黒の世界
一体どれほど、命を殺めただろう。
そんなことを考えてしまうほど、この街は荒みきっていた。
「……ふう」
今日もまた、自分はいくつもの命を殺める。この二丁の拳銃で。
硝煙を吹き消しながら、そんな確信をした。
今日の天候は幸い雨だ。黒い血はいくらか洗われるだろう。
「……」
空から零れる雫の間に見えるのは、黒い巨塔ばかりだ。
視界に入るのは、いつであろうと黒。
黒が乱立する世界。
その世界の隅で、今日も彼は駆けている。
そもそも、いつからこんなことになったのだろうか。
表情のない影のような『黒い』人々に追い回され、追い詰められれば撃つ。
そんなルーティンの中にいるうちに、そんなことも忘れてしまった。
薄暗く、血生臭いこの世界に迷い込んだのは、いつだったか。
「いたぞ!」
「ちっ」
答えを見つけられないまま、彼はまた世界の隅を駆ける。
水月影哉。それが彼の覚えている唯一の「自分」だった。
それ以外は何も覚えていない。
自分の顔も、年齢も、過去も。
そんなものは何一つ、この世界ではいらないものだった。
そもそも、覚えていたことがあるのかどうかすら知らない。
それも今となってはどうでもいいことだった。
「……」
再び巨塔の隅に身を隠す。
打ち付ける雫の冷たさも、既に伝わってはこない。
「どこに行った?」
「ちっ、逃がしたか……」
西へと走り去る影を見送ってから、より奥まった隅の方へと進む。
これでしばらくは生き延びられる。
「……」
それでも息を潜めるのはやめない。
否、やめられない。この世界では、息を潜めることは生きることと同義だった。
「……」
奴らに見つかれば殺される。
この世界に来た時から、そういう確信があった。
奴らは恐らく、本能的に人間の死を欲している。
「……」
顔のパーツも何もない、黒い影のような奴らは、こうしてどこからか迷い込んでしまった人間を追い回すのだ。
そうして死んだ人間を、恐らくは……。
「見ぃつけた!」
そんなことを考えていたからか、その声に気づくのが一瞬遅れた。
人間で言うところの女のような声を発した影は、既に自分の背中まで迫っている。
しかし、襲う前に声を上げてしまったのは落ち度だった。
「ぎゃあ!」
すぐに腰から拳銃を引き抜き、引き金を引く。
聞き慣れた銃声が響き、小さな質量が影を貫いた。
その影はどろどろと溶け、雨に流されるまま排水溝へ落ちていった。
「あっちか!」
銃声を聞きつけた影が、こちらに押し寄せてくる。
「……」
いつもと同じように逃げようとした刹那、愚かな思考が首をもたげた。
或いは、最初からわかっていたのかもしれない。
ただ、それを怖がっていただけなのかもしれない。
そう、撃てばいいのだ。この世界に来た時から手にしていた、二丁の拳銃で。
追い詰められるまでもなく、自分から。
撃てばいいのだ。
「……」
無表情に。冷酷に。
撃ち払え、全てを。
この世界を。
自分にそう告げていく。
その内に、大勢いた影は液体へとその姿を変えていた。
「……」
急に、視界が開けた。
心を覆った迷いは消え、そこには何もない。
「……」
虚無を抱え、彼は駆け出す。
黒が乱立する世界。
その世界の、真ん中へ。
水月影哉。
そんな名前だけが先に決まりました。
この名前のキャラクターで何か書きたいな、と思い、二丁拳銃使いという設定が固まったところでこの作品が生まれました。
作者的には夜のネオン街の路地裏、をイメージしています。