詰んでるエルフ
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その面積のほぼ全てを森で包む、エルフの国アンカルロッテ。今その巨大な森の中を三人の男女が、二頭の馬に乗って旅している。
三人の男女とはもちろん修哉とエマニュエルそして、ウルリーカ族族長のひ孫シルフィア・マリニンの事。
始まりの女王と言われるハイエルフ、ララ・レリアに会う為、三人は一路西へとトコトコと向かっていたのである。
修哉とエマニュエルは立派な栗毛の若い馬に乗り、ユニコーンの亜種である角無しの幻馬「ノーコーン」には、主人であるシルフィアが乗っている。
修哉の手綱捌きもなかなかのもので、最初は背後から修哉に手を回して渾身の力で抱きしめていたエマニュエルも半日もすれば完全に安心し、修哉の前の席をねだって一緒に手綱を握るほどになった。
まるで親子の様であり、歳の離れた兄妹の様でもあり、恋人の様にも見える修哉とエマニュエルの姿。それをチラリチラリと横目で見ながら、複雑な表情を見せるシルフィア。
その複雑な表情の根源となっていたのは出発前の事。昨晩シルフィアの家に修哉たちが泊まったその深夜に端を発していた。
シルフィアのツリーハウス、その自室で深夜彼女は、いよいよ覚悟を決めなければと顔面のあちこちをピクピクと震わせながら、鏡の前で油汗を滴らせている。
祖母であるユリアナの家から退出する際、彼女はユリアナからの耳打ちでとある指示を受けていた、「原初の導士、その血が一族に力を与える。せめて一人ぐらいは身籠もれよ」と。
それはつまり修哉と関係を結んで子供を作り、ウルリーカ族の血統に原初の導士の血統を混ぜよと言う意味。
耳長族の年齢では百十歳のシルフィアも、人間年齢に直せばたかだか十五、六の生娘であり、もちろん経験など無い彼女がパニックに陥っていたとしても、しょうのない話ではあるのだが……
「どうしよう、キャミソールで良いのか。それとも下着姿で?いやいや!はしたない者だと思われたら本末転倒だし、そもそもこんなペタ子では、悩殺させる自信が無い!」
「化粧は?化粧はすべきなのか!?盛り過ぎれば深夜に何やってんだって話になるし、無防備のノーメイクでは自信が無い!」
きいいいい!と、近所迷惑にならない程度の悲鳴が深夜の森を木霊し、獲物を狙うフクロウをビクリと驚かす。
「あのおババ様の事だ、私が使い物にならなければ簡単に諦め、別のエルフをシューヤに向けるはず。それだけは、それだけは何としても阻止しなければ……!」
何のことは無い。結局ああだこうだ言いながらも、まんざらでも無いんじゃないかとツッコミを入れたくなるシルフィアの苦悩だが、そんな乙女の甘くて苦い想いのたけを軽々しく粉砕するノック音が、修哉の寝る隣の部屋から聞こえて来た。
(シューヤ、シューヤ、ねえ起きてる?)
「あれは!?……ぐぬぬ、エマニュエルめえええ……」
低く絞り出す様な声で彼女の名を呟くシルフィア。先を越されたかと心配になり、様子を伺う為にそっと扉を開け、隣の部屋を隙間からこっそり伺う。
「どうした?何かあったか?」
開けきれない目をしょぼしょぼさせ、頭をポリポリと掻きながら修哉が顔を出す。
「シューヤ、眠れないの……」
大きな枕を脇に抱えたエマニュエルは、独りが辛いのか眠れなかった様である。そして、悲しそうな顔のエマニュエルに微笑みかけながら、修哉は彼女を部屋へと誘った。
こうして、よこしまで切実なエルフのたくらみが脆くも粉砕されてしまったのだが、それで諦めるシルフィアではなかった。
ハイエルフが住まう幻の森「リィリィルゥルゥ」に辿り着くまで三日、その間に何とかならないかと、今も虎視眈々と狙っていたのである。
しかし、修哉とエマニュエルの間にも新たな絆は生まれていた。もちろん恋人同士になったとか禁断の関係に堕ちたなどの、常識人が眉をひそめる怪しい絆では無い。
修哉の隣がエマニュエルに占領されてしまい、口惜しさのあまりにベッドの上を転げ回って転げ回って暴れていたシルフィアが、昼間の疲れもあってとうとう眠りに落ちて敗北した頃、エマニュエルに添い寝をしてあげていた修哉が、おもむろにガバッと起き上がったのだ。
「……うん?シューヤ?……」
枕を隣に置いていたのだが、結局修哉に抱き付いて寝ていたエマニュエル。起き上がった修哉の勢いに弾かれて目を覚ます。
