清算屋
【清算いたします】
オフィスの入口には、そう書かれた小さなプレートがかけられていた。
貸しビルの3階。1階はやっているのかいないのか分からない居酒屋が入っており、2階はテナント募集中の看板。そして3階に【清算屋】と書かれた店があった。
どう考えても怪しい店だ。
もしかしたら、ヤのつく自由業の方々が経営しているのかもしれない。そう思い、女性は少しだけ躊躇した。
「こちらに何か用ですか?」
引き返そう。
そう女性が思った時だった。背後から声をかけられ女性はビクリと背中を震わせる。ゆっくりと振り返ると、そこには中性的な顔立ちの人がいた。男というには背丈が低い気がするが、女というには体つきに丸みがない。
ただし、少年、あるいは少女は、ヤのつく人のイメージとはかけ離れた雰囲気だった。物腰が柔らかく、小奇麗な感じで、物騒な事柄からは縁遠そうだ。無駄に威嚇する事もない。
少し年が若いようだが、黒色のスーツを着こんでおり、ここの従業員のようである。
話しかけやすそうな人物に、女性はほっと息を吐く。
「あの、ここが【清算屋】と聞いて来たのですが」
「はいそうですよ。どうぞ」
女性の横を通りすぎ、扉を開ける。笑った顔はとても綺麗で、女性は少しだけその表情に見惚れた後、目の前の人物に続いて中へと入った。
扉の向こうは一見応接間といった雰囲気だった。背の低めのテーブルとソファーがあり、事務的な場所がみえないようにか、半透明のパーテーションで区切られている。
「あ、清算屋さん、お帰りなさい」
「ただいま。太朗、お茶を入れてくれないか?」
「はーい」
パーテーションの向こうから、小学生ぐらいの少年が顔を出したがすぐに奥に行ってしまった。女はここの事務所の子なのだろうかと思うが、小学校に行かなくてもいいのだろうかと内心疑問に思う。
しかし、それぞれ家庭の事情があるのだろうと思い、女性は聞くのを止めた。
「どうぞおかけ下さい」
「あ、あの。清算屋の社員の方は――」
目の前の人は女性には若く感じた。アルバイトか何かかもしれない。
ただ、誰を呼べばいいのか分からず、女性の言葉は尻すぼみになった。不安そうな女性に、【清算屋】はニコリと笑った。
「僕は清算屋の主の、三矢清です。今日は僕と太朗しかいませんので」
そういって三矢は、名刺を取り出し女性へ差し出した。
女性はきょとんとしたまま名刺を受取り、目を落とす。そこには、【清算屋】、【三矢清】と書かれ、電話番号と住所が書かれていた。
しかし三矢清は、英語の様に名前を先に読めば、清三矢。つまりは【せいさんや】。明らかに偽名さろう。
「貴方が主なの?」
女性はソファーに座る事なく、疑わしげな眼差しを三矢へ向けた。
「ええ。見た目が若いので、良くアルバイトと勘違いされますが、僕がここの主人です。【清算屋】の仕事全般を僕が請け負っています。この店のご説明は聞きますが?」
「……ええ」
「【清算屋】は依頼人が清算したい事柄を叶える為にサポートする店です。代理で清算を行う事もあります。依頼人の事については守秘義務を守り、一切口外はしません」
三矢は説明を終えると安心させるように笑った。女性は最初こそ笑顔に安心していたが、だんだんこの笑顔の所為で三矢が何を考えているかが分からなくなり、不安を覚える。
「やっぱり――」
「僕が主というのは怪しいですよね」
「あ、いえ」
「別にいいですよ。本当の事ですから。ここでの相談は無料です。実際引き受けて【清算】が終了した時点で料金が発生します。なので、今すぐ帰っていただいても何ら問題はありませんし、また相談したくなった時に来て下さい」
商売気のまったくない様子で、三矢は女性にそう勧めた。
帰ろうとしていた女性が余計に戸惑うぐらいにあっさりした対応だ。帰されそうになった女性は慌てたように首を振った。
「いえ、できるかどうか、話を聞いて下さい」
どうせここ意外に頼む場所もない。
そう思い女性は意を決してそう申し出た。
「ええ。聞くだけでしたら無料ですから。どうぞ、おかけ下さい」
今度こそ女性はソファーに腰を下ろした。
「まずはお名前を伺ってもよろしいですか?」
「中居真紀といいます」
中居はそういって、視線をテーブルに落とした。
「清算屋さん、お茶がはいったよー」
太朗は中居の緊張した空気を全く読まない声でテーブルまで行くと、茶托に載せてお茶をこぼさないようにゆっくりと置いた。
「太朗、ありがとう」
「いいよ。じゃあ、お邪魔しました!」
太郎はぐっと親指を立てると、パーテーションの向こうへと戻っていった。
「お茶を飲んで下さい。太朗はお茶を入れるのが上手なんです」
勧められ、中居はお茶を手に取って飲んだ。緑茶のいい香りに少しだけ力が緩む。
「美味しいです」
「ありがとうございます。では、依頼についてお聞かせ願えますか?」
「あの……もしかしたら無理かもしれないので……その」
「無理かどうかは聞いてから判断させていただきます。それに、どのような依頼でも特に笑ったりもしませんからご安心下さい。以前、借金の払い過ぎを取り戻したいと言われたお客様も見えまして、その方には法律事務所をお伝えしておきました。【清算屋】はあまりない職業ですので、具体的にどういった事をするのか分からない方が多いのが現状です。なので、どんなご依頼でも恥ずかしがらなくても大丈夫ですよ」
冗談か本当か分からないが、三矢は安心させるように失敗談を話す。
「……実は【清算】させたいのは、私の彼氏なんです」
「どのような【清算】をご希望ですか?」
「私を裏切って……二股をかけたアイツとその相手に、その罪を償わせたいんです」
