スフィダンテ(挑戦者)
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幻の森リィリィルゥルゥを守る短耳種のエルフ「ナーケルシュ族」、そのナーケルシュ族の森の西南端に今、藤森修哉はいる。
リィリィルゥルゥで始まり女王との謁見を終え、その日の内に一行はこの難民キャンプへと戻って来たのである。
今は深夜、見事な満月が赤々と大地を照らす時間。難民キャンプからちょっと離れた小さな焚き火の傍らに座る修哉は、ぴったりと寄り添って寝ているエマニュエルを起こさない様に、ゆっくりゆっくりと細心の注意を払いながら身体を起こして身支度を始めた。
一張羅のライダージャケットはツヤツヤのレザーが月明かりが反射してしまうので、シルフィアから譲り受けた黒のローブを羽織り、傍らに準備しておいた荷物袋を肩に掛ける。
難民キャンプをぐるりと見回すも、ところどころに消えそうな焚き火が、パチパチと火の粉を弾けさせながら眠る人々に暖を届けているだけで、空腹で眠れない者も泣き叫ぶ子供たちもいない。腹が満たされた結果からなのか安らかな寝息を立てていた。
修哉のアイデアは難民の飢餓状況を、一時的にではあるが劇的に改善させたのである。
イーザリ川の何ヶ所にも設置された魚道に見せかけた仕掛け漁は、産卵の為に遡上して来る大型魚をじゃんじゃんと捕まえて難民の胃袋に収まった。
そしてナーケルシュ族の族長、エリー・ジヌデューヌは自らの名前で全エルフ種に難民支援の要請を発し、ナーケルシュ族は備蓄食料の減少を気にする事無く、難民に食料提供を再開するに至る。
今日はホビット族から物々交換で仕入れていた小麦粉が配給され、難民たちは口にした久々のパンに、つかの間の幸せを噛み締めていた。
だが、舟を作って西のスヴェート海で漁を行うには、船大工の不足とカルステン市長が修哉に打ち明けた不安要素が原因で、いささかの時間が必要となっていた。
カルステン市長が修哉に吐露した内容は処刑部隊の恐怖だけではなく、市民同士の衝突……つまりは内戦の火種がそこにあると言うのだ。
リジェの隣にある港街サレハルートは、名前の通り漁業と海運で築かれた古くからある海運都市で、この大陸の五本の指に入るほどの能力を持っている。
サレハルートには気が遠くなるほどの遥か昔から海運ギルドが作られており、王国時代から半独立を認められていた。それだけの影響力がギルドにはあったのだ。
リジェの穀物を大陸中いや、世界中に拡散するサレハルートにはもう一つの側面がある。
物流だけに特化された街ではなく、その豊かな海は漁業にも適しており、大陸屈指の漁獲高を誇っていたのである。もちろん、漁業ギルドも完璧な程に機能しており、カルステン市長はそれを危惧していたのである。
ーーリジェの難民が漁業を始め、それが漁業ギルドに見つかってしまえば、必ず血の報復が始まるってしまうと。
独立の気運高き海運都市サレハルート、リジェで起こった飢餓による暴動がサレハルートに波及して、クラースモルデン連邦共和国の社会主義体制に対しての革命運動に昇華してはまずい……。
それが首都からクラースモルデンの処刑部隊が送られた理由であり、リジェの住民をサレハルートに運んでは公開処刑を繰り返して、海運ギルドをけん制しているのだが、その処刑部隊には原初の導士も一人含まれている……これはリィリィルゥルゥのハイエルフ、始まりの女王ララ・レリアからの情報である。
……シューヤ・フラット・ライナーよ、サレハルートにエマニュエルを連れて行ってはいかん、あそこにはまだ王国復権を望む者が多々いる。今あの子を連れて行けば、お前の望まぬ未来が選択されるぞ……
ララは修哉の感情すら情報として得ていた。
クラースモルデン連邦共和国の恐怖政治を打倒しようと、最後のリンドグレインであるエマニュエルを反政府運動の旗頭に据えようとする考え、修哉はそれに断固反対している。
幼い彼女の周りでは既に充分の血が流れ過ぎた。そういう世界に彼女を置かずに穏やかな日々の中すくすく育って欲しいと願っていたからだ。
だから、ララにそれを教わった事も理由にして、サレハルートに赴こうとする今の今まで、連れて行けとグズる彼女を拒否し続けたのである。
だがしかし、エマニュエルには何かしら、まだ運命に振り回されそうな気配を感じる。
