幸運
――目覚めて、驚いた。
病院ではない部屋のベッドで気がついたリックは起き上がった。
瞬間、身体の脇にはしった痛みに顔をしかめる。
「肋骨にヒビが入ってる。頭を強く打ったが、問題はないそうだ」
思わず痛む部位を手で抑えたリックに、ベッド横に立って自分を見下ろして言う男はジミーだった。
彼はリックの目の前のベッド上に新聞を投げ出した。
目に一番に飛び込んできた記事にリックは目を見開いた。
『ビジネス街の人身売買摘発。経営者フレデリック=コーンウェル事故死。』
日付けは今日だった。
『昨日25日、ビジネス街ビルの一角で人身売買を行っていたとされる店舗を西オルガン市警が摘発した。コンサルタント会社と称して中に14人の女性を住まわせ、彼女らに売春をさせていた疑い。
女性らは年齢14〜33歳のグレートルイス人女性5名、キエスタ人女性9名。
彼女たちの入国ルートは不明であり、詳細を調査中である。
なお、同日同時刻、経営者のコーンウェル氏(52)は市中を運転中衝突事故を起こし、死亡。同乗していたカメラマン、リック=レイモンド氏(29)も死亡。
二人の関係性については―――』
知らなかった。
コーンウェルには、まだ秘密があったのか。
文面を読み、新たなる事実に驚いた彼は、加えて最後の方の文章に違和感を覚えた。
「これを着ろ」
リックが考える間もなく、ジミーが新聞の上に衣服を投げた。
「話は、車の中でする」
――言われたとおり服を着替え、外に停めてあった車の後部座席に乗り込むと、目の前に制服を着た一人の青年が座っていた。
「初めまして。リック=レイモンドさん」
目の前の黒いカールヘアの眼鏡をかけた童顔の青年は、穏やかな声でそう言うと自分に手を差し出した。
彼の手を握り、リックは思い出す。
キルケゴールの秘書。
確か、名前はルーイ=ノリスだったか。
密林から生還した直後は日焼けして黒かった彼の肌は元の白さに戻りつつあった。
丸みのあった頬は、壮絶な生活をしばらく送ったために削げて、以前と比べると大人びた印象を受ける。
「早速本題に入ります。……あなたの写真を買います」
手を離した瞬間、彼は言った。
「シャン=ウー嬢の写真と、コーンウェル氏の家族の写真、あなたの部屋にあった写真全て」
リックは部屋のネガを持ち去ったのは彼らだったのだと理解した。
「それと、パブでセルゲイさんと交換した写真も含めて」
「セルゲイ?」
リックは同業者の栗色の髪の彼を思い浮かべて、眉をひそめる。
「交換って……」
「彼は間違って入れ替わったと言っていましたが」
リックは記憶を掘り起こす。
最後にパブに行ったあの夜、確か奴と酔ってネガの隠し場所についてバラしあったっけ。
俺の避妊具の箱を見て、奴はかなりウケて……。
……あの時か。
リックは思い当たる。
「あなたから買い取った写真は、各国の新聞社へ送ります」
ルーイが言った言葉に、え、とリックは拍子抜けした。
「閣下は、あなたが撮った彼女の写真に、かなり満足してらっしゃいます。いずれ、彼女のことは大々的に報道するつもりでした」
……腑に落ちない。
でも、彼女の存在を世界に知らせるのならば、とりあえず成功か。
ついで、もう一つの不安が彼の心に浮かぶ。
「あの……リッキー……彼の息子はどうなるんですか」
リックの質問に、ルーイはリックの顔を確かめるように見つめた。
優しい目だ。
彼の人となりが分かる。
「……彼はあなたのように孤児ではないし、あなたの時の十年前とは今は状況が違います。……彼がグレートルイスに残る可能性は高いのではないかと」
「そうですか」
ルーイの言葉にリックは、ほ、と息を吐いた。
良かった。
あの少年は俺のようにはならない。
「あの……俺、これからどうなるんですか」
リックはさっきから知りたくてたまらないことを目の前の青年に聞いた。
彼は澄んだ黒い瞳でリックを見た。
この国特有の純粋培養された善良で純真な若者だと思った。
「あなたはこの国では死亡したことになっています。今後はグレートルイスで生活を」
彼の言葉にリックは目を見開いた。
しばしの間のあと
「……ラッキー……」
