藤森修哉 ヤツしかいないよ
・
修哉とエマニュエルが去り、一夜明けたボルイェ村は、もう昼過ぎだと言うのに、村人たちの声は無く、無数の軍靴が雪を踏み、ザッザッと軋む音だけが不気味に響く、異様な光景に満ちていた。
たかだか人口二百人程度の村に群がる彼らは、クラースモルデン連邦共和国の国軍に所属する、北方旅団第八歩兵大隊、約千名の兵士たちである。
彼らが午前中に村を取り囲み、そして村人たちに剣と槍を向けて村を封鎖。そして、北方旅団第八歩兵大隊の中から、彼ら国軍の制服とは違う、黒い制服の兵士数名が村の中に入って行くと、半刻も経たずして、村の運命は完全に終わってしまう。
村のあちこちに転がる、村人たちの炭化した遺体。そう、老いも若きも、大人も子供も関係無く、全ての村人は、黒い制服の兵士たちに全員殺されてしまったのである。
高熱の炎に曝さたのか、炭の様に真っ黒になったあちらこちらの遺体から、今も尚、ぶすぶすと煙が立ちのぼり、匂いに敏感では無い者でも、吐き気をもよおす程の、人の燃えた匂いがむわっと充満するこの村の中から、黒い制服の兵士たちがゆっくりと出て来る。
階級とは別に、国軍兵士とは明らかな格差があるのか、国軍兵士たちは下がる様に道を開け、背後に佇む馬車までの道を作った。
馬車の前に立つ、黒い制服の兵士三名。豪華だが、扉も窓も締め切って、外界との接触を拒むかの様な馬車に向かい、兵士が頭を垂れた。
「同志イエミエソネヴァ様、エフゲニーにございます」
兵士の一人が名を名乗ると、馬車の中から、エフゲニーかと、良く通る、凛とした女性の声が届く。相変わらず馬車は閉ざされたままだ。
「同志イエミエソネヴァ様、レオニード・プロニチェフと、先遣隊の兵士たち全員の遺体を確認致しました」
『それで、同志たちの死因は?』
「脳内欠損による機能停止と、首が切断された遺体と、二種類ございます。首から上は発見出来ず、行方不明のままにございます」
『ふむ、なるほどな。それで、エマニュエル・プロニチェフは何処に?』
「エマニュエル・プロニチェフは残念ながら行方不明ですが、総括の際に、村人より情報を得ました。魔法使いらしき少年と、国境に向かったとの事です」
『魔法使いらしき少年とな……。ふむ、哲臣はおるか?』
「ここにいますよ、導師様」
馬車の前に並んだ、三名の兵士の一番右側、エフゲニーともう一人の兵士の様な、直立不動の姿勢をとらずに、気だるそうに姿勢を崩した若者が、面倒臭さそうに返事をした。
『おお、そこにいたか。哲臣よ、聞かせておくれ。魔法使いらしき少年とは、もしかして……』
「うん、殺しの手口からして、アイツっしょ、藤森修哉。ヤツしかいないよ」
『……なるほど、フラット・ライナー。とうとう来たか』
この、イエミエソネヴァと呼ばれる謎の人物と、彼女を導師様と呼ぶ、哲臣と言う謎の少年。何故か、フラット・ライナーこと、藤森修哉の名前を知っている。
修哉の存在を知っていると言う事は、この世界以外にも、別の世界が存在する事を知っている者だと言えるのだが、今はまだ、それ以上の情報を、この二人から得る事は出来なかった。
「導師様、どうすんの?追いかける?密偵の情報だと、アイツら峠を越えて逃げてるらしいよ」
『うむ、ヌシら三人で頼めるか?だが、くれぐれも亜人種を刺激するでないぞ』
命令と言うよりも、頼む様な口ぶりの、このイエミエソネヴァの言葉を、寒いの苦手なんだよなあと、哲臣は悪びれも無く言い放ち、不敵な笑みを残しながら、馬車を背にした。
クラースモルデン連邦共和国の国軍ではなく、政治結社であるクラースヌイツベート党が派遣した、人民警察特務班。その中の、一握りのエリートたちだけが、袖を通す事を許された精鋭部隊【シーニィ・メーチ】。……黒い剣と呼ばれる恐怖の部隊が、追跡を開始する。
この世界では聞き慣れない、哲臣と言う名を持つ少年は、どう言う手段で村人たちを虐殺し、どう言う想いを持って修哉を追いかけるのか、未だにそれは、謎に満ちていた。
一方、何度目かの休憩を挟んで、国境のスミールノフ山を越えた修哉とエマニュエルは、人間以外の生物が住むと言われる、亜人種のテリトリーを眼下に見渡し、その不思議な景色にため息をつきながら、魅入っていた。
「ほえ~……」
「今って、季節は冬なんだろ?冬真っ只中なんだろ?雪が無いじゃないか……」
彼らが驚くのも、無理は無い。クラースモルデン連邦共和国の一番北、つまり、人間社会の最北端の更に北へ足を踏み入れれば、もっと寒く、もっと雪深く覆われていると想像してしまう。
だが現実に、彼らの眼下に見たのは、ビルの様に高くそびえる木々で覆われた森。地平線の彼方までそれらがびっしりと生え揃う、まことに巨大な樹海が広がっていたのである。それも、季節は冬だと言うのに、白銀の世界など一切見当たらず、苔むす様な非常に穏やかな気温の中で。
暑い、暑いとボヤきながら、麓に向かって降り始める、修哉とエマニュエル。まだ、クラースモルデンが王国だった時代の名残りなのか、荒れてはいるが、交易路はそのまま残っており、足を取られる様な険しい場所や、崩落しそうな岩に囲まれ、転落の恐れがある様な場所も無く、比較的安全に山を下って行ける。
「もうちょっと下ったら、焚き木が拾える。そうしたら、火を起こして、あったかい物でも食べよう」
「シューヤ、それは分かったから、下ろして。そろそろ自分で歩けるから」
エマニュエルの表情は穏やかではある。疲労の色は隠せないものの、父と愛犬の死を受け入れているのは確か。ただ、悲愴感を漂わせながら、思い詰めたりする様なそぶりは、修哉の前では一切出さない。そう思わせない様に、気丈に振る舞っていただけなのかも知れないが、様々な死に目に遭遇して来た修哉は、修哉を困らせない様にと努力する彼女に対して、ある種の尊敬の念を抱いた事に間違いは無かった。
「道が脆いから、コケない様に気をつけろよ」
「まあ、シューヤったら、また子供扱いして!」
「いや、子供扱いって言うか、正真正銘のガキだし」
「キイイ!レディのトイレ覗いといて、良く言うわね」
「だから俺、覗いて無えって」
無為な内容の会話ではあるが、互いにコミュニケーションを深めるには、大事な一歩でもあり、絆と言う名の温かい鎖が、二人の距離を縮めている事、修哉もエマニュエルもまだ気付いてはいなかった。
だかしかし、修哉もエマニュエルも気付いていない事が、もう一つ存在していた。二人が向かう先の、亜人種が住むと言われる深い森の中から、単眼鏡を使い、麓に向かって来る二人の動向を、じっと観察している者たちがいた事を……。




