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3 ジャック〝ザ・フェンサー〟


 ひとを動かすのは利便性ではない。

 一番影響を与えやすいのは、物語性だ。


「ふむ」


 老人は不死人になって長い。その『前』も結構長かった。

 だからこそよく知っていた。ひとを動かすのはいつだって『断言』だ、と。

 そして動かされてから後悔するのだ、と。


「調子が悪ぃな」


 引きずるようにして歩く左足からは、反応が薄くなっている。

 百と数年でこの様なのは、元が老体だったからなのかなんなのか。ともかくも、早急に手は打たねば引きずる不便を長く抱えることになってしまう。

 だからスモッグにけぶるテムズのほとりで、つなぎ(、、、)に使える生体を収拾する。

 緑に濁って淀んでおり、ほとんど流れのない水面。そこにぷかりと浮かぶ、藻の塊のようなこぶし大の球体。きわめて原始的ではあるが、持ち帰って解析すればまだ使えるだろう。

 生きているということはそのものが資材である。


「どっこいしょと……」


 動きの悪い膝を叩きつつ、老人は起き上がる。ハットを目深にかぶり直し、バケツにおさめた濡れる球体を抱えると、マントを翻し歩き出す。ずっ、ず、と左足を引きずる。

 そこに、甲高い音が聞こえた。びくりとして、バケツを取り落としそうになる。

 早鐘を打つ心臓が鎮まるまでの間、老人はなんの音かと思案に暮れた。

 なにかに似ていた。

 どこかで耳にしたような感じだった。

 まるで、

 そうだ。鳥。そういう生体の鳴き声のようだ、と思い至るまでにはずいぶんかかった。


「まさか」


 自分で言いながらも、ず、ず、と音の方に歩く。

 だがすぐに老人の好奇にはふたがされることになった。


「なぁんだ。きみか……」

「どうかしました?」

「いや。特段なにも」


 路地をいくつか抜けたそこにいたのは剣を振るう少年だった。

 白っぽい髪の下に焦げ茶色の穏やかな瞳をのぞかせており、肉付きはよくない。背丈は一メートルと七〇に届くかどうか。

 簡素な貫頭衣の上から鮮やかなポンチョを数枚重ね着しており、隙間からのぞく筋張った細長い指先がやたらと目を引く。

 というのも、傷だらけで、常に真っ赤だからだ。


「また、振ってたのか。今度はなにをやった? 妙な音が轟いとったぞ」

「うるさかったですか? すみません……新しい動きを思いついたもので」


 ひゅんと鋭く、しかし速いだけではない動きで風切る彼の剣は、細い片刃だ。剣身も薄くつくられており、いかにも耐久性がないように見える。

 しかしその実非常にしなやかで剛健だ。特徴的な装飾の丸い鍔ともども、斬るべく動いているのを見るとその躍動感に老人はいつも、目を奪われる。


「ふむ、良い動きだ。殺人の技術だってのになぁ……」

「だからこそ、じゃないですか?」


 路地の隙間にある広場で、己の身長と大差ない鉄柵に向いて少年は言う。

 音もなく、剣を正面に構えた。全長にして一メートル少々。根を張ったようにどっしりと構え、時折小刻みに切っ先を振っている。

 やがて、自身の中の機を捉えたか、目を見開いて一息に跳び。


「フッ」


 鉄柵を五本、斜め掛けに断ち切る。

 このときの鋼のこすれる音が、先の鳴き声に似た異音の正体だった。

 永遠に晴れることのない灰の闇天に、清涼な響きとして轟く。


「どうでしょう?」

「どうといわれてもなぁ、私は剣士じゃない……ただ」

「ただ?」

「不死人でも、両断されちゃひとたまりもあるまいよ」


 ですよね、と思った通りの答えを得られたか、少年は満足げに二、三度うなずく。

 そう。

 あくまで不死人は死なないだけだ。回復力に優れるだけだ。

 部位の損失は補えないし、傷の『認識』をした上で損傷部位に細胞分裂を促す電気信号を送らねばならないため、頸部を切断されてもいけない。脳髄の損傷もいただけない。

 殺し方は、いくらか存在する。

 このようなやり方は、さすがに見たことがないが。


「どういう剣だよ、鉄を斬るとは」

「どうと言われましても。剣は剣としか」

「なら他の剣でもできるのか?」

「さあ。どうでしょう。僕はこれ以外、手にしたことがないので……」


 頭を掻いて、少年は言った。そんなことあるのかと思いつつ、老人は持っていたバケツを地面に置いた。右手に剣をぶら下げたまま、少年はつかつかと歩みよってきて中身をのぞきこむ。