「分かりました」
中居は思いつめた表情をしていたが、あっさりと引き受けられ、目を丸くして三矢を見た。
「そんな、あっさり」
「僕に可能な事でしたので。【色欲】の罪のご精算という事で、二度と色欲を感じられないようにするという事でよろしいでしょうか?」
「え、ええ」
「ご精算の対象者は、貴方の彼氏と、二股の相手。では支払いはすべてが完了した時という事で」
中居はとても戸惑った表情で、三矢がとりだした書類に目を落とした。
「【清算】はこの書類にサインした時点で始まります」
「あ、あの。復讐しろと言っているようなものなのに……本当にいいんですか?」
「ここはずっと昔からあった店で、僕は前店主より引継ぎました。前店主から僕に与えられた役目は、因果応報。いつか巡って来る因果応報を僕は早めるだけです。なので特に問題はありません。ただ今すぐに清算したいと思っていないでしたら、サインは結構です。いつかは巡りますから」
「そんなの、本当に起こるかどうかなんて分からないじゃない」
因果応報。
その言葉に中居は三矢を睨みつけると、書類にサインをした。そしてサインをした後に、ハッと我に返ったようで、不安げに今度は三矢を見た。
「あ、その。おいくらになりますか?」
今更ながらに値段相場を聞いていなかったことを思い出し、中居は不安になったようだ。手を組んでそわそわとする。
「そうですね。全てが終った後に請求書を送りますが、たぶん一人当たりこれぐらいになると思います」
三矢が電卓を叩き中居に見せると、中居はほっと息を吐いた。
良心的な値段にこれぐらいなら払えると踏んだようだ。
「これだけで本当にいいんですか?」
「はい。だたしここは因果応報を早めるだけの店ですので、そこをくれぐれも忘れないで下さい。少々時間がかかる場合もございますから」
「ええ。もちろん。貴方が何もしていないという事は分かってます」
中居は三矢が、自分が手を下したという事を警察に言わないように念を押しているのだと思い、笑った。
こんな依頼をした事を知られれば中居だってただでは済まない。
だから彼女も決してこの事について他言する気はなかった。
「清算屋さん、よろしくお願いします」
◇◆◇◆◇◆◇
数カ月後。
中居は、自分に二股をかけていた男が、事故あった事をニュースで知った。
そこでさりげなく彼に会いに行くと、彼が下半身麻痺となっている事を知る。彼女はなるほどと思った。
清算屋さんは【色欲】の罪と言っていた。
だから彼は【色欲】を無くしたのだろう。
ただ事故は不運な工事現場での事故。偶々通りかかった所に、看板が落ちてきたという、人為的ではないものだった。幸い命は助かったが、彼はもう二度と色欲を感じる事はなくなった。
彼女は思った。いいきみだと。
更に、彼の妻がその事がショックで流産したそうだ。彼女は天罰だと思った。
若干の罪悪感はあったが、自分が行った事ではないし、全ては因果応報だと彼女は笑った。
彼女の人生は、その後順風満帆だった。
彼女は別の男性と交際し、幸せな結婚生活をする――彼女の夫が事故に遭うまでは。
「何でこうなるのよっ!」
下半身麻痺となった夫の病室の前で彼女は泣いた。
その後自分が妊娠している事と同時に流産した事を知る。まるで過去の事件を再現しているかの状況に彼女は混乱した。
そして転落人生を送る彼女の元へ一通の手紙が届く。
それは、かつて清算した事に対する請求書だった。
【ご利用明細書】
二股した男
※※※※円 ※※※※円
二股された男
※※※※円 ※※※※円
二股された女
※※※※円 ※※※※円
二股した女(二股された女)
※※※※円 ※※※※円
小計 ※※※※※円
税率1.0%
合計 ※※※※※円
『ご精算の対象者は、貴方の彼氏と、二股の相手となっております。請求金額は○月×日までにお支払下さい。支払期日が守られない場合は、再びご精算させていただきます』
そして、既に【中居】でなくなった彼女は気が付く。
自分が元カレに別れを告げていなかった事を――。
◇◆◇◆◇◆◇
「清算屋さん、お仕事終った?」
「ええ。終りましたよ。太朗もご苦労様です」
請求書をポストに投函した三矢はニコリと笑う。
「清算屋さんは大変だね。今回みたいに終わりが中々分からない仕事もあるし」
「別に大丈夫ですよ。時間はいくらでもありますから」
夕暮れの小道を太朗と並んで歩く彼の足もとには、あるはずの影がなかった。
しかし、ビルの影の中にすぐに入ってしまった為、その事に気が付いた人は誰もいない。
「清算屋さんはいつまでこの仕事をするの?」
「そうですね。僕の罪の清算が終わるまででしょうか」
「もう、諦めちゃえばいいのに」
「駄目ですよ。そうでなければ、僕は生きていけない。過去がない人物は今もなくなってしまいますから」
そう言ってふふふと三矢は笑う。
三矢の中は空っぽだった。先代の清算屋に清算され過去を失った彼は、感情というものが分からない。清算屋になってからの経験で、笑っていれば、感情というものが理解できなくても何とかなると知ったから、笑顔というものを作るだけだ。
感情が分からない三矢は、どんな清算でも、感情に左右されずにためらいなくできる。それを見越して、過去を消されたのか、消されるのが清算となる罪だったのかは、自分の本当の名さえ忘れた三矢には分からない。
「そうですね。僕の罪が全て清算できてすべてを思いだしたら、その時に続けるか、止めるか決めたいと思います。どうせ僕ができるのは、因果応報を早める事だけですし」
そう言って、三矢は太朗へ空っぽな笑みを見せた。