5 ジャック〝ザ・ギロチン〟
おおよそあらゆる人間にとって、己の生きる指針とはほかの生体を食いつぶすことである。
そこにいた大男にとっても、それは変わらなかった。
「ふう」
土が掘り返された形跡の真新しい場所を探ると、埋められていた生体の資源があった。
背広を着ておりナイフと共に埋められていたこれを、大男は首根っこをひっつかみ、籠手をはめた片手で持ち上げた。
そのまま肩に背負い、大男はがしゃがしゃとちいさく金属のこすれる音を立てながらテムズまでゆく。橋の上から、ざぶんと落とす。流れが淀んで濃い緑に染まった水面に、浮かんだ波紋はすぐに消えた。沼のように。
さらに大男は、持参していた革袋より触媒と溶液を落とす。それからガラス瓶に収めた生体を取り出して、眼下水面の生体との相互反応を見やる。
光信号による情報のやりとりが終わると、道を戻るべくガラス瓶を革袋に戻した。
来週にはまた生体が多く発生する。スモッグも少し、晴れるとの予測がある。そして男の身体は健康体で、病気の心配はない様子。得た情報に満足してきびすを返した。
「……墓暴きとは感心しないですね」
そこで、スモッグ満ちる対岸方向から声をかけられた。
足を止めて耳を澄ますと、それほど年老いてはいない声音が足音と共に届く。歩幅と音の重さから察するに、それほど上背も目方もない。
振り向けば、十歩ほど先に予想たがわず若い男が立っていた。いや、見た目からすると少年と呼ぶべきか。
大男からすれば一回りは年下だろう。白い髪に焦げ茶色の瞳、ポンチョを重ね着した服装。
だが一番目立つのは、右手に抜き身でぶら下げた片刃の剣だ。長さは長剣ほどだが、妙なこしらえである。少し刃が反っていて、しかも剣身はいかにも薄い。
「埋葬などともったいない真似をされては、このあたりで生体に頼る人間が困ると思ったものでね。実際俺も、困る」
言いつつ、男は腰に手をやる。
そこには彼の相棒がある。身に迫る危険を切り払ってきた相棒だ。
すると少年は大男の警戒を察してかああすいませんと言って、己が手にしていた剣を腰にある鞘に納めた。
けれど右手は離しておらず、柄に手をかけたままだ。
「あいすみません。くせというか、こうしてないといけないと思っているといいますか」
「……よくわからないな君」
「いやその。手放したことがないんです。剣を鍛える必要ができてからずっと」
空いた左手でぽりぽりと頭を掻く。
たしかによく見れば、彼の言うことが言葉通りなのだろうと思わせる、異様な手だった。
傷に傷を塗り重ねたようないびつさで、ひび割れていたんでいる。
真っ赤な手のひらは血潮のたぎりを思わせる。
「ずっと?」
「ずっとです。寝ても覚めても片手は剣に。そうしなきゃ強く、なれないと思いまして」
へんな少年だった。しかし、邪気や害意は感じない。
大男は相棒から手を離し、ふんと鼻を鳴らした。
「そこまで、生活に至るまでを賭けるとは。そら恐ろしい」
「ほかにすることもなかったので。それで、お兄さん。あなたはまだ墓暴きをするんですか?」
話を元に戻して、少年は首をかしげる。
資源が必要とされている以上、大男は一拍もおかずうなずいた。
「生体の資源は役に立つ。ならば必要さ」
「死者くらいゆっくり眠らせてあげるべきですよ」
「死者じゃあない。資源だ。少なくなると困るんだ」
よくわからないことを言う少年に、大男の方が首をかしげたくなった。
少なくとも資源は、剣よりよほど役に立つ。
この国と世が銃剣よりも生体網を重視するようになり、果てに盛大な失敗をして、このように闇天に蓋をされ生体が少なくなっていても。まだ役に立つ。まあ剣の地位も復権してしまったが。
「困ったら困ったときに動けば、いいと思いますがね」
「それではいかにも遅いのさ。遅きに失してはいけない。速いのは、いいことだ。この生体にも含まれる遺電子計算機はその速さゆえにこの世界を包んだのだし」
「なんだかせわしないですね。生き急いでいる」
「おいていかれないよう必死なのさ」
「でも死に急がせるのは、どうかと思いますよ」
こつこつ、革靴で石の道を踏みしめながら少年が近づく。
「墓を暴くとひとが死ぬのか?」
「いえ。ただその、あなたひとを、殺そうとしてるでしょう?」
少年の左手が腰の鞘をつかんだ。
結局か、と思いながら、大男は己の相棒に手をやった。
「強きものが生き弱きものが死ぬ、道理さ」
「すいませんが、まだ僕はあの老人に用があるので」
