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桜物語  作者: 橘弓流
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いとこ

 七日後、桜は光ヶ崎城(ひかりがさきじょう)に来ていた。浜名国主・早瀬和政の居城だ。この城は篠田山とは違い、広大な敷地に二重の堀や四層の天守閣と本丸、それを囲むように二の丸・三の丸などの曲輪がある。堀に映る白壁の築地塀も美しく、春のこの季節は鮮やかな新緑も映り込む。篠田山が山に囲まれているのに対し、光ヶ崎は海にほど近くの平野にある。城下町も大きく広がり、賑わいをみせていた。桜は子供の頃、この城下町で月二回開かれる市に行くのが大好きで、光ヶ崎によく来ていた。


 しかし、今日は市が目的ではない。縁談の相手・高科輝明の顔を見に来たのだ。

 きぬから会談の話を聞いた後、桜は父に連れて行ってとせがみ、娘に甘い父は邪魔はするなよと念押しし、連れて行ってもらえることになった。兄はあまりいい顔をしなかったが、仕方がないと言い、桜の頭をぽんと撫でた。兄は兄で妹を可愛がっていた。と言うより、早瀬家一族は皆、身内に甘いと桜は思っている。城主夫妻に挨拶を済ませ、会談が終わるまで何をしようかと廊を緋色の打掛をすっと引きながら一人で歩いている時だった。


「お姉さまは、だあれ?」

 幼い男の子の声が庭の方からした。足を止めると、そこには二歳になる城主・和政の四男、力丸(りきまる)が乳母に手を引かれて桜を見上げていた。

 かわいい!

 思わず顔がほころぶ。髪はまだ短く、あごの高さで切りそろえ、ぷくっとした頬、青の着物を着た人形のようだ。

「私は桜です。力丸どのは何をしておいでですか?」

 二月ほど前に顔を合わせていたが、幼い力丸には城に出入りしている沢山の大人の顔を憶えていられないのだろう。力丸の隣にいた乳母が慌てて頭を下げた。

「桜さま、申し訳ございません」

「よい。力丸どのがお元気そうで何よりだ」

 力丸は乳母との会話を不思議そうに眺めていたが、やがてにっこりと笑った。


「お姉さま、あそぼう」

 乳母の手を離し、廊に駆け寄り桜へ右手を差し出した。

「はい。何をして遊びましょうか」

 桜はかがんで力丸の手を取った。

 それから桜と力丸は、庭の池の鯉を見たり、自慢の玩具を見せてもらったり、歌を唄ったりした。そして、縁側で日向ぼっこをしながら、力丸を膝に乗せ、昔語りをしていた時だった。

「……そして、そのお殿様は……」

 ずしっと腕に重みを感じて力丸を見ると、すっかり眠ってしまっていた。もう少しでお話も終わりだというのに。全ての力を抜いた子供は重かった。しかし、それをも気にならないほどの愛らしさがある。桜は片手で頬に張り付いた髪を後ろへすいてやった。


 私も子供が生まれたらこんな風にするのだろうか。

 しかし、次期国主の元へ嫁ぐのだ。その跡継ぎとして厳しく躾をしなくてはいけないだろう。そもそも、男子が生まれるとは限らない……。

 それどころか側室という言葉が頭に浮かんだ。桜の父と伯父・和政は側室を持たない。身近の夫婦が円満で子宝にも恵まれていると、側室という言葉など忘れそうになる。自分の嫁ぐ相手が側室を娶らないとは限らないし、自分に必ず子供が出来るという保証もない。

 桜は今さらながら、嫁ぐという事の重大さを噛みしめていた。


「桜?」

 男の声がした。思わず驚いて肩を揺らした。力丸を抱いたまま顔だけ声のする方へ向けると、そこには力丸の一番上の兄で桜の一つ年上のいとこ・雅直が立っていた。雅直は和政の跡継ぎだ。昨年、元服し初陣も果たした。すっとつり上がった目が印象的で、さらっとした髪を束ねた茶筅髷と涼しげな顔立ちが知的に見える。端正な顔と流麗な立ち振る舞いが美しく、女の桜でさえ綺麗だと感じる。線が細いが、やはり武士。引き締まった腕が袖から見え隠れしている。幼い頃は年齢も近いため、よく遊んだものだ。


