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逃避行


 森林限界を越えたのか背の高い木々が無くなり、視界が広がった先にいよいよ山頂が見えて来た時、山の稜線から顔を出した太陽光が、凍えた身体をふんわりと明るく照らす。

まるで歩き続け、登り続け、疲労に満ちて悲鳴を上げる身体を優しく包みながらも、後もう少しだよと背中を押してくれるかの様に。


 ここはボルイェ村の北にある山。人間界と亜人種の世界とを隔てたカラマソフ山脈に連なる山の一つ、比較的険しくなく、王国時代には亜人種との交易路となっていたスミールノフ山である。

今そこに藤森修哉とエマニュエル・プロニチェフはいた。ボルイェ村で起きた「あの」事件の後、殺された村人たちやレオニードを葬った後の事なのだが、日没後の冬山は危険だと言うのに峠越えの逃避行を始めたのである。



 眼を瞑り永遠の眠りについたレオニードを抱え、村の広場に向かった修哉とエマニュエル。

広場には、老人や女子供がまだ集っており、吊るされたままだったロージーやその家族を下ろし、埋葬の準備をしていた。


‪ 修哉たちを見る村人たちの眼は比較的穏やかであり、お前たちのせいで村人が死んだと詰め寄って来るのではないかと危惧した修哉であったが、それは杞憂に終わった。

何故なら、どうやらクラースモルデン連邦共和国を牛耳る政治結社、クラースヌイツベート党が派遣した人民警察特務班の兵士たちは、レオニードとエマニュエルの親子を探していたらしく修哉の存在は全く関係が無かった事。

そして何よりこのボルイェ村は「村に助けを求めて来た者は、どんな事をしてでも守る」と言う古くからの掟があり、レオニードとエマニュエルの親子もそう言った庇護の元で生活して来たのである。し

たがって、いくら敵が国家であっても、掟通り村が全力でレオニード親子を守っただけであり、死者が出ようが怪我人が出ようがその原因を親子になすり付ける事は無かったのである。


 だが、修哉の元に近付いて来た老人は彼にこう言った。エマニュエルを連れて早くお逃げなさいと。国家の兵隊が殺された訳だから、必ずその報復に新しい部隊がやって来る、その前にこの村から逃げて、エマニュエルの為に新天地を目指しなさいと促したのである。


 音信不通となった部隊を捜索する為に、新たな部隊が投入されるのは自明の理。異変に気付いてボルイェ村にやって来るであろう増援部隊を村に入る前に迎撃し、それこそ、片っ端から殺す積もりでいた修哉は、この老人の言った言葉に引っかかった。

エマニュエルの為にとは一体どう言う事か、長年住み慣れた場所で亡き父親を葬いながら生活するのが、彼女の為と思っていたのだが、この老人は、それはエマニュエルの為にならないと言う。確かに増援部隊がこの兵士たちの死体を見れば、村はもうただでは済まない。


「それで良いのか?死ぬぞ、皆殺しにされるんだぞ?」


 修哉の問いに、老人は悲しく笑う。

先々週あたりから、胡散臭い行商人が村の様子を調べていた。レオニード親子を村で匿っていた事は全て把握されているはずで、もうこの村が無事でいられる事は無い。政府が国民一人一人に番号をつけた事から、何処かの街に紛れ込もうとしても炙り出されるだけで、若者たちも殺された今、老いた身体では抵抗も出来ない。


「リンドグレイン王国の灯火、消してはならんのじゃよ。皇女殿下を頼むぞ、原初の導士よ」


 なるほど、そこまでキーワードが溢れていれば、ピンと来ないのはアニメの女主人公だけだと、修哉は得心する。つまりレオニードが最後に残した言葉とこの老人のこの言葉を総合すると、村人たちに保護され、匿われていた最重要人物は、リンドグレイン王国騎士団のレオニード・プロニチェフではなく、エマニュエル・プロニチェフであったのだ。

それともう一つ。この老人は修哉の事を【原初の導士】と呼んだ事が気になり、老人に詳しく話を聞こうとしたのだが、時はそうそう修哉に味方はせず後から集まって来た老人が、エマニュエルを連れて早く早くと急かし始めるではないか。