「どうしたの?……シューヤ?」
「俺……小夜の夢を見た」
「サヤ?シューヤの知ってる人、家族なの?」
「家族……。そうだな、小夜は家族だった。彼女もこの世界に来ていたらしけど、先月人民警察特務班に処刑されてしまったそうだ」
自問自答の様な、抑揚の無い声で答えていた修哉、自分自身は何も気付いていなかった様なのだが、エマニュエルがそれに一早く気付き、テーブルの椅子に掛けてあったタオルを急ぎ手にして、修哉の頬を拭った事で初めて気付く。
「な、涙……?俺、泣いてたのか」
「私のお父さんみたいに、シューヤにとってサヤは大事な人だったのね」
幼くても女性は女性。エマニュエルの母性が目覚めたのか、彼女は修哉の頭をイイコイイコと撫で始めた。
「寝よ、シューヤ。今度はきっと良い夢見れるよ」
「そうだな……。そうだな……」
子供扱いするなとも、余計なお世話だとも言わずに、エマニュエルの言うがままに横になり、自分でも涙を拭いながら目を瞑った素直な修哉。
小夜の無惨な死は哲臣から聞いた話であったが、動揺に押し潰される事無く哲臣を葬り去った。
そしてその後は平静を保ち、気丈に振る舞いながら消火活動にも貢献。どうやらその反動が今になって現れたのかも知れない。
幼い頃より、まともに泣いた記憶など微塵も持ち合わせていない。
施設の職員から虐待を受けた時も、学校でイジメられた時も、常に冷ややかにそれを受け止めながら、通過儀礼だと飲み込んでおり涙腺が緩んだ事など無かった。
それが小夜の死を知っただけで、今までまともに流した事など無かった涙が溢れて来る。大事な存在を失うとどうなるのか、悲しいと言う状況が一体どう言う事を言うのか、憧れの人の死をもって気付いたのである。
もう小夜は帰って来ない、会う事も言葉を交わす事も、あの笑顔を見る事すら叶わない。
そうであるならば……自分の大切なものを奪った連中が憎くてしょうがない。小夜を想えば想うほどに、それと一緒に「奴ら」に対しての怨みは益々募って行く。
……落ち着け、先ずは自分の置かれた状況の正確な分析を終え、奴らを粉微塵に粉砕する戦略と戦術の策定だ。それとそうだ、そうだな。この子の安全と幸せをまず最優先で……
再び寝息を立て始めていたエマニュエル、その安らかで可愛い寝息が、何故か自分の抱く毒々しい怨嗟を清らかに中和している様にも感じていたのだが、それに深い考察を付ける事は出来ないまま、やがて修哉自身も穏やかに夢の世界へと潜って行った。
右を向いても左を向いても、前も後ろも視界は全て木に覆われる奥深い森。
修哉たち一行が進んでいるこの森は、まだ迷いの森でも何でもないのだが、人間ならば途端に迷い決して抜け出す事は出来ないであろう。だがエルフのシルフィアに言わせれば、木々の一本一本にはしっかりと個性があり、迷う事などあり得ないのだそうだ。
エルフ種はこの一本一本の木々を把握するのと、その間を縫う様に流れる風の音色で、どんなに奥深い森であっても完璧なマッピングが出来る。ーーなるほど、それで耳が長いのかなと、修哉とエマニュエルは感心していた。
一日も終わりに近付き、太陽の日差しも森の中まで届かなくなって来た頃の事。あとちょっとで今日の目的地でもある、狩りや旅に出たウルリーカ族の者なら誰でも使う事が許された、共用ツリーハウスに到着する。
初めての乗馬で尻を痛くしていたエマニュエルと修哉には、ゆっくり休める都合の良い場所であるのだが、シルフィアにとっては別の意味で都合が良い場所とも言えた。
……このチャンスを逃せば、以降は全て野宿になる。今宵しか無いぞ、今宵が勝負だぞシルフィア!……
覚悟を決め、決意のほどを自分に言い聞かせているのだが、シルフィアはとんでもない事に気付き、圧倒的な絶望感に襲われる。自分の乗る馬が一体どんな馬なのか、それに気付いて愕然としてしまったのだ。
彼女が自慢げに乗っていたのは幻馬ノーコーン、ユニコーンの亜種である以上、もちろんノーコーンも生娘しか乗せない。
もしシルフィアが一族の悲願とやらを果たしてしまうと、この旅での移動手段を完全に失ってしまうのである。
「……あっ、詰んでる……」
顔を真っ青にしたシルフィア、お前ちょっとは融通効くよなと愛馬に耳打ちするのだが、ノーコーンはブフッ!と鼻息ひとつでそれを一蹴。彼女の目論見は完全に粉砕された。




