殺すか殺されるかの天秤
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「シルフィア、下がってろ!」
馬から飛び降りた修哉、馬の肩をぽんぽんと叩きながら、手綱を操っていたシルフィアに、隠れていろと指示を出す。
空まで黒く染める様な大量の煙とこの火災、遠くからニヤケ顔でこちらを見詰めている、袴田哲臣と言う少年がどんな能力を秘めているのか……、あらかた想像はつくのだが、何も知らないシルフィアに説明している暇は無い。
シルフィアもそれを悟ったのか、馬ごと木陰に隠れ、馬から降りて弓を持つ。
「……イグニネーター、袴田哲臣……」
「クッ、クククッ!藤森修哉はっけ~ん」
イグニネーターとは、点火を意味する英語「イグニッション」の形式ばった表現「イグニート」に、~する者を付け、点火者を意味する柳田学校での造語である。桜花のメンバーが哲臣をそう呼称していた事で、つい修哉の口からも出たのであった。
袴田哲臣との距離はズバリ、25メートル。
もうこの段階において、修哉は哲臣を確実に殺す事が出来るのだが、今は対峙したままで行動を起こそうとはしない。簡単に殺せるのだが、そうしないのには理由がある。
……そう、哲臣に聞きたい事が、山ほどあったのだ。
何故自分はここにいるのか、何故お前はここにいるのか、何故お前はクラースモルデンの軍服を着ているのか。そして桜花の他のメンバーはいるのか?柊小夜の行方は?
……そもそも、俺の腹にあった刀傷は一体何なんだ?お前は理由を知っているのか?……
だが、修哉の疑問を知ってか知らずか、哲臣は残酷な笑みを浮かべながら、一方的にまくし立てるだけ。それこそ修哉が口を挟めない勢いでだ。
「ギャハハハ!やっと会えたなフラット・ライナー!退屈だったんだ、すげえ退屈だったんだよ。ずっとあんたとやり合えるのを待ってたんだ、ラッキーだ、超ラッキーだよ!」
哲臣の瞳には狂気が満ちており、おおよそ話し合いや交渉などと言うコミュニケーションは、通用しない事がうかがえる。
修哉も元より、交渉などしようとは思ってはおらず、哲臣を殺す前に情報の断片だけでも入手しようと考えているのだが、あの「イッてる」目つきの哲臣から、どこまで情報を仕入れる事が出来るのか……。
「藤森さんよう、殺しはあんただけの専売特許だと思うなよ。俺だってガンガン殺したんだ、それこそ、すげえ数の人間を殺したんだぜ!」
「自慢にならねえよ、そんな事。それより……」
「気取ってんじゃねえぞコラァ!いっか、良く聞けよ。もうあんたなんか、目じゃねえんだ!殺せるし、燃やせるし、俺の方が強えんだ。俺の方が格上なんだよ!」
「俺と一体、何を比べて喜んでる?小夜はどうした!無事なのか?」
ケッ、ケケケ!と、哲臣は爬虫類の様な笑い声を轟かせながら、背中を丸めて身構える。まるでそれは、獲物を見付けてにじり寄ろうとする毒蛇のよう。
そして、修哉と哲臣の間にある地面をひと睨みすると、「ゴウッ!」と空気を切り裂く様な轟音を伴って、地面が真っ赤な灼熱色へと染まる。地面が急激に溶けて、マグマの様に高温を発しながら液化しているのだ。
「小夜……柊小夜か。ケケケッ!アイツは死んだよ」
「なんだとっ!?」
「俺らと違って、アイツは協力を拒んだんだ。そりゃもう、盛大に殺されたよ」
溶かした鉄の様に、膨大な熱量を空気中に放ちながら、グラグラと煮えたぎる地面。その先に佇む哲臣は、修哉の逆鱗にワザと触れる様に酷く楽しげに笑いながら、小夜の結末を話し始めた。
ーー数ヶ月前に飛ばされて来た柊小夜は、クラースモルデン連邦共和国を牛耳る、クラースヌイツベート党の協力要請を完全拒否し、幽閉されながら繰り返し拷問を受けたそうだ。
俺が飛ばされて来た二ヶ月前にはもう、本人なのかどうかわからないぐらい、顔も身体もグチャグチャにされてさ、もう女としても役に立たないぐらいだったよ。
結局さ、フヒヒヒ!先月公開処刑で逝っちまったぜ。ユゼフ連邦国家議長立ち会いの元で車裂きの刑だ。手足がもげてギャアギャア唸ってたから、最後は俺が燃やして静かにしてやったよーー
あの小夜が数ヶ月も前にこの世界に飛ばされて来て、そして拷問の末に処刑された。少なくともその流れにこの袴田哲臣も関与している。もうそれだけで、修哉の頭の中はいっぱいいっぱいであった。
……小夜が来ていた、そして殺された……
血液が沸騰しそうなほどの怒りが、全身が総毛立つほどの悪寒を伴った憎しみが、
目の前にいる哲臣を通じて、クラースモルデン連邦共和国とクラースヌイツベート党を束ねる男、ユゼフ・ヴィシンスキイ連邦国家議長に突き刺さる。
……親に捨てられ、施設で虐待され、学校でイジメられ、逃げ出した路上で助けてくれたのは小夜だ。獣の様な人生から俺を救い出してくれたのは小夜だ。アイツがいてくれたから俺は腐らずに済んだ。アイツがいてくれたから俺は俺でいられたのに!……
