警部とパティシエ
《登場人物》
徳永 真実 (35) 警視庁刑事部捜査第一課警部
高山 朋美 (30) 同 巡査部長
東海林 鏡花(32) パティシエ
東海林 弘樹(故人) 会社員 鏡花の夫
渡辺 マリエ(24) パティシエ
加藤 啓太 (35) 警視庁刑事部鑑識課係長
洋菓子店ロイシェ
《 CLOSED - 閉店中 - 》
鏡花は、お店で、新しいお菓子の準備をしていた。チョコレートクリームを駆使して、綺麗なケーキのコーティングをしていく。
「よし! これでケーキの完成!」
我ながら綺麗に出来上がったケーキを見つめていると、入口のドアをこんこんとノックしている音が聞こえた。
「今日は休みにしたのに、看板見てないのかな?」
ゆっくりと入り口のドアに近づくとすりガラスでドアをノックしている人間がどんな姿をしているのか、彼女は誰なのか大体見当がつく。
あの男が来た。
鏡花の脳裏では警報がなっている。危険人物が店前にやってきている。
嘘を見破るプロに居留守を使うのは1番危険である事は理解できていた。この場を切り抜けるには反応するしかない。
ゆっくりとドアの方に近づいて、鏡花はドアの鍵を開けた。
「あ、すいません。ご家族の方に聞いたら、こちらの方にいると……」
彼女はため息をつく。
「はぁ。仕事中だったんですけど、まぁ、どうぞ」
綺麗な笑顔で、鏡花の言葉を徳永は受けた。
「ありがとうございます」
「で、今回はなんの御用かしらね?」
徳永は思い出したか様に、スーツから1つの細い封筒を取り出して、中身のリストを出す。
「いや~今回はですね。あなたにお見せしたいものがありましてね……」
「えっ?」
鏡花は徳永の言葉を気にする事なく、パティシエの腕をふるい新しいケーキスポンジにピンクのクリームをコーティングしていく。
「見ていただきたいんですよ。この紙を」
徳永は、目の前に紙を大きく広げてケーキを作り上げる鏡花にわかるように見せた。
「何ですか? それ?」
「これは成分表なんですけど、なんだかわかります?」
警部は1枚の白い紙を彼女に手渡し、鏡花は紙を見つめている。
「カカオに糖分ですか? チョコレートみたいですけど……」
「そうなんですよ。それ、どこにあったと思いますか?」
鏡花は、紙を徳永に返した。
「さぁ、どこにあったんですか?」
鏡花は徳永の視線を気にする事なくもう1つ、ケーキのコーティングを続けていく。
「実を言うと現場で発見されたんですよ。チョコレートの破片が」
彼女の手が止まった。
「えっ?」
「ご存知ですかね?」
鏡花は少し黙っている。
徳永はある程度の核心はついていた。彼女が犯人であると。
「いえ、知らないですね。でも面白いですね。現場に落ちているって、弘樹さんが食べこぼしていたのかしら……」
軽い笑顔で警部は返す。
「あれ? なんで現場だと分かったんです? 破片が落ちている場所が現場だと」
「!」
言葉に鏡花の心には衝撃が走る。心の中で冷たい冷気と暖かい空気が心で衝突を起こし冷や汗を発生させる。
鏡花は何とか自分の精神の態勢を保たせた。
「確かにこの成分表は、現場で発見された破片から検出した物です。が、貴方は現場に行ってなかったと聞きましたし、どうして、知っていたのでしょう?」
彼女が言葉を発するのに1分ほどかかった。
「それは、簡単ですよ。刑事さん。あなたが持って来たからですよ」
徳永は成分表を内胸のポケットに成分表をしまう。
少しの沈黙が店内を覆った。鏡花が行っている作業の工程を見つめながら徳永は次の一手へ。
「そうですか。だとすればなぜ、チョコレートの破片が落ちていたのでしょうか?」
ケーキを完成させ、鏡花は使った容器を流しに置いて、水道のレバーを押して水を出す。
「あの人が食べてたんじゃないですか?」
徳永は首を横に振り、彼女の答えを否定した。
「いいえ、彼の胃の内容量に、チョコレートはありませんでした。それに破片は、微量のもので、しかも、何かに加工されたものでした」
鏡花は話を軽くはぐらかした。
「今からお茶でも?」
徳永は手を横にして、拒否する。
「いいえ、結構ですよ」
「あらそう。残念。でも、加工されたものといっても市販のものでも加工ですよ」
眉間にしわを寄せて彼は考え込む。
「おかしいんですよね~凶器が見つかっていませんし、何より、このチョコレートが事件を解く鍵かも知れなくて……やっぱりお茶いただいても宜しいですかね?」
徳永の言葉を聞いて、内心呆れながらも、軽い笑顔で応える。
「いえいえ。どうぞ。お菓子はティラミスで良いかな」
鏡花は冷蔵庫から守って作っておいたティラミスを取り出して、2人分に切り分け、それぞれのお皿に、置いていく。
綺麗な焦げ茶色のココアパウダーの降りかかったマスカルポーネチーズの綺麗な色彩芸術。
