逃亡
「……ウー」
キースは低い声で呼びかけた。
数秒のち
「終わったのか」
ウーは目を開けた。光がまぶしく、目を細める。
「ああ」
キースは汗で不快な感じのする制服に袖をとおして立ちあがった。
奥に、パイ・ムーアが座り込んでいるのが見えた。
「ムーア様」
ウーは言った。
ぼんやりしていた目をウーにむけ、パイは小さく頷いた。
「成人おめでとうございます」
ムーアは恥ずかしそうに笑ってみせた。
「そんなに苦痛でもなかったわ」
その声には自信が感じられた。
「ウー」
キースは部屋の外をうかがいながら言った。
「俺は望みどおりにした。お前の番だ」
「分かってる。今がチャンスだ」
ウーは声をひそめた。
「リー・ユンファ女王の発作がひどくなったらしい。下女の気はそっちに向けられている。……来い」
部屋から出ようとした二人に、ムーアは声をかけた。
「ウー」
ウーが振り返ると、ムーアが丸い目をこっちに向けていた。
「その者を逃がしてあげて。……絶対よ」
「承知しました」
二人はさ、と身を翻して部屋を出て行った。
********
「どうやって、ここから出る」
空き部屋の中でキースははりつめた様子で外をうかがっているウーを見た。
「あいにく、出入り口は窓しかない」
ウーはいまいましそうに言い捨てる。
「本当は隠し道が、一つだけある。だが、それはタオ女王の部屋からなんだ」
ちらり、とウーはキースを見た。
「さっきお前はそこから運ばれてきた。死体は窓から落とすがな。だから、窓からつたい下りるしか方法はない」
目を部屋の外へともどし、ウーは舌打ちした。
キースはウーの横顔に目をやった。
完璧な黄金比の顔の形と鼻の高さ。
余分な肉がないため、それは非常にすっきりと、そして美しさをはっきりみせていた。
大人しめの灰色の瞳も、褐色の髪色と相性よく、下手に青や緑の目よりも魅力的にうつる。
日常の上り下りで、彼女の腕は細いながらも鍛え抜かれていた。
「体は平気なのか」
ウーが言った。
「ああ、全快とはいかないが、かなりな」
「ぶっ倒れたら、それまでだ。私は何もできない」
「わかってる。その時はあきらめる」
キースはまだ不規則なままの呼吸で答えた。
「下女が減った。今だ、階下に行く。いいな」
二人は飛び出し、岩肌の迷路のような道を抜ける。暗さがまし、ウーは奥へとすすむ。
ウーが立ち止った。
「戻れ」
ささやき声でウーはキースに合図した。
キースは素早く隣の空き部屋に入った。
しばらくして、部屋の前を三人の女が通った。タオ女王の下女たちだった。
「よかった、ウー。タオ様がお待ちだ。即、あの男を連れてくるように」
ウーは首を振ってこたえた。
「いま、儀式の最中だ。しばらく待ってほしい」
キースが空き部屋だと思って入った部屋は、こぎれいで人のいる気配がした。
しまったと思いながら、キースは外の様子をうかがう。
「だれ?」
奥から心地よいアルトが響いた。
黙っていると
「ウーなの?」
間をおいて、また声が聞こえた。
その時やっとキースはそれがゼルダ語であることを理解した。
では、彼女がウーの言ってたもう一人のゼルダ語をあやつれる人物か?
