埼玉とバレンタインデーと(中編)
甘い香りと共に、その教室にはかつてない緊張が居座っていた。
全身にチョコを纏った香川は普段とはかけ離れた存在感を放っている。
「大丈夫か香川ッ!!」
なりふり構わず、東京は駆けていく。
「姉さん! あぶな―――」
バギッ!ギギギギギッ!!
凄まじい歪曲した音が響くと同時、東京は後方へ跳びひっくり返った机の脚に着地していた。
彼女の目下では香川の手先から伸びた黒い塊が床を貫いている。その一撃は重く、生まれた亀裂は教室の四方にまで広がっている。
「はハ・・・・・・アはははは!!」
不気味に笑うこの存在を、誰もが香川ではないと悟る。
続けざまに、一撃。チョコレートの剣による刺突を東京は再び跳躍することで回避する
が、しかし、東京の前には香川が、いや香川だったものがいた。瞬間、鋭い左の拳が東京の頬に撃ち放たれる。
「姉さん!!」
埼玉が事を理解する頃には東京の体は散らばった机の上に叩きつけられていた。音を立てて辺りに木片が散らばる。
無敵の名を有する彼女が初めて、人生で受けた真っ当なダメージであった。
「ごッ、はっ・・・・・・」
ビルから落とされたかのような痛みと口一杯に広がる鉄の味。
東京が見上げた其処には被り物なんかじゃない、本当の「鬼」が立っている。
「あはは! あはははハ! スゴい! すごイですよ東京サん!! 力がみなぎッてキます!!」
「あのチョコの所為か・・・・・・!」
ふらり、と立ち上がる東京。
鬼と成り果てた香川はぞぶりとチョコでできた鎧に手を沈め、取り出す。その手には茶色のナイフが形作られている。
「ほら? 遊びまショう? 死合いましょウ!!」
もはや香川に「彼女らしさ」など無かった。今はただ、一方的な遊戯を楽しめればそれで良かったのである。
冷え切った刃が、静かに振り下ろされた・・・・・・。
ガキン!!
ぶつかり合う金属音が教室を律する。
「こらこら、お痛が過ぎるで?」
体勢を整えた東京の目に映ったのは、彼女が敬意を表する者の背中。自らに並び立つ者の背中。
「『真式・五条の薙刀』・・・・・・。いっぺん頭冷やしいや?」
彼女は京都。東京ですら超えうる者の名である。
◇ ◇
2メートル近い薙刀を軽々と振るう京都。動きの一つ一つが真空を生み衝撃波を香川に撃っていく。
香川の動作は目では追えない程であったが、それ故に単調であった。蓄積された京都の歴史の前では止まっているに等しかっただろう。
チョコレートの籠手は韓紅の薙刀とぶつかる度に甘い香りと細かな破片をまき散らしていく。
「姉さん! 大丈夫!?」
隙を見た埼玉が東京に駆け寄る。東京は消耗こそしていたが、血一滴垂らすことなく、京都の戦いを静かに見つめていた。
「ああ、問題無い。ッ・・・・・・油断した」
弱さ故の悔しさを押し殺しているのだろう、東京の口元は微かに歪んでいる。埼玉は口を噤み、戦いの成行きを見守る。
◇
「―――右、左―――――次に、上や」
(薙刀こそ彼女の能力であったが)京都は飾らない素の強さで香川を圧倒しつつあった。
刃先が香川の頬を掠めた直後、半回転した薙刀の柄が彼女の腹を抉る。小さな体は大きく撥ね上げられ壁にクレーターを作った。
「―――は、あはハ。強イですね京都さン・・・・・・」
鬼は初めて膝を突き、初めて相手の強さを認めた。
電撃のような激戦によって香川を守る鎧は砕け、改めてその華奢な肢体が蝕まれているかが分かる。
「そら大阪ー、そろそろてっとーてーな」
「無茶言わんといて! 鬼共が入って来よる!」
二人の戦闘の最中、発せられた音と衝撃によって校舎中の鬼が吸い寄せられるように集まってくる。大阪らは教室の二つのドアにて応戦を強いられていた。
「あんたはんの実力なら余裕でっしゃろ?」
「無茶やって! 一人につき鬼二匹て! へたくそな洒落にも程がある!」
「ほな、手足一本につき一匹でいきまひょか」
「鬼か!!」
そんな掛け合いの間も京都は勢いを取り返さんとする香川と刃を交える。相も変わらず、鬼はケタケタと笑っていた。
◇
どこで道を違えたのだろう?
憎みあっているわけでもなく、ただ漠然とした争いがあちらこちらで続いている。
埼玉は傍観者としての自分が許せなかった。
「こんなことって・・・・・・」
「落ち着くのだ埼玉。私とて悔しいさ。油断一つでこのザマなのだからな。
それより、これは少し厄介な案件のようだ」
「どういうこと?」
「香川と交戦を始めてからの15分、彼女の呼吸周期は全くをもって変化してないんだ」
「―――???」
「とどのつまり、彼女の体力は無限の可能性がある」
「はあ!?」
よく考えてみればそうだった。C組の面々は皆特殊な能力を行使出来、常人には成せない「奇跡」から「天変地異」までを可能とする。
しかし、そんな彼等ですらも鬼の餌食になってしまった。これは鬼の超人性を意味している。ましてや今の香川に限界など無いのかもしれない。
「原因は―――」
「あのチョコ、しかないよね」
「普通の生徒は面を割るだけで事足りた。
問題は、香川の場合チョコが体に『染みている』ことだ」
無敵じゃないか・・・・・・。埼玉はどうにもならない現状に怒りすら覚えていた。
そうしている頃にも狭い空間での戦いは進行していく。
「ほラ京都さん! もっともッと楽しみまショう?」
香川の攻撃は衰えず、より鋭角な一打一蹴をもって加速する。
「アカン・・・・・・しんどーなってきたわ」
かれこれ100合ほど香川と打ち合ってきた京都。彼女の体力は既に底を見せつつあった。
具現化していた薙刀も消えかかった立体映像のように端の方から大雑把なポリゴンに変化している。
「アはははハ!! チョコはいかが? 京都サん! 甘くテ、甘くて―――」
「おい香川ぁ!!」
声の主は―――――埼玉であった。
何もできない不甲斐なさが今の彼の背を押していた。
何を言ったって状況は変わらないかもしれない。
何が起こるとも分からないけれど、
何か、決定的な何かが欲しかった。
全ての視線をその身に受け、埼玉は続ける。
「香川ッ!!お前―――お前―――、ええと―――――
『うどん』はどうしたああああああああああああああァァァ―――!!!」
「う、ど・・・・・・ん?」
香川の動きが止まる。笑みをこぼしていた顔が引き攣る。
決定打だった。
◇
小さな体が崩れ、京都の腕にふわりと抱き留められる。
香川の肌から、それこそチョコレートのような褐色が抜け、その白さが輝きを取り戻す。
反撃が、始まる―――――
◇あとがき劇場◇
埼玉「前後編だったよねえ!!?」
東京「溢れる内容が止まらなかったのだろうな」
埼玉「もうバレンタインですらないし!!今8月だよ!?」
東京「耐えるのだ弟よ!!今や某勇者(♂)と某魔王(♀)が縦軸なんだ!!(泣)」
香川「まあまあ落ち着いてください―――――うどん食べません?」
埼玉&東京「「チョコはどうした!!?(泣)」」