フラット・ライナー
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都心に向かう上り線もこの時間帯は車はまばらで、深夜のパーキングエリアは閑散としている。更にゴールデンウィークが始まったばかりとなれば、仮眠を取る物流のトラックさえもその数を圧倒的に減らしており、いくら新宿に一番近いパーキングエリアだと言っても、トイレ休憩に訪れた数台の車が出入りするだけである。
そこへ一台の黒塗りのSUVが到着し、トイレ前の誘導灯の明かりからちょっと離れ、わざわざ薄暗がりが支配する駐車場へと停車してエンジンを切った。
運転席、助手席のドアが開き、出て来たのは黒系のスーツを着た男女。
女性側はタイトスカートを履かずに、パンツ姿にヒールの低い靴を履いている事と、男女とも上着の前ボタンを外しているところから、ああ、この二人は腰に拳銃を下げているんだなと、「その道」の者には容易く想像出来る姿だ。
開けたドアを閉めずにそのまま辺りを執拗に見回し、安全確認を行う二人。
どうやら警戒すべき事象は見当たらなかったのか、運転手を務めていた男性は車内に首を入れて「大丈夫です」と後部座席に座る人物に声を掛ける。
すると車から飛び出す様に出て来た二十代前半らしき女性が、「修哉、早く早く!」と叫びながら、もう一人の同乗者に車から降りろと矢の様な催促を繰り返しており、
その女性が地団駄を踏んでいる中で、嫌々ながらもっさりと降りて来た少年が、藤森修哉であったのだ。
「トイレぐらい一人で行けよ」
頭をぽりぽりとかきながら眠そうな顔をしたままの修哉は、見た目からして間違いなく修哉よりも歳上であろうその女性に対して、面倒臭そうにそう吐き捨てたのだが、
その女性は、歳下のクセに生意気な口をきくこの少年を「暗闇怖いじゃないの!一緒に来てくれなきゃヤダ!」と、強引に手を取り引っ張り出したのだ。
「お、おい、やめろよ小夜。人が見てるだろ!」
露骨に嫌だと意思表示する修哉だが、頬がほんのり紅潮し必死に照れ隠ししている事から、この姉の様な雰囲気を持つ小夜と言う名の女性に、手を引っ張られる事などの依存される事が、まんざらでもない様子なのは確か。
だが、修哉はそれを表には出さずに極力平常を保ち、クールでいようとしている。それはつまり、まだ17歳の少年ではあるのだが大人の男として小夜に接している事の現れでもあった。
そして修哉に小夜と呼び捨てされた女性は根っから天真爛漫な性格なのか、修哉の突き放す様な態度などものともせずに、つれない事言わないでよ久しぶりでしょと言いつつ、遠慮など微塵も無く修哉をその掴んだ手でぐいっと引き寄せる。
まるでショッピングモールで、迷子の弟を姉が見つけその手を取って導く姿そのものだ。
「ちょっと修哉、覗かないでよ!」
「覗くかよ!」
「ねえ、修哉、そこにいてくれるんでしょ!?」
「いるよ!だから早く済ませろって!」
女性用トイレの奥から、壁に何度も反響しながら小夜の叫び声が聞こえ、修哉はそれを冷たくあしらう様に返しているのだが、それでもいちいち小夜に言葉を返すあたりは、やはり小夜との関係を大事にしている事の表れであり、
彼にしてみればまんざらでもないシチュエーションとも言えるのだが、そうも言ってられない状況がやって来る。
先に停めてあった修哉たちが乗って来たSUVの隣に、やはり黒塗りの大型ワンボックスがするすると静かに接近し、横付けしたのである。
「……ちっ……」
大切にしたいと思っていた時間が、別の人間どもが立ち入る事で壊されてしまう。それに気を悪くしたのか小さく舌打ちをする修哉。
そのワンボックスから出て来た複数の男女と目が合わない様にそっぽを向き、小夜がトイレから出て来る事だけに集中する。
「修哉きゅ~ん、お久しぶり~!」
ワンボックスから出て来た複数の男女の中から、修哉と似た様な世代の、未成年とおぼしきポワポワした少女がゆるい声を張り上げて、嬉しそうに手を振っているのだが、それすら聞こえなかったかの様に完全に無視を続ける。
だがその少女の声以外に、「おい、あれだ、アイツだよ……」「ああ、アイツがあの、フラット・ライナーらしいな」と、明らかに修哉を警戒しながらも、挑発的な音程の会話が聞こえて来る事から、後からやって来た全ての者が修哉を好意的に受け入れていない事が理解出来た。
「お待たせ、修哉。みんなのところに行こう」
トイレから出て来た小夜は底抜けの笑顔で、再び修哉の手を取ろうとするも、修哉はズボンのポケットに両手を入れ無言のままそれを拒否。
早く行くぞと小夜の前に躍り出ながら、彼女に「大人」の背中を見せつつ歩き出した。
フラット・ライナー ーー直訳すれば、「直線を作る者」。
英語圏での医療用語で言えば、脳波停止つまり、脳死状態をフラット・ラインと呼び、医師が患者の死を認定するにあたる三大要素の一つである。
日本においても、脳死、呼吸停止、心機能停止の三状態をもって本人死亡と認定されるのだが、修哉が何故、謎のチームの構成員たちからフラット・ライナーと呼ばれるのかと言えば、彼が対象を確実に脳死状態に陥れる事から、藤森修哉イコール百パーセントの確率で、暗殺を成功させる者、つまりは「フラット・ライナー」として、象徴的な意味合いで使われていたのである。
藤森修哉、17歳
この歳にして既に謎の集団からフラット・ライナーと呼ばれ、良くも悪くも一目置かれる少年。
その少年が厳寒の地に倒れ、雪に埋もれ、腹から大量の血を流して気を失った後に、
脳裏に浮かんでいた小夜の記憶から覚めて弱々しく瞼を開け、視界に入って来た見知らぬ世界に驚くところからこの物語は始まる。