と、かすれた声でつぶやく。
「あなたの身分証明書です。その他必要なものはここに入ってます」
ルーイはリックにパスを渡し、助手席のスーツケースを指した。
「こういうのって……」
「特例中の特例です」
ルーイはリックに丁寧な態度で答えた。
「あなたには、十七年間グレートルイスで暮らした経験がある。適応能力が高く適性があるのではないかと、上が判断しました」
……つまり、俺に転職しろってことか。
そう、タダで美味い話はないよな、とリックは軽く落胆する。
「あなたの協力が必要なときは、こちらから連絡します」
ルーイはそう言って自身の鞄から封筒を出した。
「写真の代金です」
リックが受け取るとルーイはもう一つ封筒を彼に渡した。
「これは、私からです。口止め料として」
彼の顔を見やったリックをルーイは真っ直ぐ見つめてそう言った。
部下のあんたまで払わせられるんだ、大変だな。
と、リックは思いながら有難く受け取る。
「それでは、失礼します」
軽くリックに礼をすると、ルーイは扉を開けて車を降りた。
既に運転席に座っていたジミーが、ミラー越しにリックを見た。
「……行くぞ」
滑らかに、夜の闇の中を車は走り出した。
リックは渡された身分証明書を確認した。
「……ディーン=マクガバン。……まあ、わりといい名前か」
身分証明書の中、ブラウンの髪の自分がこっちを見ていた。
「……寝ている間に、俺の髪染めてくれたの、ジミーさんですか」
リックは気落ちして聞く。
「そうだ。礼はいいぞ」
ジミーはハンドルを回しながら答えた。
「……俺の唯一のチャームポイントが」
生まれつきのプラチナブロンドから、無難な茶色に変わってしまった髪に手をやってリックは残念そうにつぶやいた。
「そう落ち込むな。その色の方が、似合う服の幅が広がるぞ」
「まあ、そうですが……」
言って、リックは着ている自らの服を見下ろした。
スプリングコート、トップス、パンツ、靴にいたるまで、全て上質でデザインが良く、いままで着たことのないような代物ばかりだった。
これはかなり値が張っただろう。
「この服用意してくれたのもジミーさんですか。センスいいですね」
「彼女だ」
ジミーの言葉にリックは心臓が跳ねた。
「日曜日の午前中、彼女が君の服を揃えた。俺も付き合わされた。……君の持ち合わせが少ないだろうから、君が遠慮するんじゃないかと思ったんだろう」
リックはしばらく沈黙し、口を開いた。
「……彼女は、俺があの日行かなくても、その後も会ってくれるつもりだったんでしょうか」
「だから、服を買ったんだろう」
ジミーの答えにリックは体の奥から静かな幸福感が広がり始めるのを感じる。
「彼女は、俺が死んだと……」
「ああ」
リックは再び沈黙した。
「……すんごく、切ないんですけど」
「だろうな」
ジミーは、前を向きながら後ろのリックに封筒を渡した。
「……これは、俺からの餞別だ」
受け取ったリックは中身の感触にあわてて封をあける。
出てきたのは、数枚の写真だった。
彼女の写真。
あのとき、コートの内ポケットからジミーに取り上げられたネガのもの。
「……やっぱり、かわいーな」
うつ伏せで丸くなって眠る彼女の寝顔を見て、リックは微笑んでつぶやいた。
この腕に何度も抱いたなんて信じられない。
傾国の美女でもなく、希代の悪女でもなく。
彼女は幸運の女神だった。
「 ……フェルナンドに、しばらくいたらどうだ。あそこは、移住者が多い」
ジミーがリックに声をかけた。
「ええ、そうしようかな。ジミーさん、詳しいですね」
リックは答える。フェルナンドは藝術の都として名高い。
「数年間、あそこに居た。……君とはこれから同業者になるな」
言って、ジミーは車を停めた。
「車を降りて、前の車に乗れ。後は彼らに引き継ぐ」
リックは車を降り、助手席のドアを開けてスーツケースを引き出した。
「good luck」
運転席のジミーがグレートルイス語で言った。
リックは助手席のドアを閉めた。
前に停まってる車が、ライトを点けた。
照明のまばゆさに目を細めながら、リックはゆっくりと前に歩いて行った。―――