「わ。生体ですか」

「お前らとちがって私らの世代は、こういうのが必要なんでな」

「ふうん。もう水辺でしか見つからないんですかね」

「むかしはそこかしこで見かけたもんなんだがな」


 老人は、マントの中で背負っていたトランクからガラスの小瓶を取り出す。溶液と触媒のおさまったそれらとバケツの中身とを見比べながら、もぞもぞと解析をはじめる。

 横で作業を見ていた少年は、剣を携えたままで屈みこみ、じっと生体を見る。


「余ったらひとつ、くれますか?」

「構わんが。お前の世代で必要なのか」

「まあぼちぼち」


 濁した言葉にそれ以上突っ込まず、老人は「わかった」とだけ返事をする。うれしそうにうなずいて、少年はまた立ち上がる。


「じゃあまた散歩してきます」

「また、あの名の男を探すのか」

「ええ。そっちでは、聞きませんでした? 奴の名」

「聞いとらんな。そも、名を持つ者などいまは多くあるまいよ」

「だからこそすぐ見つかるかと思ったんですけどね……」


 愁いを秘めたため息をひとつ、肩に剣を担いで少年は歩き出す。


「夜には戻ります」

「そうか」

「……あは」

「なんだ?」

「いや、いまのそっけない返事。ちょっと似てたなぁと思って」


 ひらひらと手を振りながら、少年は肩越しに老人へ笑いかける。


「似てたんですよ。キイス・モーリスに」

「そうか」

「いまのはそれほど」

「似せようとしたわけじゃない」


 けらけら、少年は笑った。笑い声は一画を曲がって姿が見えなくなるまでつづいた。

 それから、溶液に生体を浸したり、注射器で触媒を打ち込む作業に没頭していた老人。

 しばらくすると彼のもとへ、訪ねてくる影があった。

 ぬっと作業するトランクの上に差した影を見上げると、その人物は修道院の女のような黒い衣服を身に着けている。

 頭衣でしっかりと髪まで隠した女は、片手に長柄の箒――仕込みのグレイブだ――を携えながら、老人を見下ろして唇をむにゃむにゃとさせていた。


「……なんですか、急に呼びつけて」

「なに、大したことじゃないさ。墓守よりはよほど楽」

「からっぽのお墓を守ることより楽なんですか?」

「中身の生体はすでに資源としてなくなっていても、あれは心を守る仕事だろう?」

「ものは言いようですね」


 女の言いぶりに、ははと老人は笑った。ひさびさに笑ったような気がした。


「ジム・クラウチなるものを尋ねてくる奴がいたら、切り捨てろ」

「名持ち、ですか」


 口をとがらせ目を細めながらも、女はそれ以上突っ込んできかない。

 より面倒になることがわかっているからだろう。ただため息ひとつでうなずいて、また箒を携えて帰っていく。

 老人はまた生体に目を落とす。

 が、生体の反応を見て、思い出したように女の背に声をかけた。


「それから、このごろ風が強くなっとる。礼拝堂の窓に気を付けることだ」


 女は振り返り、怪訝な顔をする。


「壊れるほどがたがきてはいませんよ」

「む、そうか。……予報が外れたか」

「さあ。……ま、用心はしておきます。年の功はあなどれませんから」

「そうは言うが、お前もいいトシではなかったか?」

大破ブロークンよりはあとですよ」


 今度こそ振り返らず、女は消える。

 残った老人はしばらく手を止めていたが、また生体の解析に戻った。

 遠くからは、また、あの鳥の鳴き声みたいな音が聞こえていた。


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