狂気の炎
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ーー人間界と、エルフなど亜人種の社会とを分断する巨大な山脈「カラマソフ山脈」ーー
そこに連なる山の一つで、人間界にある最北端のボルイェ村とエルフの領土の間に立ちはばかる山こそが、修哉とエマニュエルが越えて来たスミールノフ山である。
今そのスミールノフ山の麓が大騒ぎになっていた。麓と言っても人間界側のボルイェ村では無い。亜人種社会側、エルフの森の南端が紅蓮の炎に包まれ、盛大に燃え上がっていたのである。
「みんな、ウィンディーネに祈りを!恵の雨を降らすのよ!」
異変に気付き駆け付けたエルフたち、ウルリーカ族の警備隊が、隊長の号令の元等間隔に距離を開けて、水の精霊ウィンディーネに祈りを捧げ始める。
「……四大精霊の一つにして、東の鎮守、命の水をはぐくみし、ヨルド川の守り手……」
膝を落とし、こうべを垂れ、精霊に祈るエルフたちであったが突如、彼女たちの身体に異変が起きる。彼女たちの鼻腔を、カルシウムが燃えた時の様な何か焦げ臭いが刺激したかと思ったら、一人一人がみるみるうちに燃え上がり、火ダルマと化してしまったのである。
「ぎゃあああ!」
「誰か、誰か助けて!」
「熱い!熱い……!」
地面をゴロゴロと転がりのたうち回るエルフたち。服に火がついたとか、身体が炎に包まれたなど、それでも早く処置すれば命を繋ぎとめられるかの様な、何とかなる様なレベルでは無い。「身体」自体が高熱を発し、細胞の一つ一つが炭化して燃え始めたのである。
あっと言う間に火ダルマになり、断末魔の声を上げながら、地面に崩れ落ちるエルフたちであったが、この地獄の様な光景を嬉々として眺める、狂気に満ちた二つの瞳があった。
「クククッ、たまんねえ!やっぱ人が燃えるってのは、良いねえ」
完全に沈黙し、ブスブスと煙を吐き出しながら火種を残すエルフの焼死体を前に、恍惚の表情を浮かべながら、うっとりとそれを眺める少年は、クラースモルデン連邦共和国の秘密警察に属する精鋭部隊、【シーニィ・メーチ(黒い剣)】の漆黒の制服を着ている。
つまり、エマニュエルと修哉を追跡し、ボルイェ村からやって来たチームの一人で、哲臣と呼ばれていた少年であったのだ。
イエミエソネヴァを名乗る謎の導師から、亜人種を下手に刺激するなと厳命されていたのにも関わらず、彼はエルフの森に大火災を巻き起こし、消火に駆け付けたエルフの警備隊を全員焼殺してしまったのである。
「ククク、臭え、臭えなあ。ヒトもエルフも燃えちまえば同じってか」
等間隔に並ぶエルフの焼死体、その一つに近付き好奇の目で見下ろす。うずくまって炭化した黒い塊を靴の裏でゆっくりと蹴飛ばし、顔を確認しようとしたのだが、当たり前の話顔も炭化しており、表情どころか性別すらわからない。
「ふむ、生まれて初めてエルフを見たんだが……顔は残して焼けば良かったかな」
常識の欠片も持ち合わせていない様な、残酷な好奇心に駆られて、エルフの遺体を見聞していたその少年の背中に突如、仲間らしき人物の怒声がかかる。
「哲臣、哲臣!一体何をやっている!?何だこれは、誰が火災を起こせと言った!」
やって来たのはやはり、シーニィ・メーチの制服を来た二人のエージェントで、エフゲニーとその部下であった。
この哲臣と呼ばれる少年と別行動を取っていたらしいのだが、この盛大な森林火災に気付いてこの場にやって来たのである。
「相手の組織力を計る為に、火災を起こせとは言ったが、これだけ派手にやれとは言わなかったぞ!それに……!」
エフゲニーは、哲臣の足元に転がる焼死体を見て、更に声を荒げる。
「導師様は、くれぐれも亜人種を刺激するなと命じたはずだ!それを……それを貴様はっ!」
「あああ、うっせ。うっせえよオッサン。死人に口無しだろ?その内火が回って、証拠なんか残らねえし」
「導師様のお気に入りだからと思い、今まで黙って見逃して来たが、貴様がそんなふざけた態度を続けるなら、導師様に全てを報告し、然るべき処分を下して貰うぞ!」
「だからあ、ふざけてねえって、案外真面目よ俺。旅の恥はかき捨てって言うし、これぐらいはさあ……」
冗談めかした言い訳を続けてまともに取り合おうともしない哲臣であったが、一向に怒りが収まらずにまくし立てるエフゲニーの圧力が、彼の癪に触ったのか、徐々に徐々に表情を変えて行く。
それはもちろん、反省の念を浮かべ始めたのでは無い。烈火の如く怒り、苦言を呈して哲臣に迫るエフゲニーを、非常に疎ましく思い始めたのである。
「ふざけていないなら、何故打ち合わせ通りにやらんのか!前の村でもそうだ、取り調べ用に数人残せと言ったのに、全員焼き殺しおって!」
「だからよ、うるせえって言ってんだろが、オッサン」
そう言うや否や、哲臣の瞳がドス黒い炎に満ち、視線に力が籠る……。
それは真剣さを通り越した、露骨に対話を否定する視線つまり、圧倒的な殺意のみを瞳に乗せた狂気の意思表示である。
「あんまり面倒臭い事言ってっと、殺すぞクソが」
「ひっ!?」
哲臣の殺意に当てられ、尻込むエフゲニー。
今までの彼の所業を鑑みれば、彼の殺すと言う言葉には嘘は無かった。つまり、殺すと言えば躊躇無く殺すのが哲臣であり、それがブラッフだった事など一度も無かった事を思い出したのである。
哲臣の本気に怯えながら、殺しの琴線に触れてしまった自分自身を呪うエフゲニー。組織的な上下関係はあっても、この時点での力関係は完全に逆転したのである。
「これだけ盛大に燃やしてるんだ、もっと動きはあるはずだぜ。とっととお姫様探して来いよグズ!だから現地民は使えねえんだ、イライラさせるな!」
怯えるエフゲニーとその部下に【現地民】と悪態をつき、再び偵察任務に出させようとする哲臣。その持て余したイラつきを、まだ燃えていない森の木々に合わせ、視線に力を込める。すると、ものの数秒もしない内に、森の木々は巨大な火柱を上げ始めた。
もし哲臣の気分がもっと悪ければ、今燃え上がっていたのは森の木々ではなく、自分自身だったかも知れない……。
口には出さないが、エフゲニーたちはそんな感情を抱きながら、逃げる様に全力で走り始め、燃えていない側の森に突入しようとする。
エマニュエルと修哉の動向を再び探ろうとしたのだが、エフゲニーと部下は森に突入する事は無かった。
二人とも突然、鼻と口から血をゴボゴボと吹き出しながら、パタリと倒れてしまったのである。
「うは、うはは!」
異変に気付いた哲臣だが、その光景を不審とは思わずに、不敵な笑みを浮かべる。
エフゲニーたちが何故吐血しながら突然倒れたのか、その現象が読めたのである。そして待ち焦がれていたかの様に、嬉々として身構える哲臣は、森の奥に向かって大声で吠えた。
「ギャハ、ギャハハハ!来たなフラット・ライナー、俺と遊んでくれよ。俺とお前、どっちが強いのか、死ぬまで遊ぼうぜ!」