「このティラミスは私のデザートの中でも得意なデザートなの」
「チョコの魔術師なのに?」
徳永のさりげない指摘に、2人は声を出して笑った。
2りは移動して、カフェテリアの席に移動し、徳永は先に座る。
「さぁ、どうぞお食べになって」
「いただきます」
フォークでティラミスを切り取り、自分の口へと運ぶ。
ほろ苦くココアパウダーが、しっとり甘いクリームを包み込んだ。
「……おいしい」
「そりゃ、本職の人が目の前にいるんですからね」
彼女は笑っている。
警部はゆっくりとティラミスが織りなしていく芸術と味の融合に身を持って体験していった。
「で、話はちょっと戻るけど、刑事さんに訊きたい事があるの」
「何でしょうか?」
「あなたの意見が知りたいの。事件の事」
「う~ん。そうですね~」
今回の事件について、徳永は口を動かし始めた。
「犯人は、外部犯というのはまず、ありえません」
「なぜ?」
「物盗りにしては、だいぶ間抜けな奴です。チョコを食いながら、人なんか殺さないはずです。それに、凶器を持ち帰った事にだいぶ用心していた割には破片を落としている馬鹿な犯人です。それに……」
「それに……」
「あそこは別荘です。金目のものを狙うなら私なら別の場所にしますね。物盗りする場所」
「そうね~」
鏡花はにこにこしながら警部の持論を聞いているが内心彼に対する殺意と憎悪が強く心に刺さっていく。
「それに犯人は大きなミスをしました」
警部は眼鏡を外してメガネ拭きでレンズをキレイに細かく掃除し始める。
「どんなミス?」
「犯人は大事な証拠を置いていったんですよ」
紅茶を口に運ばせながら鏡花は聞いている。カップを置き、窓から見える風景を目で感じ取りながら返した。
「どんな?」
瞬時に徳永の言葉が彼女の耳に飛ぶ。
「チョコレートです」
鏡花の心は無の世界へと入っていく。
「チョコレートの破片を残すなんて相当馬鹿な奴ですよ。本当に」
「そうね~そう考えると本当におかしいわ」
鏡花はうんうんと頷いている。目の前の彼は話を続けた。
「そういや、鏡花さん。あなたのインタビュー見ましたよ」
言葉を受けて、彼女は正直に照れている。
「あ、恥ずかしいわ。嬉しいわ」
「でも、前、会った時におかしいなぁって感じたんですよね」
「えっ?」
徳永の言葉に、彼女は戸惑いを感じていた。
「いやぁね。この前にあなたに直接、チョコレートを頂いた時、『早めに食べることをおすすめします。溶けちゃうので……』って」
首を縦に降って徳永の確認を肯定する。
「そうね。そんな事もいったかしらね。でも、それがどうかしたのですか?」
彼は、表情を変えない。
「あなたの事を少々、調べさせていただきました。すいません。ちょっと思い出して欲しいのですが、あなたのコンテストでのコメント覚えていますか?」
1週間も前のイベントのことなど覚えている訳もなく、鏡花はずっと黙って聞いていた。
徳永は1冊の月刊誌を取り出し、鏡花にあるページが見えるようにテーブルから滑らせていく。
「覚えていませんよね。今日、これはあなたが特集されている月刊誌です。ここを見て欲しいんですが……」
彼女は徳永の細長い指に示された文字列を見つめている。
文字列には。
『チョコレートは冷やして食べてね!』
「それがどうしたんです」
「だって、ページに書かれているセリフとは全く反対の事を言っているんですよ? 溶けちゃうのでって」
彼女は黙っている。徳永は鏡花に告げた。
「あなた、なにか隠してませんか?」
不敵な微笑み。鏡花にとって刑事の笑みには不気味さを感じている。
彼女は言い返す。
「刑事さん。もしかしてですけど、私を疑っていますか?」
その質問に対して警部は笑顔で答えた。
「ええ」
徳永は輝かしい笑顔が彼女の心に抉る様な苛立ちを植え付けさせる。
「私を怪しんでいる様でしたら、しっかりとした証拠を出してほしいわ。私が犯人だった場合だけどね」
「はははは。面白い冗談ですね」
「はははははは」
鏡花は乾いた笑いを徳永に披露した。
「あ、ティラミスごちそうさまでした」
徳永は笑いを止めて、一言、礼をいった
「お粗末さまでした」
徳永は席を立ち、時間が1時間を過ぎている事に気づき、店を出ることにした。
「鏡花さん貴重な時間をどうもありがとうございました。また来ます」
「ええ、今度は、ちゃんと予定を聞いてからにして下さいね」
「もちろんそうします。……いや、やっぱりいきなり来るかもしれません」
徳永の不意打ち気味な笑顔には本当に頭にくる鏡花だった。
第10話です! おおおお、もう10話ですか。ここまでいくとは、感慨深いですね。
これからもよろしくお願いします。
だいぶ物語としては中盤ではないかなと感じています。
今回は前作よりも短くなる可能性がありますね。
ではでは次回もお楽しみに!