リィリィルゥルゥを後にする際、ララ・レリアが修哉だけを呼び止めた時の事だ。彼女は修哉の耳元で「もう一つ先の未来」の選択肢を提示したのだ。
……どんなに最善の選択をしても、お前のディメンション・リビルドは必ずその力を失う。そしてどんなに最善の選択をしても、エマニュエル・ハンナエルケ・リンドグレインはお前の側を離れない。
エマニュエルの幸せを願うのなら力を得る必要がある、力を得るしかない。サレハルートから無事帰って来たら霊山シャミアの場所を教えるから、死剣フラーブロスチと聖剣ヴェール・ヘルックを得るのだ。それが二人の身を救う唯一の方法だ……
「何か、いよいよRPGみたいになって来たな」
そう呟きながらも、足音を立てずにゆっくり森の近隣に近付く。深夜であるはずなのに、主人の気配を早々察知した栗毛の馬は、準備は出来ているかの様にぶるると鼻を鳴らし、修哉を背中で向かい入れようとする。
悪いけど頼むなと、馬の首を二、三度撫でてやり、さあ背中に飛び乗ろうとした際に、修哉の背中に弱々しい声が刺さる。心が揺さぶられてしまうから無視したいのに、絶対に無視出来ない声だ。
「……シューヤ、シューヤ……もう行くの?」
こう言う顔が見たくないからこそ深夜の出発を選んだのだが、本人が現れてしまってはもうどうしようもない。
エマニュエルを見下ろさないようにと配慮したのか、振り向きながらしゃがんで、彼女の泣きそうな顔を真正面でしっかり見据える。
「ああ、もう行くよ。早く行って早く帰って来る。その方がエマニュエルも安心だろ?」
そもそも修哉には行って欲しくないのだが、そう言われてしまえばうなづくしかない。
納得のいかないままそれを飲み込み覚悟を決めて、エマニュエルはスッと手にしていた小さな袋を修哉に差し出した。
「シューヤ、これ朝ごはん。鶏肉をパンで挟んだ……シューヤの好きなチキンサンドだよ」
「俺のために?……そっか、ありがとうな」
「帰って来てシューヤ。お料理勉強して待ってるから……早く帰って来てシューヤ」
泣かないと決めていたのであろう、流れる涙をこらえる顔はリキむどころか般若の様相に変化し、ぐぬうと肺から声を漏らしながらも、それでも耐えるエマニュエル。
修哉はそんな幼い想いと頑張りに胸を打たれたのか、そのまま手を伸ばし、エマニュエルを抱き寄せる。
「レディなんだろ?可愛い顔が台無しじゃないか」
抱き寄せられたエマニュエルだが、自分からも進んで手を回し、修哉の首をぎゅうぎゅうに締め付ける。
苦しいよと苦笑するが密着度百パーセントのエマニュエルは「はやぐがえっでぎで」と何度も何度も修哉の耳元で鼻水混じりの声を繰り返した。
エマニュエルの肩越しに見える人影は二つ。自称乙女道まっしぐらの女装男子、莉琉昇太郎とエルフのシルフィア・マリニンが、二人を邪魔しない様に配慮しながら距離を取っている。
「昇太郎、シルフィア。エマニュエルを頼んだぞ」
「是非も無い。シューヤ、御武運を」
「任せて修哉きゅん、立派なレディにしてあげるから」
昇太郎てめえ、お前が一番不安なんだよと憎まれ口を叩きながら、優しくエマニュエルを引き離し、立ち上がった。
「さて、行くよ」
後ろ髪を引かれる想いを断ち切る様にと、エマニュエルの頭をひと撫でしてひるがえり、馬の背中へと身体を預けた。
……シューヤ、シューヤ……
背中に突き刺さる幼い声はどんどん小さくなる。既にシルフィアと昇太郎が気にして、エマニュエルを慰めてくれているはずだ……。修哉はそう考えて気持ちを切り替えた。
ララ・レリアには言われている。もしサレハルートの海運ギルドが修哉の意志に反する様な者共であれば、後顧の憂い無く壊滅させて構わん、皆殺しにしてしまえと。
そこまで 信頼されているのも首筋が痒い話なのだが、自分の判断一つでエマニュエルの未来も変わってしまうのだと、それを戒めに闇夜を睨む。
……シューヤ・フラット・ライナーよ、死剣フラーブロスチと聖剣ヴェール・ヘルックを得よ。その対の剣がお前を受け入れた時、【聖剣スフィダンテ】にと姿を変える。お前が世界と闘うための挑戦者の剣だ……
ララが見る未来それは二人を破滅に誘うのか、それとも栄光に誘うのか。その結果は今の積み重ね次第であり、今を必死に生きよう……。冒険者の顔はやがて暗殺者の顔へと変わり、暗闇へと溶け込んで行った。
◆始まりの女王
終わり