「雅直さま」

 昔は幼名の国松と呼び捨てていたものだが、さすがに今は気軽に呼べない。

「幼子は寝ると重いだろう。ちゃんと寝かせてやるか」

 ふっと目を細めて口の端を上げて笑った。はにかんだ笑顔。雅直の笑い方だ。

「そうですね。重いですが、でも、とても愛らしい」

雅直は力丸を桜の腕から受け取ると、起こさないように奥へ連れて行って寝かせ、後は乳母にまかせた。

 雅直は桜の横に来ると少しかがんで右手を差し出した。


「ほら。ここじゃ力丸を起こすから、場所を変えよう」

 桜は促されるまま、雅直の手を取って立ち上がった。

 力丸のような幼子とは違い少し温度の低い手だった。思っていたより大きな掌としなやかな指だ。急に男の手だと意識させられて、どきどきと心臓が鳴っている。

「桜?」

 不審に思ったのだろうか、桜を立ち上がらせて手を離すと雅直は、自分の肩の高さの桜の顔を覗き込んだ。

「いえ!何でもございません。それより、河野との会談は終わりましたか?」

 桜に話を振られて、雅直は前を向いて、廊を歩きだす。変に意識してしまったが、誤魔化せたようだ。桜は雅直の後ろを付いて歩きだした。

「終わったが、夜は宴を催すのだ。豪華な食事だぞ。桜も楽しみにしているといい」

 歩きながら得意げに話す。前を歩く雅直は、背中だけで、表情は窺えないが、きっと満面の笑みだ。雅直は、廊から突き出た東屋の中に入り、立ち止まった。東屋は、まだ新しく木の良い香りがする。桜も雅直に続いて立ち止まった。

 二人の間を庭からの風が通り抜けて、柱に飾られた花を揺らした。

 

 雅直は少しの間、庭を見つめていたが、やがて、ゆっくりと桜の方へ振り返った。その顔からは笑みは消え、真剣な表情だ。男なのに、とても凛々しく、綺麗だ。

「桜は、輝明の顔を見に来たのだったな」

 城主夫妻には輝明の顔を見に来た話をしたが、まさか雅直まで知っていたとは。何となく恥ずかしい。

「はい。縁談が持ち上がっているというので……その……どんなお方か興味があって……」

 真っ直ぐ目を見つめられて余計に恥ずかしくなり、俯いて視線をそらした。慌てたため語尾が、しどろもどろになってしまった。男の顔を見に来るなど、きっと、大胆で恥知らずだと思われたに違いない。しかし、父から話を聞いた時は、興味の方が勝っていたのだ。せっかく、浜名に来るというのに、こんな好機はない。

「そうか……」

 雅直は、ただ一言そう言っただけだった。

 不思議に思い、顔を上げると一瞬、雅直が眉間にしわを寄せて苦しげな表情をしていたのが目に入った。が、桜と目が合うとすぐにふっと目を細めて微笑んだ。

「思った事をすぐにするのは、桜らしいな」

 何か誤魔化されたのだろうか。不安が顔を覗かせようとした時、思い出したように微笑みから一変、吹き出しながら付け加える。

「そうそう、輝明を見たら驚くぞ」

「え?何かおありになられるのですか?」

 輝明はどこかおかしいのだろうか。そう言えば、父も同じことを言っていた。今度は、違う不安が頭をもたげる。それが顔に出たのだろうか。雅直は笑顔で訂正をした。

「違う、違う。変な意味じゃなくて。大丈夫、いい奴だから安心するといい」

「……そう」

 ですか。と言い終わらない内に、後ろから男の声がした。

「雅直っ!」

 桜と雅直は声のする方を向くと、こちらに向かって、小姓を従えた若い男が歩いてくるのが見えた。声の主は、この男のようだ。遠目だが雅直より少し背が高くて、しっかりとした体躯に見てとれる。城主の息子である雅直を呼び捨てにできるのは、相応の身分あるものだ。桜は、胸に両手を合わせ、唾を一つ飲み込んだ。あのお方は、もしや……。

「輝明」

 雅直の返事に桜は驚きのあまり固まってしまった。こっそり姿を拝見するだけで良かったのに。こんな堂々とお逢いしてしまった!


 どかどかと足音を立て、目の前まで来た輝明を見て、さらに桜は目を丸くさせて、言葉など出ないで固まってしまった。


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