「止めると?」
「ええまあ」
音もなく剣を抜いて、少年は右腕をまっすぐ天へ伸ばした。右手は鍔元を、左手は柄頭を軽く握り、左拳は右肘に接するほど近い。
間合いは残すところあと五歩。対峙に向け、大男も剣を構える。
いや、剣と呼んでいいものか。
大男が持ち上げたのは、剣という用途でつくられたのではない代物。
全長こそ一メートルほどと、普通の長剣と同程度であるが……身があまりに厚く、あまりに広い。
片刃の剣身は表刃から背までで七・六センチ。切っ先はなく、平たくつぶれている。
ただ落とすためだけに作られた形状。すなわち、断頭台から外してきた、ギロチンの刃である。これに無理やり取っ手をつけて、剣のように扱っていた。
重さは二十キロ。大男の体重の二割に相当する。
ぐるんと肩の力で回すだけで、ぶうぉんと大気が避けて通った。
同時に、着用していた甲冑ががしゃりと音を立てる。
こちらもすべての装備で二十キロほどだ。
「君が生きるか俺が生きるか」
「ですね。わかりやすい。あ、ところで……キイス・モーリスという男を存じませんか?」
「知らないな」
「よかった。じゃあ斬れる」
「君の世はシンプルなようで大変結構だな」
低い声で告げて、右足を引き、右肩に担ぐように構える。
少年はこの威圧にまったく動じることなく。揺れる葦のようにのらりくらりと受け流していた。
構えからして、互いに狙うのは肩口から入る斜め掛けの一閃。
だが大男は甲冑を身にまとっている。狙えるのは関節駆動のためのわずかな隙間くらいだ。おそらく少年は、肩関節を回すための隙間、あるいは転じての突きで喉などを狙っている。
その狙いさえ外せば、勝てる。
……このギロチンは、たしかに先手で一撃見舞うには重く遅すぎる。
ならば相手が止まってから撃てばよい。狙いを外させ、硬直した瞬間を狙えば――問題なく相手をまっぷたつにできる。大男は確信していた。過去の経験、手ごたえを思い出しながら取っ手を握りなおす。
じりじりと、間を詰めていく。
沈黙が心地よい。
脚甲で一歩を踏み出すと、大男の重さに耐えかねてか、ぴしりと石が割れた。
べつにこれに気を取られたわけでないが、
その瞬間が攻め合いとなった。
走るでもなく跳ぶでもなく、少年のからだがずるりと前に滑り出る。
少年が居ることで完成している絵から、抜け出てきたような動きだった。
右足が地面へ打ち込まれる。左足が前方へ、つんのめったときを思わせる勢いを載せていく。
大男が左半身に構えてさらしていた肩へ――最短の距離を最速で、斬ろうとしている。
だからそこで動き出した。
左腕は曲げたままでほとんど固定し、右腕で押し出すは二十キロのギロチン。当然だが、それだけの重さの物体を動かせば、重心は外へ外へと振るわれる。
大男はこれを利用した。
ギロチンの斬撃に合わせて右足を一歩踏み出して、こちらへ重心を移すと鋭く左半身を引き寄せた。
当然、少年の剣はあらぬ位置を斬る。大男の左肩があった空間を素通りし、刃はなんとか甲冑の腹部に当たるのみ。それならばはじき返し、技後硬直をギロチンが断ち切る。
鈍重な剣であるがゆえの、剣に己を一体化させる身体操法。一撃必殺のこの技が、大男のたどり着いた極み。
思い、技を繰り出し。
ギロチンは――
届かなかった。
「っ、あっ、ば、」
銅鑼を高所から投げ落としたような、破滅的な音がした。
それが己の胴回りから発せられていようとは、思いもよらなかった。
腰から上が、ずるりと下半身の上を滑って落ちる。激痛に身をよじろうにもよじれる部位がない。
体が落ちるよりも先に、ギロチンがごぁんと転がった。身を沈ませるように剣を放っていた少年は、自分の五センチ脇に落ちた刃に目もくれず、まだ大男を見つめていた。まだ反撃がくるかもしれないと、疑ってやまない目つきだった。
きっとこのように、すべてを疑って生きてきたのだろう。
このように甲冑ごと生体を両断する術を持ちながら、己の業に疑問を抱いて生きたのだろう。
だからこそ剣を手放せない。剣身一体を、意図してではないだろうが目指して。このように、慮外の結果を生み出す魔剣にまで至ったのだろう。
同じ剣との一体といっても、小手先の技巧に過ぎなかった己とはちがう。
同じ一撃必殺といっても、得物に頼り切っていただけの己とはちがう。
……ああ。
大男が最期に見たのは、まだいまの剣筋に納得していない顔の、少年だった。




