放ち、そしてそれが成功する事で、自分の底力など図った事などなかった修哉。
研究所の訓練でもせいぜい五立法メートルの容積量を次元変換すれば青色吐息のはずであったのだが、この世界に飛ばされてからは、そんな自分の限界を軽く凌駕している事に再確認する。
レオニードとエマニュエルを救い出す為に二個分隊二十名近くの兵士を屠り、袴田哲臣に対しては無数の二次元空間トラップを張り巡らせて成功した。
更には森林火災を鎮火させる為に阻止消火を行い……森林火災の延焼が広がらない様に、阻止ラインを設定して徹底的に森林伐採を行い、火が燃え移らない空間を作った。江戸時代の町の火消しが、火災の周辺家屋をぶち壊すのと同じである。
更にはリジャの街の人々の為にと、アンカルロッテの森林を大量の木材に変えた次元斬(昇太郎命名)など……。ロールプレイングゲームで表現するなら、MPが遥かに増えている事に今更気付いたのである。
だが、だからと言って、圧倒的不利なこの局面を打破するには、ディメンション・リビルドの何をどうして良いかまでには結論は至っていない。
越ヶ谷美雪の後方に位置する黒服二人は、未だにチャームの魔法を継続しており、まるで距離感が掴めない。距離感が掴めなくては必滅の技も駆使出来ないし、敵が目立って動かない以上トラップも意味を成さないのだ。
そして後者にあたる、越ヶ谷美雪が能力を発現させる際の仕組みとクセを見抜いた事。
テレポーター越ヶ谷美雪は、投げる事で慣性力を得た物質をテレポートさせて、その物質の殺傷力を高めていたと思っていた。だが慣性力など必要無かったのである。
全身に無数のスロウナイフが刺さった修哉は、まるでハリネズミの様な様相なのだが、その刺さったナイフの何本かを見ると、ナイフの刃の部分が刺さっていたのでは無く、柄の部分が深々と刺さっていたのだ。
つまり越ヶ谷美雪のテレポートは、物質を投げて慣性力・殺傷力を得てから転送して殺傷する方法を用いらずに、体内を狙って静止物質を送り込む能力なのである。
ーーさすが【前任者】。修哉が暗殺業務に携わる以前、柳田学校で名を轟かせた人物ではあるーー
素直に賞賛は出来ないが、強敵である事は事実だが、血管と筋肉と神経をことごとくナイフで断裂されて、激痛に全身が悲鳴を上げる中で修哉は、越ヶ谷美雪が能力を発現する際の、右手人差し指の動きに注目出来た。
彼女がそこら中に隠してあるナイフにテレポートを命じる際、右手人差し指を立てる仕草を運良く見付けたのである。
……俺と同じだ!能力が無意識の内に発現しない様に、自己暗示をかけている!……
つまり、チャームの魔法を何とかする事と、越ヶ谷美雪の右人差し指の動きを止めれば、挽回出来るどころか、自分の勝利に導ける。
……だが、どうすれば良い?……
大量出血が災いし、どんどん意識に曇りガラスのフィルターが重ねられていく修哉。
……あのチャームの魔法さえどうにかすれば、距離さえ計る事が出来れば!……
ここで修哉は「はた」と気付く。自分で気付いた閃きのアイデアで、自分で目から鱗をこぼす。【次元空間再構築は、二次元、三次元にこだわった話ではない】と。
数学的な表現をするなら、横の直線X軸と縦の直線Y軸で成り立つ世界は二次元だ、そしてそのX軸とY軸両方に対して直行にZ軸が誕生すれば、デカルト座標の3の実数……三次元が誕生する。
ならば、空間次元1を発生させて直線で自分と敵を結べば、それはもう一次元空間の誕生ではないか。
基本的には直線は無限の長さを持つ。だから数学的に座標を指定してやらないと、直線が結んだ二点も生まれないし、太さを持たない性質を持つ直線は、一次元殺傷力としては全く機能しない。
「だから……だからイメージするんだ!力を持った一次元を、敵を打ちのめす必殺の一次元を!」
「あらあら修哉君、だいぶ足が疎かになってきたわよ。あまり遅いとお姉さん……トドメ刺しちゃうわよ」
越ヶ谷美雪が左手に小瓶を掲げた。何やら小瓶の中には透明な液体が入っており、その中には小さな木片がプカプカ浮いている。
「神経毒テトロドトキシン、フグの毒をたっぷり吸わせたこの木片……。修哉君の身体に送り込んだらどうなるかな?毒量を調整してるから、即死は無いわね。でも倒れたら……ふふふ、身体中切り刻んであげるわ」
楽しみねえと、残酷な笑みで言葉を締めくくろうとした越ヶ谷美雪、しかしその言葉を口にする事は無かった。何故なら、地面が揺れているのかと錯覚する程の、修哉の必殺の雄叫びが轟いたからだ。
「ディメンション・リビルド!」
越ヶ谷美雪はその声に正直驚いた。勢いに圧倒されてつい身体が反応し、仰け反ってしまった。脅かされた様な気がして、逆に腹が立ってしまったぐらいだ。
だが、本当に驚いたのは次の瞬間である。美雪の背後でドサリドサリと重い音がしたので、振り返ってみると何と、今の今までチャームの魔法を継続していた黒服の部下二人が、顔のど真ん中に穴を開けて倒れていたのだ。
修哉のイメージした一次元。直線は数学上で定義しないと発生しない極めて細い存在である。それに殺傷力を持たせるなら「面積」が必要な直線になってしまう。それならば敵を粉砕するだけの面積をイメージしようとした、これが修哉の出した答え。
当初は一次元のイメージだったものに面積を当てはめたのである、つまりは体積プラス進行方向と言う、まさに四次元の空間を呼び出したようなものなのだが、修哉にしてみれば未だにそれはレーザー光線の様なもの程度の認識しかない。
だが距離計算せずとも敵を屠る事の出来る、新たな技が誕生した事には間違い無い。修哉は自らの力でピンチを切り抜けたのである。
黒服の男二人は、顔の中心から後頭部にかけての全てを貫かれて完全に生き絶えており、チャームの魔法はここに沈んだ。そうなれば、修哉の命を脅かす障害はもう何も無い。
「……ディメンション・リビルド……」
ピン!と、何かしらピアノ線が飛ぶ様な感覚に襲われた美雪、その違和感が起きた右手を自分の目の前に掲げる。
「き、貴様っ!わ、私の指が……指が……!ぎゃあああっ!」
越ヶ谷美雪との距離さえわかればと、修哉は彼女の右手の指を全て吹っ飛ばした。もちろん、異次元の遥か彼方にだ。そしてそのまま美雪に猛然と駆け寄りながら、右の拳を大きく振りかぶる。
「こんの……野郎っ!」
女性を野郎呼ばわりしながら、修哉は美雪の顔面のど真ん中に、全体重が乗った渾身の右ストレートを放つと、美雪は「ぎゅっ!」と声にならない声を上げ、身体をぐりんと上下回転させながら、そのまま地面に沈んでしまう。
修哉の完全勝利であった。




