チキンサンド
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昼夜の喧騒が絶えない都会から、新幹線に一時間ほど揺られるとたどり着ける田舎、それが長野市。
宗派を問わず門戸を開く寺「善光寺」を中心とした門前町が広がり、ウィンタースポーツの玄関口としても利用される観光都市である。
そして通称「善光寺平」と呼ばれるその長野盆地の南東には、日本のピラミッドと呼ばれたり、UFO目撃多発地帯と呼ばれる皆神山が鎮座していたり、第二次世界大戦中に作られた地下総司令部跡……松代大本営がある。
何かと神秘的な扱いを受ける場所なのだが、その地域に古くからある総合病院に、藤森修哉はいた。
外来患者や入院患者がひしめく棟とは別棟にある研究棟、その脳神経外科フロアのとある一室で、蒼ざめるくらいの真っ白な壁や天井に囲まれて、半裸の藤森修哉はスキャニング検査を受けていたのである。
CTスキャンの様な巨大な機器で全身をくまなく調べられている修哉、検査室とモニタ室を阻むガラス窓からは、柊小夜ともう一人、博士号持ちの研究者でこのフロアの責任者、小山内博士の顔が見える。
二人とも修哉をガラス越しに見る事は無く、目の前のモニターを食い入る様に見ているのだが、その表情はひどく明るい。ひどく明るいと言うのは楽しげにと言う事ではない。二人とも驚きに満ち満ちながら、嬉々としてモニターの情報を眺めているのである。
「凄い、凄いわ修哉!こんな数値は初めて見る!」
「桜花のメンバーどころか……小夜君、君の数値をも遥かに超えている。これは凄いどころの話じゃない、奇跡の領域じゃないか」
「ほら!私の言った通りだったでしょ、博士?」
「恐れ入ったよ。それにこのキルリアンの放射波形を見たまえ、全身から均等に出ている。これは驚きだぞ、意識したり極度の緊張が無くても、彼は能力を最大で発揮出来ると言う事だ。訓練プログラムの段階を上げても良いかも知れない」
「修哉のキルリアン、綺麗……。喜怒哀楽で変わるキルリアンの色も均等で……まるで虹みたい」
今までこんなデータは無かっただの、ここまでの数値は初めてだのと、二人揃って修哉をべた褒め。まるで五感を制覇した人類が、その次のギフトを受けたかの様な、新たな人類の型を見た様な喜びようだ。
やがて検査も終わり、修哉は別室に移動して検査着から自分の衣服に着替えるよう、小山内博士の声でスピーカーから指示を受けるのだが、その際修哉が、ガラス越しのモニター室にちらりと視線を移した際に、奇異な光景が目に入った。小夜と小山内博士しかいなかったモニター室に第三の人物が現れて、なにやら小夜と言い争いをしているのだ。
「あれは……確か……」
修哉はその第三の人物に見覚えがある。小夜と似た様な歳の女性で名前は越ヶ谷美雪、確かユニット桜花のリーダーだと小夜から教えられ、記憶していた。
昨年の秋に街角で小夜に拾われた修哉は、一冬超えるまでこの研究施設に預けられていた。彼の現状能力の把握と、更なる能力開花に向けたトレーニング。単調で味気ない日々が続いていたのだが、ほぼ毎日と言って良い程に小夜が面会に現れて、時に激励したり時に姉ぶってみたり、甘えてみたりと……不思議と退屈な日々だとは思わなかった。
ただ、この越ヶ谷美雪が何度か小山内博士を訪問しにやって来た時は、さすがの修哉も良い気はしなかった。
越ヶ谷美雪は事あるごとに、小夜と修哉に向かって露骨な敵意を剥き出しにして、殺意の瞳を向けて来るのだ。小夜あたりは相手にするなとどこ吹く風なのだが、自分はともかく小夜を睨むこの女性が気に入らず、修哉もついつい睨み返して余計に不興を買っていた経緯がある。
そして今、越ヶ谷美雪の方が小夜に突っかかったと予想出来るのだが、意外にも小夜はそれを受け流さずに、真っ向勝負で言い合いを続けていたのである。
「おいおい……。相手にするなって小夜が言ったんじゃないか」
検査室で二人の光景を見ながら、修哉はポツリとそれを漏らす。だが分厚いガラス窓に阻まれて、修哉の動揺が小夜の耳に入る訳は無い。二人の口喧嘩はいよいよヒートアップして、仲裁に入ろうとした小山内博士もオロオロするばかり。
