1 ジャック〝ザ・ブレイド〟
病のように不死がはびこるようになって久しい。
ひとならざる身を重たげに引きずりながら、それでも不死人はしぶとく生きていた。
「く、く」
卑屈に笑う男が得物を手にして、眼前に立ち尽くす獲物を見やる。
場所は、スモッグが厚く立ち込める路地裏。レンガ造りの家々の狭間で、狩る者と狩られる者とが向き合っている。
生殺与奪が、揺れ動いている。
久々の殺しである。たまらなくなって、男は腰から抜剣した。その刃は柄までの全長にして一メートル。妖しく光る、使い込まれた得物である。
十字の鍔を持つこの長剣を彼は己の手足のごとく、ひゅん、ひゅふん、と己の正面へ風切って振るう。視線は男の歩幅で四歩を隔てた先の、獲物を捉えて離さない。
獲物は、背丈が一メートル八〇を超える男よりも、ずいぶん小柄であった。
裾の長い濃紺の外套にすっぽりと身を包む、年若き少年と思しき見た目。おそらく男との身長差は二〇センチほど。
それはそのまま彼我のリーチ差に直結する。おまけに、見れば、少年の得物は地面についたステッキひとつではないか。これでは負ける要素がない。
「くくっ」
卑屈な笑いが、自分の優位を確信する余裕あるものへと変わった。
男はずいと長剣を高く掲げ、火山の型へ移る。
右腕を肩から一直線に天へ向け、左手を柄頭近くへ配す威圧の型。
とことんまで攻撃性を突き詰めたこの動きに相対しても、まだ、少年は身じろぎひとつしなかった。
それはそれで不気味なことであるが、男にはもはや分別がない。じりじりと半歩ずつ躙るように間合いを詰めて、己の刃の圏内に少年を捉えんとする。
耐えて。耐えて。我慢し続け――やがて忍耐が、絶えて。
びゅんと飛び出す一挙動、天から引っこ抜かれた刃は山の重みを伴って落とされる。
少年は、ひとことも発さない。
悲鳴すらあげない。
ただ、無音のうちに、
斬撃を放った。
「――――!」
二人の間に立ち込めていたスモッグが突進の風圧に払われると同時、ぎゅぃんと音が鳴り響く。
どこから?
男の刃の下からだ。
「……仕込み刃……!」
つぶやきに、少年はうなずいた。
近間で見れば、ますます幼げ。黒々としたうねる髪の下に、食用油を固めたような薄い麦色の眼鏡をかけて、地についていたステッキから――左逆手にて抜剣。少年の左肩を狙った男の一撃へ横から沿うように、切り上げを撃ちこんでいなしていた。
となれば、振り下ろして動きの止まった男は、もはや据物の扱いとなる。
返す刃が横薙ぎに襲い来る。
逆手に構えられた刃渡り六〇センチほどの片刃剣は、引いてかわそうとした男の右肩に深々と食い込む。脂と血がどぱりとあふれ出て、じわりといやな汗が首から顔にかけて流れた。
もう、到底戦うことなどできない傷。
けれど男は動じなかった。
にやりと笑ってさえいた。
「追い打ちをかければよかったろうに」
言い終えるまでに、男の呼吸は整っていた。
内側から盛り上がる肉の脈動と、発生する熱を肩に感じる。断ち切られたはずの筋肉はすでに繋がり、一滴の血をこぼすことすらない。
意識した瞬間に、あらゆる傷を回復してしまう。
それが不死の不死たる所以。いかに斬られても支障がない、剣士の敵たる所以。
「くくく。少年、不死人の相手は初めてか?」
裂けるような笑みを強め、間合いをとっていた少年に詰め寄る男。
少年は語らず、視線を下げて左手の片刃剣を右順手へ持ち替えた。きゃり、と音がする。
見れば、剣には四つの花弁を模したような鍔が開いていた。花鍔だ。納剣時は剣身に沿うように蕾となって鞘内にて閉じており、抜いた瞬間に発条仕掛けで開花する仕込み。
「手向けだ」
はじめて、言葉を放った。見た目相応の、高さが残る声だった。
男の視線が花鍔に向いているのを見て、だろう。
「手向けの、花だ。供えるのは、お前で何人目になるかわからないが」
暗に不死人との交戦経験をにおわせながら、少年は剣を中段、男の流派で言う茂みの型へ移る。
前に出した膝を軽く曲げ、姿勢は低く。突きにも斬り下ろしにも向いた型。
「ところで不死人よ。ひとつ、聞かせてくれ」
剣先を揺らして狙いを読ませないようにしながら、少年は軽い口ぶりで言う。
顎をしゃくるようにつづきを促せば、彼はくしゃくしゃの黒髪の隙間から、鋭い眼光を発した。
「ジム・クラウチという男を知らないか?」
「知らないな」
「そうか。では死ね」
返しの速さと声音の平坦さが、彼の繰り返してきた問いの数を感じさせた。
しかし、死ねとは。面白くなって、男は笑った。
「少年。なぁ少年。死とは、死ねとは。この俺に言ったのかね」
