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桜物語  作者: 橘弓流
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夫となる人

 明るい庭へ目を向けた。

「はい。今日は暖かいし、歩くのには気持ちが良いでしょうね」

 桜も眩しさに少し目をすがめて、庭の揺れる木々を見た。

「そうです!」

 桜は先ほどの輝明の言葉を、思い出した。胸の前で手をぱちんと音を立て合わせると、輝明に向き直った。輝明は桜の大きな声に少し驚いた顔をした。まずい……いつもの調子で大きな声を出してしまった。慌てて口元を手で押さえた。


「あの、輝明さま、私は食べても美味しくありませんよ」

 ぼそりと桜が輝明の表情を窺うように言うと、一瞬、目を見張って、やがて輝明は破顔した。

「あはは!取って喰うとは言ったが!いや、案外、美味かもしれんな」

 二人は声を出して笑った。少し、緊張が緩んだ気がした。


「では、桜どの、参りますか」

 そうして、すぐ傍にある庭への降り口へ移動すると、少し離れて控えていた輝明の小姓と桜の世話をする侍女が急ぎやってきて、履物を揃えて並べた。輝明は草履をさっと履いて、先に庭へ降り、桜へ手を差し出した。

 思わず一瞬ためらったが、すぐに桜は輝明の手を取って草履に足を通した。


 違う。

 輝明の手は剣や弓の鍛錬を怠らないのだろう、掌はとても硬かった。がっしりとした体躯といい、多分、雅直と輝明が剣や弓の勝負をしたら、輝明が勝ちそうだ。雅直の手の感触まで思い出してしまい、顔が熱くなる。

 桜がきちんと立ったのを見届けると、輝明は手を離した。そして、桜に気遣いながら、ゆっくりと歩きだした。水面が輝く池に掛かる朱塗りの橋を渡り、砂利が敷き詰められた道を抜けた。二人は、庭の中でも一際大きな木の横に来ると、どちらからともなく立ち止まった。

「輝明さま、河野はどのようなところですか?」

 何となく縁談以外の話をしたくて、桜から切り出した。輝明が振り返る。

「桜どのも存じている通り、山に囲まれた国だ。これと言って何があるわけでもないが」

「私の住む篠田山も山に囲まれております。光ヶ崎のように華やかではないけれど、穏やかで私は好きです」

「ああ、わしも山の景色が好きだ。篠田山か…あそこは河野と美山の国境に近いな」

 輝明は頭の中で地図を思い描いているらしく、少し考え込んだ。しかし、すぐに桜へ顔を向けた。

「そうそう、光ヶ崎では月に二度大きな市がたつと聞いたが、わしの住む白金城の城下の市も大きいのだ」

 市。桜は興味をそそられた。光ヶ崎には市が目当てでよく来ていたのだ。雅直は何も言わなかったが、兄からは「女子というのは……」などと呆れられたものだ。

「市ですか、河野の市も見てみとうございます。食べ物などは、何が取れるのですか?」

「そうだな。山だからな、果物がよくとれる。これから美味いのが桃だ。秋は柿も美味いな」

「美味しそうでございますね」


 興味で先ほどの緊張している桜とは違う様子を、輝明は冷静に見つめていた。

「桜どのが河野へ輿入れした折に、案内しよう」

 輿入れ。結婚の話へ戻されたか。真面目な声に桜は、途端に緊張が背中を走った。

「桜どの」

 輝明は一歩、桜に近づいた。

「桜どのは、わしとの結婚をどう思っておられるのか」

 真っ直ぐに聞かれた。真剣な眼差しが痛い。

「その、私は……」

 どう思う。私の意思を尋ねているのだ。家や国など関係なくて、私の気持ちだ。そんなこと、あまり考えていなかった。命じられるまま嫁ぐのだと思っていた。答えに詰まっていると、輝明はあのにっこりとした笑顔を向けた。

「そんな、気楽に答えてくれてかまわないのだが。わしは、桜どのをちゃんと嫁にもらいたいと思うておる」

 一息つくと、輝明は続けた。

「先ほどは、雅直がいたから、しっかりした女子が良いなどと言ったが、気負わずに嫁いでもらってよいのだ。傍にいてわしの支えになって欲しい。父には数人の側室がおるが、わしは、妻はただ一人と決めておる」

「それでは、跡継ぎはどうなされるおつもりですか?」

 妻の第一の務めは、跡継ぎを産むことだ。自分に子が出来なかったらどうするつもりなのか。


「心配はない。養子を取ればよいだけのことだ」

 そんな簡単に……。桜は顔を曇らせた。父・友信は側室はいないが、それは母が男子を生んでいるからだ。もし、母が子を()せないのならば、何人かの側室がいたことだろう。

「どうして、そこまで……?婚姻は政のためでございましょう。」

「言ったであろう。わしの支えになって欲しいのだ」

「私には、そこまでの値打ちがあるとは思えません」

 自分に自信があるわけではない。心から信頼し合っていないと支えになどなれない。私と輝明はそうなるのだろうか。


 輝明は、再び真剣な顔になった。黙ったままだと、そっくりな雅直の顔が一瞬頭をよぎる。

 違う、私の前にいるのは輝明さまだ。

 風に揺れる木漏れ日が、輝明の顔へ当たったが、固くなった表情が変わることはなかった。

「桜どのを大切にしたいからだ」

 言葉が出ない。そんな真っ直ぐに言われ、桜は戸惑って、視線を逸らしてしまった。胸の前で合わせていた手で顔を覆ってしまいたい。男の人にこんな愛の言葉ともとれる甘い言葉を言われるとは。まるで物語のようだ。

 すると、そんな桜を見かねたのか輝明は、ふうと大きなため息を吐いて、桜へとまた一歩前へ歩み寄った。

「桜どの」

 輝明の視線が痛い。どう答えて良いか分からない。桜はただ黙っていた。

「桜どののお気持ちが固まっておられぬようだ。政のためだけではなく、桜どのの意思でわしの元へ来てもらいたいのだ」

 見透かされた。

 頭では分かっていても、気持ちが定まらない。そのことが、表情と態度で伝わってしまった。輝明を傷つけてしまったかもしれない、桜は、頭を上げて、輝明を窺った。

「良いのだ。焦らず、わしとのことを考えてもらいたい」

 輝明は苦笑いを浮かべ、桜を落ち着かせるように右肩をぽんと叩いた。

「わしは戻るが、桜どのはいかがする?」

「私は、少しここにおります」

 一人になりたくて、そう返事した。

「そうか」

 輝明は、少し寂しい笑顔だった。ずきんと胸が痛む。やはり、輝明を傷つけてしまったのか。そして、輝明のその表情が雅直と重なって、さらに動揺を誘う。

 輝明は踵を返して、少し離れて控えていた小姓とともに城内へ戻って行ってしまった。



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