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導師の示した道


 エルゲンブレクト大陸の西岸から中央にかけて、大きな領土を保持する大陸一の軍事国家、クラースモルデン連邦共和国。その首都は、領土のやや西南に位置するなだらかな丘陵地帯に作られた東西物流の中継拠点で、名前をノヴォルイと呼ばれていた。

人口六十万人程度の都市なのだが、この時代、この大陸においては、他の追随を許さない最大の都市である。


 この世界での人間の生活・文化水準は、フランス革命前後と言ったところなので、未だ家屋や道は石造りであり、近代化に拍車をかける産業革命時代まではまだまだ悠久の時間を必要としていた。


その首都ノヴォルイの郊外、東に向かう大交易路に隣接された共和国国軍第三・第四軍基地で、これからとある儀式が行われようとしている。


 木造の巨大な兵舎に隣接された講堂、その広間には国軍の士官と下士官が集められ、神妙な顔付きで時が来るのを待っている。

尉官や軍曹や伍長も皆が皆緊張漂う蒼ざめた顔で、誰もいない演壇を見詰めているあたり、決して良い集会が始まるのでは無い事が伺える。


「気を付けっ!」


 突如として、兵士たちの鼓膜を激しく揺さぶりながら講堂に轟く号令。条件反射さながらに講堂に介した一同は、演壇に真っ直ぐ顔を向けて、直立不動の姿勢になる。すると演壇の左奥から数名の高官と、一人の下士官が現れて兵士たちと向き合った。


 緑色の国軍用軍服を着て、後ろで手を組む壮年男性は、第四軍の司令官であるチェーザリ・エドアルド国軍大佐。そしてその隣に佇むのは、政治結社であるクラースヌイツベート党が派遣した人民警察の官僚、黒い軍服を着たグリゴリー・バイルシュタイン特務中佐が。

そのバイルシュタイン特務中佐の斜め後ろの背後に立ち、中佐との上下関係を演出しているのがあの、人民警察特務班の精鋭部隊【シーニィ・メーチ】、黒い剣と呼ばれる恐怖の部隊の最高責任者、アレクセイ・クルプスカヤ特務少佐である。


 国軍司令官とクラースヌイツベートの官僚たちが厳粛な顔で演壇の脇を固め、そして演壇の中央に独り立たされているのは、第四軍に所属する第12歩兵小隊の小隊長、オマリー・ベグロフ少尉。何故か彼だけ手錠をはめられ、身体をガクガクと震わせながらひどく怯えている。


「……大尉、始めたまえ」


 人民警察のバイルシュタイン特務中佐が演壇の脇、一段低い場所で命令を待つ一人の女性士官に声をかける。

特務中佐やクルプスカヤ特務少佐と同じく、黒い軍服を着たその女性士官は敬礼しながら「はっ!」と応答して演壇に上がった。


「同志諸君!私はシーニィ・メーチ首都方面隊隊長の、ミユキ・コシガヤ特務大尉である。これより!先日多数の戦死者を出した、ボルイェ村掃討作戦の総括を行う。同志ベグロフ少尉は一歩前へ!」


 この司会進行役のコシガヤ特務大尉……長い黒髪が印象に残る東洋系の美女が、驚くほど冷たくて大きな声を張り上げると、演壇の中央にいたベグロフ少尉は震えが治らないのか歯をカチカチと鳴らし、「イヤだ、やめてくれ」と小さく呟きその場に留まろうとする。

しかし、コシガヤ特務大尉の前へ出ろと言う怒号に抗えず、演壇の中央それも一番前に一歩踏み出した。それをもって議事進行のスタートと見たコシガヤ特務大尉は、一同に向かってボルイェ村掃討作戦の概要を説明し始める。


「我ら革命同志の悲願である、リンドグレイン残党の殲滅!その目的を持って国内に随所に放っていた密偵が、長年行方不明だった王国騎士団のレオニード・プレニチェフと、皇女エマニュエル・ハンナエルケ・リンドグレインの潜伏先を発見した。場所は北のラッサ自治州ボルイェ村だ。そしてその報を受けて、第12歩兵小隊がボルイェ村掃討の任に当たった」


 この流れはちょうど、修哉がこの世界に飛ばされて来た頃と重なる。

その後ボルイェ村で何が起きたのかは明らかなのだが、このコシガヤ特務大尉はその経緯をあくまでも他人事の様に、それでいて重大で深刻な問題であるかの様に、講堂の隅々まで行き届く声で集まった士官たちにこんこんと説明する。


「レオニードは討ち取ったものの、本作戦の最重要人物である皇女エマニュエルを取り逃がし、一個分隊十一名と軽装歩兵分隊五名もの戦死者を出してしまった指揮官は、同志オマリー・ベグロフ少尉である!これより、同志ベグロフ少尉の自己批判の時間を設けるので、同志諸君は傾聴せよ!尚、ベグロフ少尉の自己批判が甘いと感じたら、同志諸君は遠慮なく罵声を浴びせるように!」