味方か敵か思いあぐねて息を殺していたキースに、彼女はしびれをきらしたのか、間を仕切っていた草の繊維でつくった垂れ幕をあげた。
「……まあ」
それが彼女の一言だった。
片手には食べていた果実を持っており、その一部が落ちてころころとキースの足元に転がってきた。
美しい女だった。
一目でウーの血縁者だとわかった。
よく似ていた。肌の色つや、高い鼻梁、褐色の髪。アーモンド形の目に、細い月のような眉。
だがウーよりも体はまろやかで表情は優しく、なによりも女性だった。
彼女が自分に近づくのをキースは凍ったように見ていた。
彼女は、笑った。
あの笑顔で。
白い歯をこぼれさせ、昔のままの笑みを浮かべる。
「懐かしい、型の服だこと」
まだ、マラバの毒とかいう効果が残っているのか。
「ウーが連れてきたの?」
キースは目の前の彼女を見ることに、すべてを奪われた。
「母さん!」
入り口で音がした。
「ウー」
は、としてキースがそっちを見ると、2人の女が床にたおれているのが見えた。
ウーが息を切らせて立っている。
「キース! ばれた。早く逃げるぞ」
ウーは急いで入ってくる。
「一人、逃がした。すぐ仲間をおっ連れてやってくる」
「ウー、この人を逃がすのね」
シャン王女、セイラムはゆっくりと驚きの声をあげた。
その声にウーは一瞬身を固まらせたが、次には強い目でセイラムを見返した。
「ごめんなさい、母さん。でも、正しいと思う」
「……そうね」
行こうとするウーの腕をだいて、セイラムは引き止めた。
「まって。ここを抜けなさい」
と、壁に近づき、覆っていた垂れ布をまくり上げた。そこには、穴が人ひとり分入れるくらいの大きさでくりぬいてあった。
「端の部屋、リラの部屋に通じているわ」
「母さん」
おどろいて目を見開くウーをセイラムは抱きしめた。
「ここを出なさい、ウー」
目を閉じて、ウーの髪をいとしむようになでる。
「出るのよ。そして、母さんのいったとおりになさい」
ウーは何か言おうとして、そのまま口を閉じた。
「急げ!」
ウーはキースに言うと、穴の中に入る。
「あなたも」
セイラムが促し、キースもつづけて入る。
垂布をおろし、穴を覆い隠したと同時に
「セイラム様!」
部屋の入口から下女の声が飛んだ。
口の端を引き締め、セイラムは振り返る。
「シャン・ウーが来たはずです。どこに!?」
叫ぶ下女を押しのけて、
「姉さん、男をどこにやったんだい?」
蜜色の肌のタオ・ジェミリが現れた。
「知らないわ」
「……」
二人は視線をあわせていたが、ジェミリが手を上げた。
「チー・リラの部屋だよ、おいき!」
その声に、後ろの下女があわてて去っていく。
「だろう、姉さん」
ジェミリは唇をゆがませた。
「ここを逃げ出した男は二人。姉さんと、リラの男だった。……二人はあのころから仲が良いんだよねえ?」
言って、セイラムの背後の壁に近づくと、垂れ布をひっぱって落とす。
「こうして、秘密の道までつくってさ」
「ジェミリ」
セイラムは手を伸ばし、ジェミリのやせた髪をなでた。
「あなたは病気よ」
「自覚してるさ。心配しないでもいいよ」
笑い声をあげて、ジェミリは穴へと入った。
*******
「この穴を抜けたら、どこへ行くんだ?」
「リラ女王の部屋だ。そこからどう逃げるかはしらん!」
キースとウーは小さいトンネルからふいに明るい部屋へとおどりでた。
まぶしい。二人は目を細める。
窓際に一人の女王が衣を風にはためかせ、座っていた。
チー・リラ女王。
知的な額と、ぼんやりとした目を向けて、彼女は二人に焦点を合わせた。
不思議な迫力と、異質な美しさにキースは息をのんだ。
「スコールがくるわ、ウー」
リラはゆっくりとつぶやいた。
「リラ女王」
「逃げるんでしょ、ここよ」
ウーの声を聞いているのかいないのかリラはそう告げて、人差し指で窓の下を指さす。
