パティシエは糖分不足
完璧おもいつきです
「とかく、この世は苦い」
出だしでこんなことを言うのは如何なものか。
しかし、だ。この世は苦い。それが32年生きてきた私の結論だ。
「パティシエがそんなこと言ってちゃダメでしょ」
こう私を嗜めるのは年下、後輩、上司で気にくわない、私に対して生意気な男。
「今なにか失礼なこと考えてました?」
「別に、年下でこの店に入ったのは私より後だけど前の店長さんの息子で、前の店長さんが体調崩したから、なし崩し的に店長をやっている三枝紘君が私に対して生意気だ、なんて1㎜も考えてないよ」
「長いし、全部言ってるし」
一呼吸で言えた私偉い。
「それよりなにが苦いんです?この世って言ってましたけど、なにかありました?」
「仕事とプライベートは分けているのが私スタイル」
「『話す気なし』って意味ですね。はぁ……回りくどい」
「聞こえてんぞ」
私は一心不乱に粉を振るいにかけて落とす。勤続8年、このような仕込みはもう片手間で出来る。
「まったく、そんなんだから貰い手がいないんですよ」
「うっせ、うっせ、大きなお世話だちくしょー」
「それも込みで」
「うっせ」
目の前にいる男はクリームをかき混ぜたりオーブンを温めたりという作業に忙しそうだが私と軽口を叩くのをやめようとしない。
「そんなに忙しそうなら喋らなければいいのに」
と、ポツリ。私は目の前の働く男に言う。
「いい仕事はいい職場環境で。部下と話すのも人事の円滑に必要なんですよ、っと」
「こんな会話でいい人事が成り立つとでも思ってんの?」
「さあ?」
紘の言葉の後に「バタン」とオーブンが閉まる音がした。
私は彼のことを紘と呼ぶ。これは彼の親も同じ苗字だからであって、決してなにかの因縁からとかではない。
「千尋さんは苦い、っつーより辛いですね」
「なんとなくわかる気がする」
「アタリがキツイんですよ、そんなんだと男の人逃げますよ」
「それさっき聞いた。後な、キツイのはお前だけだ、安心しろ」
「どんな安心……」
千尋、これは私の名前。特に言うことはあるまい。
「で、なにが苦いんですか?」
「言う気はないぞ」
そこからお互い黙りこむ。ただ厨房にはオーブンの音、私たちの作業の音しか聞こえない。
静かになると夜を思い出す。一人暮らしで誰もいない中、余り物のケーキを1人黙々と食べる私。
……とても絵にならない。
「そういえば千尋さん、アイスのアタリ棒って見たことあります?」
「ないな」
「ないですかー」
形だけの敬語も今は聞き慣れたものだ。そしてこんな生活でいいかもしれないと思っている自分。
不満はないが、色々な欲はある。
「苦いな」
「苦いですね」
そしてオーブンは唸りを止めた。
この2人の関係は職場仲間以上恋人未満といったところでしょうか。
なんでも話すけどなんにも知らない。
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