やれやれ、俺が嫌われ役になって仲裁に入るかと、修哉の大人心が別室扉に足を運ばせようとした瞬間、事件は起こった。
越ヶ谷美雪が手を出した。小夜に思い切り張り手を見舞い、小夜が吹っ飛ばさたのだ。
パン!と、検査室まで音は聞こえないものの、音が聞こえて来そうな程の凄まじい張り手。叩かれた側の小夜は、もんどりうってモニター室の壁に頭を激突してしまったのである。
どう言う経緯で口喧嘩が始まったのか、どちらが挑発したのか、どちらが悪いのか……そんな事は修哉にとってどうでも良かった。
ただ一点……たった一点の理由だけが、修哉の髪の毛をゾワゾワと逆立てさせ、落ち着いていた心臓の鼓動を急激にフル回転させる。
「貴様小夜を、小夜を殴ったな!……ディメンション・リビルド!」
修哉の怒りは形となって現れ、そしてモニター室の喧騒を全くの沈黙にへと変える。エアコンの緩やかな風が騒音に聞こえるほどにだ。
「……しゅ、修哉君……」
その光景にびっくりし、椅子から転げ落ちた小山内博士は腰を抜かしたのか、そのまま床で産まれたての子鹿の様に両足をカクカクと震わせている。
それもそのはず、モニター室と検査室を阻む分厚い壁と分厚いガラス窓が綺麗サッパリ無くなってしまったのである。
それは修哉のディメンション・リビルドが発動した証拠であり、小山内博士どころか越ヶ谷美雪も、倒れ込んで顔を上げた小夜さえも、口を開け目をまん丸にひん剥いて、その驚きの能力にただただ唖然とするしか無かったのである。
「……今度小夜に手を出したら……手前え殺すぞ」
二つの部屋が一つになり、やけに広々とした空間が逆に寒々しく感じる中、怒りに身を任せた修哉の声だけが周囲の壁に反響していた。
「……ふわあああっ!……」
木の幹に身を任せていた身体を起こし、あくび目をこすりながら周囲を見回す。ここはエルフの守る巨大な森アンカルロッテと、海運都市サレハルートのちょうど中間地点の緩やかな丘陵地帯。
エマニュエルたちと別れた修哉は出来る限り深夜のうちにとサレハルートに移動を続け、空が白み始めた頃に一度仮眠を取っていたところ。なるべく昼間は移動せずに身を潜め、夜間の移動でサレハルート入りを目指していた。
小高い丘にポツポツと立つ木の側に立ち、進行方向である南西に目を凝らす。緩やかな海岸線が視界の彼方まで伸びて、ところどころに小さな漁村が確認出来る。
リジャの難民たちがスヴェート海で漁を行える様に、漁業ギルドと話をつける必要があるのだが、先ずはサレハルートに乗り込んで処刑部隊と原初の導士を倒す……。その実績が無いとギルドとの交渉もままならないはずであり、そして何よりも小夜を処刑した連中を生かしておけないと、修哉の敵愾心が黒い炎となって、腹の底をメラメラと燃やしている。
とりあえず腹ごしらえと、手に持った荷物服から布で包んだ小さな荷物を取り出して、丘の上に座る。出発する際にエマニュエルが渡してくれたチキンサンドだ。
「……しょっぱい……」
どうやらエマニュエルが塩加減を間違えたのか、炙りチキンの表面はびっしりと塩でコーティングされている様だ。だが修哉はそれを吐き出す事も無く、嫌悪の表情を浮かべる訳でも無く、むしろ頬を緩めて眉を下げ、穏やかな表情で食べ続ける。
一流の食材を一流の料理人が調理したもの、それは旨いと表現される至福の瞬間かも知れない。しかし、料理の素人であっても思い人が食べる事を想像しながら一生懸命作ったものは、心の味覚が美味しいと唸る、心が豊かになる瞬間だ。
サレハルートを前に、前のめりの殺意に包まれていた修哉は、思いがけないアイテムでリセットされたのである。
ーー後先考えない修羅にはなるな、刹那の世界の人になるな。お前が帰って来るのを、心から待っている人がいるのだからーー
幼い少女の笑顔を思い出し、ささくれた夢を見た事すら忘れ、馬の手綱を引きながらゆっくり歩き出した修哉。漁村を避けて隠れながらサレハルートに向かい出す。
昇太郎あたりがしっかり料理を教えてくれるだろ、帰ったらまたチキンサンドを作って貰うかと呟いたその声は、海風に乗って彼方へ消えて行った。