「ああ。不死人に対して言った。魂を賭けろと、言っているのだ」
視線の圧を強め、少年は刃を揺らすことをぴたりとやめた。呼吸さえ止めた。
焦れているようで、じらされている。
不死の肉体を持つのに、時間を気にするよう仕向けられた。ふむとうなって、男も息を止めた。
身の内から漏れ出る意を押しとどめ、貯めて。
体の上下動、不随意で不如意極まりないこの身を、剣としていま一瞬、構築しなおす。
スモッグが流れる。
永遠に見晴らせない闇天に、薄い毒を孕んだ煙があがる。
その煙の端に――少年の動きの伝わりを見て、男は飛び込んだ。
「ッアァッ!」
踏み出す挙動で重みを増しての斬り下ろし。
振り上げては振り下ろす。単純だが苛烈な猛攻。
少年は紙一重でいなし、かわしながらも後退を余儀なくされた。この様を見てますます勢いづき、男の長剣は加速していく。
回る二つの車輪のごとく、斜め掛けの剣筋が左右から交互に少年を襲う。全身のうねりを活用することで間断なく放つそれは、少年の膝を徐々に屈させ、やがて逃げ場を削りきる。
壁際に追い詰め、受けしか許さない位置へ追い込んだ。
細身の片手持ち片刃剣では長剣の重みは受けきれまい。
手の内で柄を絞り込むようにしながら、男は少年の右肩を狙う斬り下ろしを放つ。
とっさに反応したのだろう少年の切っ先三センチが、男の切っ先から十センチほどの位置へ、内側から触れる。
無駄なあがきだ。男はさらに笑う。
剣は鍔元へ、手元へ近づくほどに『強い』。剣と剣を擦り合わせて近接の間合いを狙い合う捌きにおいては、より深くへ相手を招き鍔元で相手を制する者こそが勝つ。考えなしに刃を斬道に差し出すだけならば、へし折って通るのが道理――
――の、はずだった。
軋む肩甲骨への衝撃で、自身の剣が止められたことを察する。
どうやって? 疑問は瞬時に氷解。
少年の剣は片刃なのだ。
男の長剣では裏刃に当たる、要は構えた際に自身へ向く刃……それがない。だから触れても切れることはない。
だから、剣に左手を添えることができる。
「――!」
互い、剣が十字に交差した姿勢。完全に受け止められたのは、屈することでためていた膝のばねで下から打ち返してきたためだ。追い込まれたと見えたのは見せかけのみ。
少年の目がぎらつく。だが男も、ここで止まりはしない。刃組みからの戦術はいくらも存在する。互いの力が拮抗したいま、二人の力はひとつとなっている。
わずかな緩みあるいは力み。それを察して、剣身をねばりつかせたまま腰あるいは肩を引く。これを機と見て相手が自ら剣を引き離せば、その瞬間、引いた部位が引いた分だけ溜めた力を利して突く。
刃組みは、先に剣を引いた方が死ぬのだ。
思い、手のひらに全神経を注ぐ。認識の極限に至るまで薄く、己の時間を引き延ばす。
果たして。
ゆるり、少年の剣が圧をずらした。
狙いあやまたず男は腰を引く。
あとは少年の剣が離れるのを待ち、突き返す。
「いや、離れない」
ぼそりとしたささやきが男の身を凍らせた。
ずるり、少年の剣がずれる。
離れず、刃が上滑りしていく。
ばかな。
力が拮抗した状態から動くには緩みか力みが要る。緩むには剣を離すことが、力むには鍔元での『強い』剣が必要だ。少年にはそのどちらもなかったはず。
……否。
左手か! 剣身を支える左手をずらし、男の剣と刃噛み合わせる部位へ近づけたのだ! まるでそこが鍔元、手元であるかのように……!
気づいたときには遅く、少年は右手を突き上げ左手を下げた。
斬りこんでいた男の長剣が滑っていく。同時に横をすり抜け、
少年の剣が男の左腋を引き裂いた。重要な脈が断ち切られた。
とはいえ、不死人。負傷するそばから、盛り上がるピンク色の肉。熱を放つ傷口。数瞬も待てば新たな肌は色味も失せて周囲へ溶け込み回復する。
だが男は回復を待たず、右腕のみで振り返りざま横薙ぎを撃つ。この少年が回復の猶予を与えるはずがない。
「くっ、油断を、」
「油断は死だ」
断ずる言葉のあと、横薙ぎがあらぬ方向へ逸れる。
視界が傾く。
振り向く前に、背後へ抜けた少年が膝裏を断ち切っていたのだ。
これも数瞬あれば回復するだろう。
だが。
少年が待つはずがないと、わかった。
傾き、背から地面へ崩れ落ちるまでの数瞬。
まず臍を穿たれた。腹膜がかき回され、激痛で反射的に上体を屈めてしまう。
次に右肘を絶たれた。神経がやられ、防御姿勢が取れなくなる。
ここで露出した、無防備な首を、
「さらばだ」
……不死人は意識した瞬間に、あらゆる傷を回復できる。
要するに、意識させなければ回復はできない。
それだけの話だ。
魔人の集う街の片隅で、またひとつ、散った。