「この村の事は良い。殿下の安全を、最優先に考えてくれ」


 確かに、いくら絶対的な必殺の能力を持つ修哉であってもそれはあくまでも暗殺スキルであり、乱戦や遠距離では無く真正面対決の組織戦では敵の物量に対抗出来ない。

それにディメンション・リビルドにも限界がある。使えば使う程に体力の低下は尋常ではなく、湯水の如く数多く撃つ事は出来ないのである。


 こうして後ろ髪を引かれる思いのまま、村の老人たちに半ば強引に背中を押され、エマニュエルを連れた修哉は国境越えを始めたのである。本来なら日没後の冬山は危険なので、何処かしら安全な場所でビパークし、日の出と共に山越えをするべきはずなのだが、深夜に用を足そうとした修哉が山の中腹を見下ろした際に、一つだけ光る松明の灯りを発見する。自分たちが追跡されているのだと悟り、危険極まりない深夜の強行軍を決行したのである。


 夜間の天候に恵まれ、思いの外順調に進めたのは何よりで、背負って紐で固定したエマニュエルも怖がる事無く、いつしか修哉の背中の温もりを感じながら、静かに寝息を立てるほどに安心していた。


 尖った山頂を迂回しながら、反対側の尾根へ進む道が見えて来る。いよいよ、異世界の中の異世界。亜人種の支配する地域へその足を踏み入れる事になる。目指すはエルフが住むと言われる深い森。レオニード渡された小さなメダルを持って、エルフのユリアナ・マリニンに、助力を求める為に。


「……シューヤ、シューヤ……」


背負っていたエマニュエルが何か思い詰めたかの様な神妙な声で、立ち止まる事を要求して来る。


「どうした?」


「……おしっこ……」


 まだ8歳と言えど、異性を意識する気持ちは芽生えているのであろう。なかなか言い出せずに限界まで我慢していたのか、柔らかくて小さな手が修哉の背中をぎゅっと握り締めている。


「あ、ああ、すまん。ちょっと待ってろ」


 慌てて周囲を見回し、ゴツゴツと切り立った岩場を見付ける。その場の安全を確認し、エマニュエルと自分を繋いでいた縄をほどいて彼女を下ろす。


「離れてるから、安心しろ」


 何メートルか彼女から離れ岩の上に腰掛ける。昨日の朝村の異変に気付き、全力疾走で山を駆け降りて闘った。その後は亡くなった者たちを埋葬し、エマニュエルを連れて夜間の峠越え……。

修哉も実は、何かを理由にしてでも身体を休めたいと渇望するほど疲労困ぱいの状態で、ひと息つく時間はまことに有り難かったのである。


 荷物を開けて、動物の皮で作られた水筒を取り出し、ごくりごくりと水を胃に流し込む。渇ききった喉を潤しホッとした顔で、次は茶色の紙袋を取り出す。中から出した固いパンとチーズを無造作に口に運び、乱暴に噛み千切り味わう前に胃に押し込んだ。


「シューヤ、見ないでよ!」


「見てない、見てないよ!」


 ちょうど修哉が腰を落ち着けた場所が、エマニュエルが用を足そうとした岩陰の真正面に位置し、エマニュエルはもじもじと恥じらいながら声を張り上げて抗議する。もちろん、覗く積もりなどまるで無かった修哉は、いいから早く済ませよと多少苛立った声を上げながらも、身体の向きを変えて彼女に背を向けた。

すると、修哉の視界に入って来たのは、村を取り囲む山々の雄大な光景と、今の今まで自分が進み、登り続けて来た道が。


よくもまあ一晩でここまで登って来たなあと、感慨を覚えたのもさておき、昨晩の深夜に目撃した、見下ろした山の中腹で灯されていた松明の灯りが気になる。村人が危険な冬山に登って来る事はあり得ない。この時期、冬山それも、閉ざされた国境を目指す者と言えば、逃げる者と追う者しかいない。


 ……今は姿が見えないものの、奴らは必ず追って来ている……


 目を凝らしながら、自分の耳に手を当て異音を探る。追跡者の有無を確認しただけなのだが、思わぬ所から思わぬ声が修哉の鼓膜を揺さぶった。


「シューヤのえっち!音聞かないでよ!」


「聞いてねえよ!興味無えし!」


 何故なのか、幼いエマニュエルと、同じレベルで言い合いする修哉。あらぬ疑惑で責められて真剣に抗弁している。

17歳の少年の精神年齢が低いのか、それとも8歳の少女の精神年齢が高いのか。この二人、はたから見れば、なかなかに相性は良いようだ。




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