「イグニネーター袴田哲臣、俺らと言っていたな。つまり、他の桜花のメンバーも来てるって事なんだな?」
「えっ?えひゃひゃひゃ、もうこれ以上は教えな~い!」
「ならば、それで良い。お前ら片っ端から殺すと決めた。腐った国ごと葬ってやる!」
ーー怒髪天を突くーー
まさに言葉通り修哉の怒りは頂点に達し、その禍々しい様相とは正反対に、彼の瞳が寒々しく輝く。
「アヒャ!無理だ、無理だよ。もう距離感掴めないだろ?」
哲臣のその余裕の笑いに、ハッとする修哉。
哲臣と遭遇し、既に互いの距離は25メートルと把握していた。だが哲臣が何故に、両者の間を隔てる様に地面を溶かしたのか、ようやく理解したのだ。
マグマの様に膨大な熱量を放ち続ける地面から上空に向かい、空気が陽炎の様にユラユラと激しく揺れている。つまり、哲臣がこの間に前後左右に位置を移した可能性があるのだ。
更に、修哉に気付かれぬ様に距離を取って、周囲の空気そのものも燃焼させている可能性もある。何故なら、修哉自身が徐々に酸欠状態の症状である、軽い頭痛と目まいを発症し始めていたからだ。
絶対的な暗殺者を前にした、この哲臣の余裕と笑いには、既に詰みの布石を打ってあると言う意味が含まれていたのである。
「敵の脳内に異次元空間を作って殺すのが、あんたのやり方だったよな、クヒヒ!残念でした。さあてと!死んで貰うぜフラット・ライナー、これからは俺の時代だ!」
「袴田哲臣、動くな!動くんじゃない!」
唐突に動くなと叫んだ修哉に向かい、何言ってんだこの馬鹿と呟きながら、哲臣は横に向かってダッシュした。
動くなと言う言葉の中に、動いたら狙いが付けられないじゃないかと言う、修哉の焦りを感じたのだが、袴田哲臣の口からはそれ以上……、修哉を馬鹿にする言葉は出て来なかった。
ダッシュを始めて二、三歩足を進めてすぐに「あ、あれ?」と言う言葉を残して、完全に沈黙してしまったからだ。いや、沈黙してしまったと言うよりも、上半身と下半身が完全に二つに別れ、スポンと上半身が綺麗さっぱりと消失してしまったのである。
「……だから言っただろ、動くなって……」
哲臣を殺すと決めた瞬間、そして哲臣が距離感掴めないだろとあざ笑った時、実はいつもと違う形で、ディメンション・リビルドを発動させていた修哉。
対象の脳内に異次元空間を発生させたのではなく、哲臣が更に距離感を惑わす作戦に出るであろうと、彼の周囲あちこち……それこそランダムに、二次元空間を地面に対して水平に発生させていたのである。
そして、ディメンション・リビルドが脳内破壊の能力だと浅く考えていた哲臣は、自分の身体をいともたやすく分断するであろう二次元世界との狭間に、自ら進んでダッシュして「身体を真っ二つに」切断、上半身を二次元世界の一部に捧げてしまったのである。
あっという間の出来事、簡単に決まった勝敗そして、英雄譚にもならない殺しではあった。
だが闘うと言う事は、互いに死を意識した命のやり取りであり、拳を振り上げた瞬間に相手の死か自らの死を覚悟する必滅の儀式である。
だから常に敵と自分に死のリスクが降りかかり、自分と相手が今まで歩んで来た人生を秤にかける儀式である以上、死を司る行為に、ドラマティックな演出など必要無いし、殺すか殺されるかの結果以外に言い訳など必要無いのだ。
自分だけ安全な所にいて相手の死を狙ったり、安易に喧嘩で暴力を振るう行為は闘いでは無い。
互いに蹴る殴るを繰り返し、半殺しにしておいて結局後々仲間になる様な少年漫画方式とか、死を覚悟する闘争を仕掛けたクセに、法に触れて摘発されたからと言って、ギャアギャア騒ぐような思想運動家の類のものは、闘いでもなければ闘争でも無い。
「死ぬか生きるか」の世界に身を置いて修哉は殺したのである。修哉が殺さなければ哲臣が修哉を殺していたし、双方にそれ以上の妥協点などまるで無かった。
……闘うとは、闘争とは、そういうものなのである。
能力者がいなくなった事で、落ち着いて来た周囲の空気。右手で頭を抱えていた修哉も大きく深呼吸し、酸素を身体に取り込んでいる。
「シューヤ、大丈夫か!?終わったのか?」
背後の木陰に隠れていたシルフィアが、ナイフを片手に、周囲を警戒しながら近寄って来る。
「多分、終わったとは思う」
地面に横たわり、ピクリとも動かない哲臣の下半身。腹圧に負けた腸が断面からデロリと飛び出し、土埃にまみれている。
その光景を眺めながら、小夜を殺した連中に呪いあれと、圧倒的な殺意を抱きながら、クラースモルデン連邦共和国に対して無言で戦線布告を行う修哉であったのだが、肩を並べたシルフィアがぽつりと言った一言が気になり、彼女に顔を向ける。
「シューヤ、……あなたは原初の導士だったのね」