 総括……、物事を取りまとめる事を意味する言葉なのだが、この連邦共和国軍の中にあっては詰まる所公開リンチと同じ定義となっている。

総括の名で同志を集合させ問題人物をそこに置き、何がいけなかったのか、何故失敗したのかと、徹底的にネチネチと問題人物をイジメ抜くのだ。


 もちろん、この総括の主催者は共和国国軍ではない、演壇に上げられている基地司令官の苦々しい顔を見れば一目瞭然だ。

これはあくまでも、思想について神経を尖らせているクラースヌイツベート党が、国軍兵士の再教育……つまり、洗脳を目的として行なっているのであり、今回のこの総括に担ぎ出されたベグロフ少尉は、運の悪いスケープゴートに過ぎなかったのである。


 ーー村外に待機してて異変に気付けなかった。部隊は壊滅に等しく増援の伝令も出せなかったーー

など、ベグロフ少尉は脂汗を滴らせながら言い訳に終始するのだが、聴衆の士官たちの中にどうやら「仕込み」がいるのか、言い訳やめろ!死んで詫びろ!と非難轟々。

しまいには講堂全体の空気そのものが、ベグロフ少尉を断罪すべしと叫んでいる。


「同志諸君、決を取ろう!ベグロフ少尉は革命の闘士として相応しいか否か!」


「否!否!否っ!」


ドンドンドンッ!溢れんばかりの怒声と、靴を鳴らす地響が講堂を包むーーまさしくそれ狂気。

思想の毒に蹂躙されてしまった者たちの咆哮が、個としての人の矜持を粉砕して行く瞬間だ。


「同志諸君!同志オマリー・ベグロフ少尉の原隊復帰は否、再教育キャンプ行きを決とする。それでよろしいか!」


「応!応!応!」


 仲間に仲間の処分を決めさせ、総括を強要した責任を有耶無耶にさせる卑怯な手法。まさしくこれが政治結社クラースヌイツベートのやり方であり、この洗脳手法が軍隊に限らず、この社会全てに浸透していたのである。


「嫌だ、キャンプだけはやめてくれ!ひいいいっ!」


 妻がいて子供がいて、一家の大黒柱なのであろう。見た目からしても「そういう年齢」に差し掛かっていたベグロフ少尉が、人目もはばからず鼻水とよだれを垂らして号泣する。


【再教育キャンプに入隊して、還って来た者など一人もいない】ーー黙して誰も語る事は無いが、これは国軍兵士の全てが知っている事実である。


 ベグロフ少尉もとうとう失禁してしまったのか、ズボンは前から裾にかけてビショビショに濡れ、近くに立っていたバイルシュタイン特務中佐が露骨に顔をしかめ、衛兵にベグロフ少尉の退出を命令した。


「これにてボルイェ村掃討作戦の総括を終える!同志諸君、ご苦労であった!」


 コシガヤ特務大尉の宣言で公開恥辱刑は終了した。もうベグロフ少尉の姿も見る事も無ければ、消息すら分からないであろう。

だが、講堂からずらずらと出て行く士官たちには、少尉の今後を心配する余裕など微塵も無い。いつ自分が総括の槍玉に上げられるのかを戦々恐々としているだけで、他人の人生などに構っていられないのだ。



 講堂を出て無表情のまま官舎へ赴くコシガヤ特務大尉の背後に、彼女の統括上官でもあるシーニィ・メーチの最高責任者、アレクセイ・クルプスカヤ特務少佐が声を掛ける。


「同志大尉、同郷の者として、哲臣は残念だったね」


「いえ、彼の性格もありましょう。こうなる事は覚悟しておりました」


「うむ。彼の弔い合戦と言う訳でも無いが、導師イエミエソネヴァ様が夢を見た。北方に赴いてくれるかい?」


 微かにクセのある金髪を風に揺らしながら、優しく微笑むクルプスカヤ特務少佐。命令口調ではないこの言葉遣いに、コシガヤ特務大尉は微かに頬を紅く染めながら敬礼した。


「同志特務少佐、この身は革命に捧げた身であります。そしてイエミエソネヴァ様が示した道であるならば、何を臆しましょう」


「頼もしいね、宜しく頼むよ」


「はっ!この身に代えても!」


 彼女の言葉に満足したのか、それでは本部に戻るよと踵を返し、クルプスカヤ特務少佐は基地門に向かって歩き出した。


 ーーこの大陸を巨大な戦果の渦に巻き込む凶星二つ。そは、皇女エマニュエルとフラット・ライナー。凶星堕ちねば共和国に明日は無しーー


「フラット・ライナーねえ……」


イエミエソネヴァの言葉をなぞってみるも、何ら感慨が湧いて来ないのか、ひどく退屈そうな顔であくびを一つ。

どっちが凶星なんだかねと、誰にも聞こえない程度の小声で呟きつつ、クルプスカヤ特務少佐は基地を出て行った。



 ◆異世界の異世界にて

  終わり



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