「下はなんだ」
「……川だ」
顔を見合わせた二人の後ろから下女が叫んだ。
「シャン・ウー! いるのか!」
「くそ」
ウーは舌打ちした。下女が部屋に入ってきた。
「いたぞ! 男も一緒だ!」
その時だった。
城を震わせるほどの大勢の女の絶叫が響き渡った。
瞬間、下女たちはぴたりと静止した。
「……行くぞ」
キースはそれを見て、ウーを抱き上げると窓から飛び降りた。
「……逃げたのかい」
タオ・ジェミリが壁の穴から出てきた。
「申し訳ありません」
部屋の中の下女はさ、と全員が身を低くして謝る。
「リラ。お前」
ジェミリは、窓辺のリラに近づき彼女のあごをつかんで自分の方を向けさせる。
リラはあいかわらず、ぼんやりとした表情だったが、目のどこかにいつもとはちがう光がともっていた。
「12年前、お前も逃げればよかったんだ。男と一緒に。そうじゃないのかい?」
口元にゆがんだ笑みをうかべてジェミリは言う。
「……子がいなければ、そうしたに違いないわね、わたしも」
ジェミリにあごをつかまれたまま、リラは答えた。
「さっきの二人のように。でも、おなかに子がいたのではね。……だから、わたしは残ったのよ。あのときは、それが一番いいのではないかと思ったから」
リラは続ける。
「あの時はまだ、姉さんは同胞であるおなかの赤子までは殺さないと思い込んでいたからだわ」
ひゅ、と後ろで見守っていた下女たちが息をのむ音がした。
「リラ」
ジェミリは、つかんでいたリラのあごから手を離した。
その顔からは、いつものゆがんだ笑みは消えていた。
「やってくれたね」
振り向かずともわかった。
後ろの下女たちが立ち上がり、自分の背中を見つめているのを。
その視線が、徐々に憎悪と怒りをこめたものに変化していくのを、ジェミリは感じ取っていた。
*******
ざぷん、と水があたりを取り囲んだ。
しばらくは、自らの状況がわからなかった。上と下がわからず、流れの速さに取り込まれてもがいていたウーを、キースがつかまえた。
それでも状況は変わらず、水は二人を押し流し、もてあそぶ。
息をするのがやっとの二人は、流されるうちに、いつのまにかまわりが暗くなったことに気づいた。
キースが岩につかまり、ウーをつかまらせた。見まわして、洞窟の中だと理解する。天井からかすかに光が漏れており、真っ暗ではなかった。
キースはウーを促し、岩づたいに移動する。岩と岩の間に存在するゆるやかな流れを見つけ、キースはウーを引き寄せた。足が底の岩につき、ひとまず安心する。
上半身だけ水からだして、二人はもう一度周囲を見回した。
「どこだ、ここは。来た時の洞窟か」
せきこみながら、キースが声を出した。
「いや、違う。ここは……城の真下だ」
同じく、ウーも苦しそうに声を出す。
「なら、安心していい。我らには城の下へは行くなとの掟がある。私も初めて見た」
ウーはせきこむ。
「母も、リラ女王もこの場所を知っていた。なぜだ」
「あの二人の女王は前に誰か逃がしたことでも?」
「ああ。母の依神で一人逃亡した話は聞いた」
「さっきの女たちの叫び声は?」
「わからない。今日はわからないことばっかりだ」
ウーは毒づく。
息がようやく整ってきて、いまさらのように二人は抱き合っていることに気づく。
「平気か?」
キースは前髪から滴を落としながら問う。
「ああ」
ウーはキースを見上げて答えた。
「すまない、助かった。お前のおかげだ」
そこで二人は初めて会った時のようにまともにお互いを見た。
先程からの危険を乗り越えてきたせいか、目を外す気がしなかった。
同じようにお互いの体を離すことも。
ウーが何かを感じて、最初に口を開いた。
「下女が依神と寝るなんて、考えられないことだ。下女は子を産まない、産めない」
「……俺も、本物の女と寝るのは初めてだ」
キースは言い、ウーの体を平たい岩の上に押し倒した。




