舞い込んだ縁談
戦国の世、浜名国の篠田山城の一室で城主・早瀬友信とその娘・桜は向かい合っていた。父・友信は浜名国の国主・早瀬和政の次弟だ。他に桜にとって叔父にあたる弟が二人いる。
篠田山城は、北の河野国と西の美山国との国境に近く、山々に囲まれた砦の様な山城だ。小高い山の頂上にあり、中腹には家臣達の館がある。昔は城主も山麓に居館があって頂上には本丸と物見櫓があるくらいだったが、父の代には大規模な改築がされて本丸以外に居住できる曲輪ができた。山は木が伐採され、あちこちに空堀があり、敵の襲来に備えている。城のそばには河野国から続く岩がごろごろとした川が流れ、天然の要塞のようだ。
桜はこの城で両親と一つ年上の兄・高信と十歳になったばかりの妹・梅と住んでいる。篠田山城は町のような忙しさもなく、のどかな風景と暮らしがあった。
桜と父がいる部屋にも春うららかな光が差し込んで、畳の青がより鮮やかになり、庭の木々の間から鳥のさえずりが聴こえる。桜は白地に肩と裾に大柄な花模様が入った小袖を着て父の前に座っていた。つややかな黒髪と大きな瞳…座っている姿はだんだんと大人びてきた美しい女人だ。
どれくらいの間、二人は沈黙していただろうか。鳥の鳴き声がやけに大きく聴こえていた。父は桜に「話がある」と呼びつけたのは良いが、話にくい内容なのだろうか時折唸っているだけだ。さすがに桜も父とは言えど、眉間にしわを寄せて口を開いた。
「父上、話とは何ですか?用がないなら失礼いたしますが?」
「いやいや、待て!話す、話すから!」
父は焦り、腰を上げて手で桜を制した。桜が部屋を出て行かないと分かるとふぅとため息を吐いて、その後ごくりと喉を鳴らした。
「桜、そなたに縁談がある」
「は?」
思ってもみなかった話で、桜は目を丸くし言葉が出なかった。桜は十五歳になる。縁談が今まで来なかったのが不思議なくらいだ。それに戦国の世の武家の娘だ、いつかは家の為に嫁ぐのは覚悟していた。そして、一つの疑問を口にしてみる。
「それで、お相手は?」
「河野の国主・高科晴明どのの嫡男、輝明どのだ」
高科輝明さま……桜は頭の中で名を呼んでみた。いや、まてよ……輝明さまって……俯いて考えていた顔をゆっくりと上げると、父と目が合った。
「輝明どのは、そなたのいとこだな。わしの姉が輝明どのの母だ。十六歳の堂々とした男だぞ。本当なら、わしの兄上の所で姫を選ぶが、兄上には姫がおらぬからのう……そこで、そなたに縁談が来たのだ。可愛い桜をいとことはいえ、嫁にやるとなると何と言ったら良いか……。いや、桜、聞いておらぬな」
やっぱり。おいとこ。まだ逢ったことはないが、胸が高鳴る。
どのようなお顔なのだろう。どのようなお声。どのような性格。……逢ってみたい!
桜は自分の中で好奇心が疼き、父の話など耳に届かない様子だ。そんな娘をいくつになっても可愛いらしく、父の顔は苦笑いだった。
ぱたぱたと軽い足音を立て、桜は廊を小走りしていた。途中、何人かの侍女や家臣とすれ違い様に、立ち止まって頭を下げられた。
自室に戻った桜は、まず、座っていた乳母のきぬに涼しい顔をして、小言を言われた。
「姫君ともあろう御方が、足音を立てて何です?はしたのうございます」
「すまぬ……急いでおったのだ」
桜は眉間にしわを寄せて俯き、きぬの様子を窺った。きぬは、もう一人の母だ。信頼しているし、何でも相談するが……本当の母より手厳しい。少し前から、「姫君なのですから」と口癖になっている。それは、桜のためだと分かってはいるのだが、やはり少しばかり、うるさく感じる。そして、いつものように悪びれる様子もない桜に、半ば呆れて、きぬはふぅとため息を吐いた。
「それで、姫さま。なぜ急いでらしたのです?」
「そう!忘れるところだった!」
「姫さま、お声が大きゅうございます…」
またの小言には耳を貸さず、桜は、興奮した様子できぬに飛びついた。
「きぬ!私に縁談がきた!」
「まあ!姫さま、おめでたい事ですわ」
思いがけなかった話に、先ほどの難しい顔をしていたのが、嘘のようだ。きぬは、胸の前でパチンと手を合わせて喜んだ。
「それで、お相手はどなたです?」
「お相手は、河野の高科輝明さま」
「御いとこであらせられますね」
「ねえ……?」
桜はきぬの膝にすがりついたまま、悪い相談のように上目を使う。きぬは上機嫌から一変、顔をしかめた。何の相談だ。
「どうにかして輝明さまにお逢いしたいの」
「また、姫さまは……。お顔を拝見なさりたいのですか?ご結婚のお相手など知らなくて、当たり前なのですよ。しかも、姫さま自らお逢いしに行くとは……」
語尾を濁したが、絶対に飲み込んだ言葉は「はしたない」だろうと桜は思った。しばらく、きぬは考えを巡らせていたが、何か思い出したらしい。
「ああ!それでしたら、七日後に河野との会談がございます。殿と高信さまがご出席するご予定だと存じます。そこには高科輝明さまもいらっしゃると聞きおよびましたが」
「それじゃ!」
良い事を聞いたように桜は目を輝かせたのだった。